海辺の町へ。
ブルージュから電車に乗って、日帰りの小旅行です。オステンド(Oostende、オーステンデやオスタンド、またはオストエンデとも)で路面電車に乗り換えて、海沿いをシント=イデズバルド(Sint-Idesbald)へ走ります。
シント=イデズバルドは、北海に面した保養地です。フランスとの国境も、もうすぐそこ。
そのためか、典型的なフランドル地方とは家の形も違うし、雰囲気も少し異なります。
遠浅の続く海。砂の色も海の色も灰色がかって光っている、寂しげでもあり、なんともいえないニュアンスです。
この海を、かつてはヴァイキングも行き来したのだなあ、などと思いながら、遠くの海のうねりを眺めます。
Vol.4でご紹介した、ベルギーの伝統的な料理のクロケットに使う小エビは、昔からこの遠浅の続く北海の海岸で、漁が行われました。かつては、馬が網を引いたそう。
眩しい太陽の光をあびながら北海を眺めていると、神々の王オーディンと、虹の橋の番人ヘイムダルの話が思い出されます。
今回は、その話をご紹介しましょう。
オーディンがあるとき海辺を歩いていると、9人の美しい〈波の乙女〉たちが、波打ち際で眠っていました。
きらめく日の光のなかで、白い波の泡をまとう美しい9人の女性に、神々の王はうっとりしてしまいます。
そうしてやがて、オーディンを父として、9人の母をもつ、ひとりの男の子が生まれました。
大地の力と、海の湿気と、太陽の熱をふんだんに与えられて、男の子は元気に立派に育ちます。
彼の名はヘイムダル(Heimdall、ハイムダル)。
北欧神話を記す古ノルド語の、heimrは〈世界〉、dallrは〈芽と枝とを出す樹、柱〉という意味なので、彼の名前は〈世界の柱〉を意味するといわれます(松村武雄編、『世界神話伝説大系 北欧の神話伝説』、名著普及会)。
彼は、きらめく白い鎧をつけた姿に描かれます。そして、〈白き神〉〈光り輝く神〉とも呼ばれるのです。
さて、彼はあるとき、9人の母たちのもとを発って、父であるオーディンに会いに出かけました。
神々の国アースガルドに到着すると、それはちょうど、虹の橋ビフロストが完成したときでした。
神様たちは集まって、アースガルドからほかの世界へ行くのが容易になった、と喜んでいました。けれども同時に、巨人たちもこちらへ簡単に侵入できるようになった、と頭を悩ませてもいたところです。
そこへ登場した、光り輝く立派なヘイムダルを見て、神々は彼に大きな信頼を寄せます。そして、虹の橋の番人になってくれないか、と頼みました。
神様たちはほんとうに、巨人が怖くてたまらないのです。
ヘイムダルは快く応じます。そうして彼は、神々の国へ通じる虹の橋ビフロストの、番人となりました。
彼の館ヒミンビョルグは、虹の橋の一番高いところにあって、そこから彼は、日夜見張りを続けます。
駿足の黄金の馬グルトップにまたがって、一日に何度となく、揺れ動く虹の橋の上を行き来します。
来るべき運命の日に、世界にその音を鳴り響かせるため、神々から授けられた角笛ギャラルホルンを携えて…。
さて、シント=イデズバルドへ出かけた目的は、ポール・デルヴォー(Paul Delvaux、1897年~1994年)の美術館(FOUDATION PAUL DELVAUX MUSEUM)を訪ねるためです。
デルヴォーは、Vol.2で登場したマグリットとは同年代です(デルヴォーのほうが1歳年上)。でも彼はマグリットとは違って、シュルレアリストたちのグループに積極的に参加することは、ありませんでした。
けれどもシュルレアリスムを知ったことで、表現の可能性が広がった、と自ら語っています。
「シュルレアリスムは私にとって自由を体現するもので、そのため私にとってはきわめて重要なものだった」(バーバラ・エマーソン著『デルヴォー画集』、リブロポート)
(シュルレアリスムについては、Vol.2のマグリットの回をご覧ください)
彼はリエージュ州のアンテイト(Antheit)に生まれて、ブリュッセルに住みました。
多くの作品を創作しながら、国立の美術学校〈ラ・カンブル〉(Vol.5)で学生たちを教えてもいました。
シント=イデズバルドへはよく訪れて、絵のインスピレーションを得たといいます。
なんといってもここは、彼にとって運命的な地、ともいえるでしょう。20代のときに母親に反対されて、別れざるを得なかった最愛の女性に、再会した町なのですから。
そのときデルヴォーは50歳。
愛の女神は、一途に愛し愛される者たちには、たとえいくつになっても微笑んでくれるのですね。
デルヴォーに描かれた、大きな目をした女性たち!
彼女たちは長いドレスをまとって、おおくは全裸で、あるいは半裸で、薔薇で飾った帽子をかぶったりして、その大きな目でどこかをみつめています。
ギリシア風の神殿の見える部屋や、駅舎の鉄のポーチで、ときに繁茂する植物たちに囲まれて、または骸骨たちの傍らで。
彼女たちの瞳には、何が映っているのでしょう。
彼の描く女性たちは、若いときに一度は別れなければならなかった恋人だ、ともいわれたりします。
きっと彼女たちは、恋人であり、憧れであり、ヴィーナスであるでしょう。そしてまた、巫女であり、魔女であり、セイレーンでもあるでしょう。
世界の秘密に触れ、そしてついには、〈運命〉であり、自然界と結びついた存在であり、さらには超自然でもあり、すなわち超現実(強い現実)的でもあるでしょう。
その存在のままに、自然体で、くつろいでいる様子の女性たち。媚びるでもなく、無関心であることは多々あるにしても、拒絶するでもなく。
彼女たちに出会うと、私たちのうちなる〈彼女たち〉も目覚めて、そしてきっとくつろいで、世界を楽しむようになるでしょう。だってもともと、すべての女性たちはそうなのだから。
そして女性も男性も関係なく、うちなる〈女性性〉は、すべからくそうでしょう。
晩年のデルヴォーは語ります。
「若いときは、不安を描いていたのだと思う。今は、神秘的な美を描きたい」(前掲書)
機関車も、神話の世界や骸骨も、デルヴォーにとっては子どものころから親しんできたもの。彼はほんとうに、好きなものばかりを描き続けました。
好きなものばかりで出来上がった世界は、じつはじっさいには地上に存在しない、彼のつくりあげた世界です。
けれども見る者はなにか惹かれて、その登場人物たちやその世界と呼応してしまう。なにしろ彼の作品は、たいへん人気がありました。
その、〈夢〉見ているような気分を誘う画面には、どんな普遍的な〈鍵〉があるのでしょうか。もしくは、強烈な魔法?
じっさい太古から、大切なことは、〈夢〉のなかで語られてきたものです(夢については、「神話と植物の物語―北イタリア紀行―Vol.10」のポピーのところで、少しだけ触れましたね)。
さあ、皆さんには、どんなふうに感じられますか。
ところで、ひとりの作家個人の美術館というのは、それぞれ趣があって楽しいし、その作家により近寄って、触れることのできる場所です。
電車を乗り換えた駅のあるオステンドは、ベルギーの誇る画家ジェームズ・アンソール(James Ensor、1860年~1949年)の生まれた地で、彼の家もあり、公開されています。
〈仮面の画家〉とも呼ばれたアンソールは、多くの芸術家に影響を与えました。デルヴォーもやはり、影響を受けたといいます。
アンソールの家へは今回は時間がなくて立ち寄ることはできなかったけれど、いつか行く機会のあることを願って!
さて、魅力的な別荘の並ぶシント=イデズバルドでは、素敵なお店にも遭遇できました。
ちゃんと手をかけた、気の利いた美しい食事。そういうお店にさりげなく、ふっと出会えると、なんだかとっても幸運だな、って嬉しくなりますね。
貸し別荘らしき建物も多いので、日常を離れてゆっくり滞在することもできそうです。海の近い家で、風の音を聴きながら。
自分のみつめたいことへ。自分の見たい世界へ。自分の理想へ。
そんな旅も始まるかもしれません。