次の記事 前の記事

SHISEIDO Your Song

2023.10.10

4. このスピードで

文藝春秋 2023年11月号 掲載より

かつての恋人が結婚したという知らせを耳にした。「海外に異動が決まった。結婚しよう」と彼から言われたあのとき咄嗟に、急には無理だよと断ったのは私の方だ。長くつきあってきたけれど、その先にある未来が良い流れにならない。そう直感的に気づいてしまったから。ふたりのスピードはズレはじめ、それぞれの方向へと流れていった。よかったね、どうかしあわせでと、今は曇りのない気持ちになれる。ゆっくりと、車のアクセルを踏みこむ。
今日は横浜方面での打ち合わせに、車で向かう。ときどきハンドルを握りしめて熱唱しているドライバーを見かけるが、かくいう私もうたっている。ひとりでも友だちとでもうたう。会社の若い後輩を乗せたときもうたう。20代と40代では歌がちょっとずつ噛み合わないが、彼らが知らない過去の歌は未来の響きを持ち、私もあたらしい歌を教えてもらうのが楽しい。
うたうのが好きなのだ。素直に、生きてるっていう感じがするから。それが運転中の鼻歌であろうと。そういうことって、日々の細部にも宿っている。たとえばスキンケアするときだって。まっさらに戻った無防備な自分が、たっぷりのうるおいを湛えたプールに潜りつややかな光に包まれるとき、大げさだけど、それは1日の中の小さな奇跡の瞬間だとさえ思う。生きている限りなんだってできるはずだよと、自分の肌が人生の味方をするように背中を押してくれる。そして日々の豊かさや楽しみがこんこんと湧いてくる。
打ち合わせを終え外に出ると、11月の陽はもう傾きかけている。しかし今日は秘密の予定がある。ハンドルを握る手がワクワクする。ジャズヴォーカルの最初のレッスンへ行くのだ。初夏にロンドンを旅したとき知り合った、ジャズトランペッターの男性のはからいで。前の彼が聞いたら、どうしちゃったの!?と目を丸くするだろう。
わが人生、年を追うごとに愛すべきものになっている。こつこつと好きで磨いたすべてが、だんだんと満ちてくる。ちいさく一歩を踏み出すと、現実は少し変わり、世界も少し良くなっていく…なんてね。本当にそうなるといいと願う。人はいくつになってもあたらしくなれるのだ。大声で歌なんてうたいながら。この道を走る。このスピードで。

今日をあたらしくするエッセンス、いつもの相棒
資生堂エリクシール40周年

モデル:hiromi
フォトグラファー:上田義彦
コピーライター:国井美果
アートディレクター:高田大資
クリエイティブディレクター:山形季央
メイク:百合佐和子
ヘア:林佐知子
スタイリスト:山本マナ
プロデューサー:綿引しな乃