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神話と植物の物語

神話と植物の物語ーベルギー紀行ーVol.5

2021.05.14

文・写真/乾 ゆうこ

ブリュッセルの街の南には、広大な森が広がっています。
 
 その一部であるカンブルの森(Bois de la Cambre)の端に、カンブル大修道院(Abbaye N.-D. de la Cambre)があります。  

 両脇の表通りから下っていったところにたたずむ、そのシックで気品のある姿に、たちまち心を奪われました。

低い場所なので、近くには池も
カンブル大修道院(Abbaye N.-D. de la Cambre)

 13世紀初めにシトー会の修道院として、貴族夫人ジゼルの援助でつくられました。その後宗教戦争の折に破壊されて、16世紀に再建、18世紀に増築されます。
 
 20世紀初頭になって、かつての修道院に、高等芸術装飾研究所が設立されました。現在でも〈ラ・カンブル〉と呼ばれる、国立の美術学校です。
 1986年にはモード部門もできて、ファッションデザインやスタイリズムが5年間で学べます。楽しそう!

 若者たちが行きかいます。彼らのなかに、未来のすばらしいデザイナーがいるかもしれませんね。

斜面を利用して、修道院の庭園は階段状にずっと上まで続きます

 礼拝堂はもちろん今も、祈りの場として使われています。私の訪ねた折には、内部を見学しているうちに、黒い装いの方々がだんだん集っていらっしゃいました。

 何かセレモニーがあるのかもしれない、と思って外へ出ました。修道院の庭園を散策して、ぐるりと回って戻ると、ちょうど棺が運び込まれるところ。
 そして、扉は閉ざされました。

 今や建物の前庭は、車でびっしりと埋まっています。車のうしろに隠れてしまった花壇には、さまざまな可憐な花々が咲いていて、僅かな風にそよそよそよぎます。

 まるで、花々もお祈りをしているかのように、あるいは賛美歌を歌っているかのように。
 涙のように、雨あがりの露をたたえて。

 さて、この修道院の庭園を散策しているときに気づいたのは、イチイの木が多いということ。トピアリーのように刈り込まれているので、すぐにはそれと気づきませんでしたが。
 ここは、イチイの樹々のある、谷のように低くなった場所、なのですね。

刈り込まれているのはイチイ
こんなゲートまで、みんなイチイの木
赤い実をつけるイチイの木。この宝石みたいにきれいな実の種には毒が含まれます

 北欧神話には、まさに〈イチイの谷〉という意味の、〈ユーダリル〉( Ýdalir、『世界神話伝説大系 北欧の神話伝説 Ⅱ』によると〈露深き谷〉の意)に住む神がいます。
 ウル(Ullr)という名の、冬の神です。

 ウルは、女神シフ(Sif)と恐ろしい〈霜の巨人〉とのあいだに生まれて、雷の神トール(Þórr)を義父とします。
 彼は幅の広いスキーを履いて、弓矢をもつ姿で描かれます。狩猟の神、弓術の神、そして盾の神、戦士の神として、戦いに臨む人々から祈願されました。
 また、死の神と記す書物もあります。

 ウル神の弓は、イチイの木でできています。その矢は、雪のかけらと雹。
 イチイの茂る谷は、この神にとっては、いつでも弓をつくることのできる、便利な場所なのですね。

 彼は弓矢のほかに、魔法の骨ももっていました。その骨に呪文を唱えると、骨はまたたくまに船となって、どこへでも進んでいくといいます。

 そんな彼は、あるとき狩に出た折に、妻となる娘スカジ(Skaði)と出会います。スカジは巨人の娘ですが、山の守り神とも考えられています。
 スカジの父は、じつはこの紀行のVol.3で登場しています。鷲になってロキ(Loki)を追いかけて、神々に殺されてしまった、巨人チアシ(Þjazi)です。

 ところで、ウルとスカジは、〈好きなもの〉、ですっかり意気投合してしまいます。意気投合して、とっても幸せな気持ちになった〈ふたりの好きなもの〉、ちょっとご紹介しておきますね。

 それは、〈寒さと雪〉、〈松の木のあいだにうなる風の音〉、〈雪崩の響き〉、〈氷の割れる音〉、〈滝の落ちる音〉、〈狼の吠える声〉。

 自然界の厳しさと直結するこれらが、彼らは大好きで、そういう音を聞くとたまらなくいいと思ったり、胸が躍ったりするというのです。
 さすが、北欧神話の神様たちですね!

 さて、カンブル修道院へ戻りましょう。

 修道院から、表の大通りへあがっていくと、すてきな住宅が並んでいます。
 このあたりには、19世紀末から1930年代ごろまでの、アール・ヌーヴォーやアール・デコの様式を取り入れた建物も多いのです。眺めているだけでも楽しくて、いくらでも歩いてしまいそう。

 アール・ヌーヴォー(Art Nouveau、新しい芸術、という意味)様式は、当時の新しい技術でできた鉄やガラスを多く使いました。そして自然界のモチーフ、蔓草などの植物的な曲線を好みました。
 フランスのナンシーに生まれたガラス作家のエミール・ガレ(Charles Martin Émile Gallé、1846年~1904年)などが、アール・ヌーヴォーを代表する芸術家として有名ですね。

 ガレは自分の工房の入口の上に、”Ma recine est au fond des bois, parmi les mousses autour des sources”(我が根源は、森の奥にあり――泉のほとりの苔のなかに)と記していました。
 そして自分の作品は、自然や花、植物への歌なのだ、とも言っています。

 アール・ヌーヴォー様式を建築に初めて取り入れたのは、ベルギー生まれのヴィクトール・オルタ(Victor Horta、1861年~1947年)。1893年に完成したタッセル邸(L’Hôtel Tassel)は、最初のアール・ヌーヴォー建築として知られています。

 当時、このベルギーの地が、新しい美の潮流の中心のひとつだったことを思うと、さらにわくわくしてきますね。
 オルタは、カンブル大修道院に高等芸術装飾研究所を設立したときにも、大きく関わりました。

かつては高級婦人服店だった建物。
壁に〈OLD ENGLAND〉という名称が残っています。
今は楽器博物館
古典美術館のレストランのエントランスの装飾も。美しい

 人々を魅了するような、美を創造すること。
 その喜びは、人間の大きな喜びのひとつです。その喜びは、時代を経ても熱量を放って、憧れやときめきが伝わります。

 その後、第一次世界大戦もあり、装飾的な要素をそいだものが好まれる風潮となりました。そのころ新しく登場するのが、アール・デコ(Art Déco、装飾芸術、という意味)様式です。

 今お読みいただいている『花椿』の、資生堂のデザインもまた、設立された時代のアール・ヌーヴォーやアール・デコといった、新しい美のスピリットが流れています。
 それは当時とても革新的で、どんなにお洒落なことだっただろう!と、想像が広がります。

 そうそう、子どものころに大好きだった絵本の画家、初山滋さんや武井武雄さんたち。大正11年(1922年)に創刊された絵本雑誌『コドモノクニ』にも、当時のモダンな感覚があふれていました。
 絵本といっても、大人になってなお、そのデザインの美しさや楽しさにやっぱり惹かれます。

 なんだか、いろいろなことが繋がっていくようです。
 それはそうですよね! アール・ヌーヴォーにデザインされた蔓草のように、世界はぐるぐる繋がっているのですから。

クリエイターの紹介

乾 ゆうこ

ライター

ホリスティックハーバルセラピスト。大学時代に花椿編集室に在籍し、「ザ・ギンザ・アートスペース」(当時の名称)キュレーターを経て、ライター・エディターとして活動。故・三宅菊子氏のもと『フィガロ・ジャポン』『家庭画報』などでアート・映画・カルチャーを中心に担当。出産を機に伝統療法や自然療法を学び、植物の力に圧倒される。「北イタリア植物紀行(全4回)」「アイルランドから〜ケルト植物紀行」(ともに『クレアボー』フレグランス・ジャーナル社)など執筆。生活の木(表参道校)では不定期にクラスを開催している。

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