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Now, Then!

神話と植物の物語ー北イタリア紀行ーVol.11

2020.10.10

文・写真/乾 ゆうこ

グラッパ山の麓、バッサーノ・デル・グラッパ(Bassano del Grappa)は、ヴェネツィアから少し北西へ、電車で1時間ほどの街です。ここはヴェネツィアと同じヴェネト州(Veneto)ですが、もう少し北へ行くとトレンティーノ=アルト・アディジェ州(Trentino-Alto Adige)。そこは切り立った白い岩山が太陽に染まる北部山岳地帯で、その向こうはもう、オーストリアです。
 光の粒子がきらきら見える、と思うくらい澄んだ空気。空気がきれいなので、青い山の遠近感がつかめません。

 ところで、イタリアにはグラッパ(Grappa)という強いお酒があります。ワインのためのブドウの搾りかすかつくられる蒸留酒で、かなり度数の高いものもあります。グラッパはイタリアのどこででもつくられているそうですが、この地方は、その有名な産地として知られています。

 グラッパのメーカーのひとつ、ポーリ社(Poli)の運営する、グラッパ博物館(Museo della Grappa)へ行ってみると、お酒の蒸留のための機械がなんだか可愛らしい。昔の機械ってどこかユーモラスで、生き物みたいなところがありますね。首がにゅうっと伸びたようなガラス器具なんて、もう話しかけたくなってしまいます。

 透明なもの、色のついたもの、植物の入ったもの。さまざまな小瓶が並んでいるのを見るのは楽しい! 蒸留の機械といい、薬草酒といい、これはアロマやハーブの世界とちょっと通じています。じつは古い時代では、魔法や錬金術にも近い世界だったことでしょう。
 きれいな空気ときれいな水は、美味しいお酒づくりに欠かせません。空気も水も澄んだ山麓のこの地は、きっと美味しいお酒を生むでしょう。そして冬の寒さの厳しいこの地方で、強い蒸留酒は人々に活力をくれる、大切なものであるに違いありません。

 そんな寒さを想像しながら、遠くに雪を残す山を眺めているうちに、クロッカスの話を思い出しました。クロッカスは春にいち早く咲く花です。その伝説にはいくつものバージョンがあって、面白いなあと思います。ここでは古そうなお話を取りあげます。

 美少年クローカスは、アテネの近くの森で、ニンフ(妖精)のスミラックスを追いかけまわします。 二人は恋人となり幸せにすごしました。が、スミラックスはしばらくすると、この恋に退屈してしまいます。スミラックスの気持とは逆に、クローカスは彼女を追いかけ続けるので、ニンフは青年を花に変えてしまいました。それがクロッカスです。

 ニンフって薄情で自分中心なところもあるので、このお話もわかるような気がしますね。ほかには、美少年クローカスとスミラックス(こちらの話では羊飼いの娘)の愛を神々が承認しないので、クローカスは絶望して自殺してしまい、神がクローカスをクロッカスの花にしたというものもあります。

 または、伝令の神ヘルメースが、恋人の美少年クロコスと一緒に円盤投げをしているときに、誤って彼を死なせてしまう話。嘆き悲しんだ神は彼をクロッカスに変えました。これはアポローンとヒュアキントスのお話のコピーといわれたりしますが、恋人の美少年を誤って失ってしまう話は、きっと人気があったのだろうなあなんて思えてきます。(アポローンとヒュアキントスのお話は、「神話と植物の物語―北イタリア紀行―Vol.2 」にて  )

 春を告げて1~2週間ほどで消えてしまう魅力的な花。クローカスとスミラックスの短い恋の期間もこのくらいだったのでしょうか。
 伝令の神ヘルメースは、最高神ゼウスからの正式な伝令を、冥界までへも伝えに行く神です。魔法の杖をもって天と冥界をつなぐ神の登場する花の伝説は、雪を押しのけて暗い土のなかから咲き出でる花々、すなわち春の到来とも重なって、再生する自然の力を思わせます。

 クロッカスは春の花ですが、秋に咲く仲間のサフランはとても薬効の高い植物で、古くから染料やスパイスとしても大切にされました。エーゲ海のサントリーニ島では、紀元前16世紀のものといわれている〈サフランを摘む少女〉の壁画(アクロティリ遺跡)が発掘されています。とても素敵な壁画なので、ぜひ探して、見てみてくださいね。

 そしてまた、『木靴の樹』(L'albero degli zoccoli)というすばらしい映画を撮ったイタリアのエルマンノ・オルミ監督の遺作『緑はよみがえる』(Torneranno i Prati)のことも思い出されてきます。その舞台はこの街にも近く、第1次大戦で激戦地となった、北イタリアのアジアーゴ高原(Altopiano di Asiago)でした。オーストリア軍と向き合ったイタリア兵たちの、前線の雪の塹壕での、真実を伝える映画です。

 そんな人間の歴史も学びながら、この先に続く圧倒的な大自然、ドロミーティ山塊に思いを馳せる、山麓の美しい街。
 清浄な空気の避暑地として、ヴィッラ(別荘)もたくさんあるようです。

 命も魂も、光や風、大地と水と緑の恩恵で、活力を取り戻しますね。

陶器でも有名です

クリエイターの紹介

乾 ゆうこ

ライター

ホリスティックハーバルセラピスト。大学時代に花椿編集室に在籍し、「ザ・ギンザ・アートスペース」(当時の名称)キュレーターを経て、ライター・エディターとして活動。故・三宅菊子氏のもと『フィガロ・ジャポン』『家庭画報』などでアート・映画・カルチャーを中心に担当。出産を機に伝統療法や自然療法を学び、植物の力に圧倒される。「北イタリア植物紀行(全4回)」「アイルランドから〜ケルト植物紀行」(ともに『クレアボー』フレグランス・ジャーナル社)など執筆。生活の木(表参道校)では不定期にクラスを開催している。

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