北イタリアをめぐる旅も、いよいよ最終回です。
では、ウーディネ(Udine)へ。この街はヴェネツィアから電車で2時間ほどですが、ヴェネツィアのあるヴェネト州とは違って、フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州(Friuli-Venezia Giulia)という、北イタリアの最東端にあたる州にあります。中央ヨーロッパに含まれるスロヴェニア(スロヴェニア共和国)との国境は、もうすぐそこ。オーストリア(オーストリア共和国)とも接しています。
市庁舎(Palazzp del Comune)のあるリベルタ広場(Piazza della Liberta)には、翼のあるライオン像が、まるで空に飛び立つかのように浮かんでいます。サン・ジョヴァンニの柱廊(Porticato di San Giovanni)の時計塔(Torre dell'Orologio)では、ムーア人が鐘を鳴らします。
なるほど、この街は1420年から1797年までヴェネツィア共和国に統治されたので、ヴェネツィア風に翼のあるライオンや、ムーア人の人形があるのでしょうね。市庁舎もヴェネツィアン・ゴシック様式です。
このあたりは歴史的に古く、新石器時代から人が住んだといわれますが、富豊かなヴェネツィア共和国とともに、この街も大いに栄えました。
大聖堂(Duomo)は、ヴェネツィアの統治下に入る前につくられて、18世紀に修復されたそう。併設されているドゥオーモ美術館(Museo del Duomo)のポスターに惹かれて中に入ると、その大理石像にやっぱり魅了されてしまいました。
優美な石たち。
静謐さのうちにエネルギーの凝縮した、祈りの形の美しさは、宗教を超えて語りかけてきます。
街の中心に丘があり、そのうえには16世紀に建造されたウーディネ城(Castello di Udine)が建っていますが、城の起源は古く、10世紀後半には文献でも確認されるようです。現在は考古学博物館や写真美術館、絵画館などを備えた市民美術館(Civici Musei)として開かれて、この地方の奥深い歴史や文化、芸術に出会うことができます。
美術館を目指して、樹々を眺めながら丘を登っているうちに、オウィディウスの書いた『変身物語』の一部分が思い出されてきました。このシリーズ最後の回には、大好きなその部分を、そのままご紹介したいと思います。
竪琴の名手オルペウスの奏でる音楽を聴こうとして、なんと樹々がつぎつぎと飛来するのです。南イタリア紀行シリーズで書いた樹々も登場しますよ。
「とある丘があって、その丘のうえは、たいそう平らな野原になっている。ここには、一面に青草が茂っているが、日よけになるようなものが、何ひとつない。だが、神々の血を引く楽人(がくじん)オルぺウスがここに座って、響きのよい弦をかき鳴らすと、たちまち木々が飛来して、陰ができるのだ。
樫の木がやって来る。パエトンの姉妹たちが変身したポプラたちも、やって来る。高い葉をつけた柏、しなやかな菩提樹、ぶな、処女(おとめ)ダプネがなり変わった月桂樹——それらも同類だ。それから、脆(もろ)い榛(はしばみ)、槍の柄(え)に使われるとねりこ、こぶのない樅(もみ)、たわわに実をつけるうばめがし、ひと目を楽しませるプラタナス、斑入(ふい)りの葉をもった楓(かえで)。さらには、川辺に生える柳や、同じく水を好む蓮(ロートス)、常緑の黄楊(つげ)や、ほっそりしたぎょりゅう、緑と黒の実をつける桃金嬢(てんにんか)や、黒いのしかつけない忍冬(すいかずら)が、つづく。まといつく常春藤(きづた)、巻きひげもつ葡萄樹、その葡萄樹に絡みつかれた楡(にれ)、ななかまど、えぞまつ、赤い実をつけた野苺(「苺」の字に、いちご)——そんなものも、オルペウスを慕い寄る。勝利者への賞となる、柔軟な棕櫚(しゅろ)、まるで髪を刈り上げたかのように、てっぺんだけが茂っている笠松も、同じだ。最後の、この松は、神々の母キュベレのお気にいりだが、それは、彼女の寵(ちょう)をうけたアッティスが、人間の姿を捨ててこの木となり、あの固い幹に変じたからだ。」(岩波文庫『変身物語』よりそのまま引用、カッコ内は原文でのフリガナ)
国境の近い街には、ある独特のムードが漂います。いろいろな要素が混ざりあっている、辺境の魅力。
いろいろなものが混ざりあえる、混ざりあうことを認める、混ざりあうことを当然とする。そういう、〈自由さ〉も、きっと大きいでしょう。どこにも属さない自由さすら、あるかもしれません。
自由になると、呼吸もゆるやかに、体もしなやかになっていくものです。そうするときっと、小鳥の声や植物の声も、聴こえやすくなることでしょう。
このシリーズを書かせていただいているあいだ、おもしろいことに、夢のなかでも神殿を歩いたりしていました。水に浸かった石の階段を下りて行く…その足の感覚を、夢から覚めても覚えていたりしました。
そんなふうに、古代につながることもできるのかもしれませんね。
そして、この連載中に、世界中がウイルスの脅威に驚愕し悲しむという、大きな困難に遭遇した衝撃は忘れられないことです。連載の舞台が北イタリアなので、かの地が早い時期に大変辛い思いをしたことは、とても辛く、また、動揺しました。
この時代を乗り越えるのはほんとうに大変なことだけれど、世界は今自らを振り返り、叡智を探し、きっと素敵な道を見つけていくことでしょう。すばらしい歴史や文化、芸術、先人たち、そして同時代に生きる仲間たちに、愛と敬意をもちながら、わたしたちは進んでいくでしょう。
いつもお読みくださり、ありがとうございます。
またどこかの地で、お目にかかれますように。
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