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Now, Then!

神話と植物の物語ー北イタリア紀行ーVol.7

2020.06.10

文・写真/乾 ゆうこ

輝かしい栄華と美しさで、世界から「アドリア海の女王」「アドリア海の花嫁」と呼ばれる水の都、ヴェネツィア(Venezia)。ラグーナ(潟)に無数の木の杭をうち、その上に築きあげた石と黄金の都。ビザンティン様式の建造物の多いこの街は、イタリアの都市のなかでも、異色です。

 もともとは、ウェネティ人の住んでいたところだといいます。本土に近いトルチェッロ島という島は、もっとも早くから人の住んだところで、杭の上とは違って土のある島です。ここに建てられたサンタ・マリア・アッスンタ聖堂(Basilica di Santa Maria Assunta)はヴェネツィア最古の教会でもあり、いつまでも静けさのなかで夢想していたくなるような美しい場所ですが、歴史の流れのなか、その後、街の中心はリアルト地区に移ります。

リアルト橋
橋げたに装飾される彫像

 他民族からの襲来を逃れて本土から避難した人々の移住は、5~6世紀にはじまったといわれ、それからだんだんに海上へ街を広げていきました。そして、やがて海洋国家として貿易で栄えます。
 東ローマ帝国からの商品はギリシアや中近東の船で運び込まれ、ヴェネツィア人がポー川をさかのぼって行って、ラグーナの産物とともに売りさばきました。シェイクスピアの書いた『ヴェニスの商人』は、子どものころに読んだ人も多いのではないでしょうか。16世紀末に書かれたあのお話の舞台が、このヴェネツィアです。

 こうしてヴェネツィアは、オリエント=東方世界からヨーロッパへの玄関口となります。11世紀から15世紀にかけての最盛期には、十字軍に参加してコンスタンティノープル(現イスタンブール、トルコの首都)を制圧したりもします。
 そうして強大な共和国として東方へ領土を広げ、ビザンティン文化・芸術と深く繫がって、豪華絢爛たる都と文化を築きあげたのでした。

海からヴェネツィアの都を見る
船から見るサンマルコ広場

 さてギリシア神話には、東方の地である、プリュギアという国の名も登場します。東方世界と深く関わったヴェネツィアでは、プリュギアの王ミダースと、水辺の植物アシの物語を。

 あるとき、牧神パーンと太陽神アポローンが音楽を競うことになりました。パーンは葦(アシ)笛を吹き、アポローンは竪琴を奏でます。年老いた山の神トモーロスが判定者となりました。
 アポローンの奏でる竪琴の音は誰をも魅了し、アポローンの勝利は誰の目にも明らかでした。パーン自身でさえ認めました。ところが、パーンを神として崇めているミダース王は、この勝敗を認めません。

 アポローンは、そんなミダースの耳は人間の耳ではないと言って、その耳を引き伸ばしてしまいます。さらに一面に白っぽい毛を生えさせます。そして根元をぐらぐらとさせて、耳全体が動くようにしてしまいました。
 さすがに王はこれを隠したいと思って、赤い頭巾で頭を包みました。けれど、王の理髪師はこれを見てしまいます。

 誰にも言わない、言えないことに、もう我慢できなくなったとき、理髪師は宮殿をぬけ出して…。地面に穴を掘って、その穴のなかへ、王の耳の話をひそひそとささやきました。言いたいことを言えて、さぞやすっきりしたことでしょうね。理髪師は穴をもとどおりに土で埋めて、帰りました。

 さて、しばらくすると、その場所一面に、たくさんのアシが生えてきました。そして、風にさやさやとそよぎ始めます。さらに大きく育つとアシたちは、地中に隠されたはずの王の耳の話を、風に吹かれては、さやさやとささやくのでした。

 「王様の耳はロバの耳」として有名なお話ですが、もとはギリシア神話だったのですね。

 列車がゆっくり、ごとん、ごとん、と海上の長い橋を渡りだすと、ああ、ヴェネツィアに入るんだな、という期待が高まります。空港からタクシーで行くより、列車のほうが味わい深いでしょう。
 空港からモーターボートで、運河に面したホテルの玄関へと、海の道から向かったこともあるけれど、それはそれで映画のようでドラマティック。
 かのジャンヌ・モローの、あまりに冷酷な〈ファム・ファタール〉(運命の女)ぶりに抗えなくなる映画、『エヴァの匂い』( “Eva” ジョゼフ・ロージー監督)を思い出してしまいます。そういえばこの映画には、素敵なトルチェッロ島も登場しますよ。
 そう、ファム・ファタール! ヴェネツィアには、そんなファム・ファタール的なところが、おおいにありますね。

 いつか沈んでしまうかもしれない、それなのに? だからこそ? 何度でも行きたくなってしまう、夢のような街。街そのものが夢であり、幻想であると感じてしまうような、なんともいえない引力をもつ、稀有な街。

 ウイルスの蔓延で封鎖され、人の姿の消えた2020年のヴェネツィアでは運河の水が美しくなった、という話も聞こえてきました。幾度も困難を乗り越えてきた、長い歴史をもつ世界。
 その歴史や文化への敬意や、愛をもちながら、そしてヴェネツィアに限らず、街も、国も、人々も、社会も、私たちみな、このたいへんな時代を超えて、どのように生まれ変わっていくのでしょうか。どのように生まれ変わりたいですか。

 それにしても、ビザンティン様式のモザイクは、ほんとうに魅惑的な芸術です。
 次回は、ヴェネツィアよりもさらに古くからヨーロッパの玄関だった街ラヴェンナで、モザイクの美しい教会を見て回りましょう。

教会で展示されていた、鏡を使ったインスタレーション

クリエイターの紹介

乾 ゆうこ

ライター

ホリスティックハーバルセラピスト。大学時代に花椿編集室に在籍し、「ザ・ギンザ・アートスペース」(当時の名称)キュレーターを経て、ライター・エディターとして活動。故・三宅菊子氏のもと『フィガロ・ジャポン』『家庭画報』などでアート・映画・カルチャーを中心に担当。出産を機に伝統療法や自然療法を学び、植物の力に圧倒される。「北イタリア植物紀行(全4回)」「アイルランドから〜ケルト植物紀行」(ともに『クレアボー』フレグランス・ジャーナル社)など執筆。生活の木(表参道校)では不定期にクラスを開催している。

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