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Now, Then!

神話と植物の物語ー北イタリア紀行ーVol.5

2020.04.14

文・写真/乾 ゆうこ

紀元前12世紀につくられて、北イタリア最古の街ともいわれるパドヴァ(Padova)は、ヴェネツィアから電車で30分ほどですが、ここには、世界最古の植物園といわれるオルト・ボタニコ(Orto Botanico)があります。もとはパドヴァ大学の薬草園でした。
 パドヴァ大学は1222年設立の、イタリアで2番目に古い大学です。各地から、きらめく頭脳や才能が、どれほど集ったことでしょう! 
 近代医学以前は、薬はほとんど植物からつくられていましたから、この薬草園はさぞや重要な場所だったに違いない! そう思うと、植物好きさんにはたまらない場所に違いありませんね。きっとどきどきすることでしょう。

 16世紀に設立された当時の、そのままの様子で保たれているというのですから、貴重です。花壇は、円形に整えられた中心から四方向へ、それぞれのスペースに分けられています。その中心に水の湧く泉。これは古代の世界観、宇宙と人間の関わりを表しているのだそうですよ。
 小さな水の音に、しばし瞑想へ誘われます。悠久の時は水の流れのように、絶えることなく続いていきます。

「ゲーテのヤシ」として知られる、有名なヤシ

 さて、水辺は精霊の好む場所ですが、水底から生出でるロータス(蓮)は、ギリシア神話ではこんなふうに語られます。

 まだ一歳にもならない乳飲み子を抱いたドリュオペが、斜面を下りて、湖にやってきます。湖のそばにはロータスが、赤い花を咲かせていました。そのときドリュオペは、子どもをを喜ばせようと、この花を摘みました。
 ところが花からは赤い滴がしたたり落ちて、枝もぶるぶると震えだしました。じつは、ローティスというニンフ(妖精)が、葡萄園や羊飼いの守護神であるプリアーポスから身を隠すため、この植物に身を変えていたというのです。
 ドリュオペは驚いて帰ろうとしますが、足が動きません。今や足の代わりに根が生え、そこから上へ上へ、どんどん樹皮が体を覆っていきます。
 顔だけがやっと残っているときに、彼女は言い残しました。

「どうぞこの子を乳母に預けてください。
 そして私の木の下で乳を飲ませてください。
 この子が言葉を話せるようになったら、木へ挨拶させて、
 この木のなかにお母さんが入っているの、と教えてください。
 でも湖には気をつけて。
 そして、木から花は摘まないで。
 木々はみんな、女神さまの身体なのだから、と教えてください」
 
 言い終えると、顔も口も、すべてが樹皮に覆われてしまいました。

 写真はオルト・ボタニコに咲いていた睡蓮ですが、この話のロータスが、私たちの時代のロータスと同じなのかはわかりません。木というので、別の植物なのかもしれません。不明なようです。

 ところで、ヨーロッパの中世僧院医学、薬草学は、教会や修道院を中心として発展しました。修道院の庭で薬草を栽培して、薬をつくって病人を治療していたのです。
 フィレンツェにあるサンタ・マリア・ノヴェッラ(Officina Profumo-Farmaceutica di Santa Maria Novella)は、世界最古の薬局といわれて有名ですが、ここパドヴァのサンタントーニオ聖堂(Basilica di Sant’Antonio)にも、感じのよい薬局がありました。

 古くからの叡智を大切にして、今へ、さらに未来へ、引きつぎ続けるということ。その静かな美しい知性を、美しく整えられたキオストロ(柱廊に囲まれた中庭)で慈愛のように感じます。

サンタントーニオ聖堂(Basilica di Sant’Antonio)

 パドヴァにはジョット―の、それはそれは美しいフレスコ画の描かれた、スクロヴェーニ礼拝堂(Cappella degli Scrovegni)などもありますが、今回は植物の話ばかりでしたね。

 私たちは今、大変困難な時代に向きあっていますが、人間の築いてきたすばらしい文化や壮大な歴史、美しい世界への、敬意と、そして感謝をこめて、この連載を続けていきたいと思います。

 次回は、ヴェネツィアとパドヴァの間を流れる運河沿いに残る、貴族のヴィッラ(別荘)を訪ねましょう。

クリエイターの紹介

乾 ゆうこ

ライター

ホリスティックハーバルセラピスト。大学時代に花椿編集室に在籍し、「ザ・ギンザ・アートスペース」(当時の名称)キュレーターを経て、ライター・エディターとして活動。故・三宅菊子氏のもと『フィガロ・ジャポン』『家庭画報』などでアート・映画・カルチャーを中心に担当。出産を機に伝統療法や自然療法を学び、植物の力に圧倒される。「北イタリア植物紀行(全4回)」「アイルランドから〜ケルト植物紀行」(ともに『クレアボー』フレグランス・ジャーナル社)など執筆。生活の木(表参道校)では不定期にクラスを開催している。

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