フランスの哲学者ヴォルテールは、こんなポエティックな言葉を残している「未来は、現在より生まれおちる」。なぜそんなことを急に思い出したかというと、私の6歳になる娘が、朝のスキンケアをしていた私の服の裾をつかんで「ママ、わたし、太陽をせっとくしたいの!」と真剣な顔で言うから。ぺたんと床に座り、陽だまりの匂いのするその体を膝の間に抱える。娘の主張はこうだ。朝が来て夜になる。春が夏へと変わっていく。それは太陽があるから。つまり時間を止めるには、太陽を止めないと。なんで時間を止めたいの?と聞くと、彼女は大きな瞳を潤ませて言った「だってそうしないと、わたしはおねえさんになって、ママはおばあちゃんになって、いっしょにいられなくなるんでしょう?」鼻をすすり、唇をへの字に曲げるその顔は、30年前の自分に重なった。
私は幼い頃、母親が鏡台で紅をさす姿を見るのが嫌だった。鏡に映る母の、いつもと違う顔。そして、その姿になるといなくなってしまうから。母は、今であれば美意識が高いと賞賛されるのだろうか、予定のないときですら肌のお手入れや日焼け止めを欠かさない人だった。ある日、反抗期を迎えた私は母にこう言った。毎日そんなに塗って、誰に見せるの?時間が戻るわけでもあるまいし。しばしの沈黙。怒らせるか、と思った。しかしその時の答えは、予想もしないものだったのだ。母はこう答えた。「肌のお手入れはね、人に見せるためじゃないの。未来の自分のため。お天道さんの当たる道を、顔を上げてまっすぐに歩いていくためなのよ」。
今ならばわかる。母が何を思い、あんなことを言ったのか。鼻をすすり続けている娘を洗面台によいしょとのせて、私は日焼け止めを顔にのばした。乳液みたいにかるくてみずみずしい。もういちど手のひらに出すと娘のやわらかい頬にもそっとなじませる。「よし、これで大丈夫」キョトンとした顔で鏡を見つめる娘。「太陽と仲良くできるおまじないだよ」。
朝が来て、夜が来る。そして幾度かの春や冬を越えればこの顔にも皺が刻まれ、誰もがいつかは過去になる。でも私はただまっすぐに今日を生きるだろう。究極のエイジングケアとはきっと、明日は今日よりも良きものであると信じること。明日を生きるために、今していることを笑顔で続けること。だからね、未来、私たちはきっと大丈夫。日焼け止めも日々進化していることだしね。
100年先も、太陽と生きる。アネッサ
フォトグラファー:上田義彦
クリエイティブディレクター:山形季央
アートディレクター:高田大資
コピーライター:植木彩
ヘア・メイク:百合佐和子
スタイリスト:杉本学子
プロデューサー:綿引しな乃
【衣装協力】
日傘 : 小宮商店