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神話と植物の物語

2020.09.10

神話と植物の物語ー北イタリア紀行ーVol.10

文・写真/乾 ゆうこ

ルネッサンス期に華やいだ街フェッラーラ(Ferrara)は、ヴェネツィアから日帰りできるほどのところにあります。

 まずは、スキファノイア宮殿(Palazzo Schifanoia)のフレスコ壁画の宇宙へ。
 それは〈月暦の間〉(Salone dei Mesi)と呼ばれる大きな部屋で、四方の壁面に、12か月の場面がひと月ごとに描かれています。
 それぞれの月は3段に分けられていて、一番上の段には神話の世界、真ん中の段には占星術の黄道十二宮の世界、そして一番下の段には、地上の人間の世界。なんというパラレルワールドな構成!

スキファノイアというのは、イタリア語のschifare la noia
(退屈をひどく嫌う、退屈を避ける、の意)が由来
4月。上段は愛と美の女神アプロディーテーの凱旋で、
中央に三美神。中段は牡牛座の象徴。下段にはフェッラーラ領主ボルソ・デステの、狩りの一行の様子
5月の中段、双子座
6月の中段、エビのようなザリガニのような、蟹座
8月の中段、乙女座
9月の中段の天秤座

 破損している部分も多いのですが、それがまた想像力をかきたてるのかもしれません。残っている美しい色彩と、細やかで優美な表現に見入って、画面を眺めているだけでも、いつのまにか我を忘れてその世界に没入していってしまいます。
 こんなに賑やかに描き込まれているのに、なぜか静かで、北のほうの匂いさえするのも不思議です。

 このどうしようもなく魅惑的な壁画を描かせたのは、ボルソ・デステというフェッラーラの領主。教皇からフェッラーラ公の称号を受けて、フェッラーラ公国と認められたときのお祝いでした(1470年頃の完成)。
  
 彼は衣装や宝石などにも贅を尽くして、芸術や芸術家を擁護します。

ボルソの命で作られた、豪華な聖書の写本『ボルソ・デステの聖書』(Bibbia di Borso d’Este)
(15世紀半ば)ルネッサンス彩飾写本の最高峰といわれる

 また彼は、北ヨーロッパのタピスリーなども収集しています。フェッラーラ派の絵画に北の匂いが感じられるのは、そうした影響もあるそう。

 さて、マントヴァのゴンザーガ家やミラノのスフォルツァ家、フィレンツェのメディチ家のように、ここフェッラーラでは、エステ家が力をもちました。300年以上にわたってフェッラーラを統治します。
 そのエステ家の人々のなか、イザベッラ・デステは、知性と教養、芸術的センスと社交術で称賛された女性です。彼女はマントヴァのゴンザーガ家に嫁いで、芸術を擁護して、かの地をルネッサンス都市として繁栄させ、政治的な力も発揮しました(マントヴァの話は、「神話と植物の物語―北イタリア紀行―」Vol.4にて)

 そして、エステ家に嫁いだ有名な美女、ルクレツィア・ボルジア。数々のエピソードをもつ彼女の名前をタイトルにして、オペラもつくられています。
 ルクレツィアはその美貌を父や兄から政治に利用されて、3度の結婚をします。彼女のお兄さんは、冷酷ながらも魅力と才知あふれるかの美男子、チェーザレ・ボルジア。ボルジア家には、毒薬にまつわる話や怪しげな話もたくさんありますが、にしても、この時代の権謀術数や人間模様のなんと激しいことでしょう。

描かれたルクレツィア・ボルジア

 エステ家の居城であったエステンセ城(Castello Estense)は、街のほぼ中心にあります。ぐるりと水をたたえたお濠を巡らせて、跳ね橋のある、守りの堅い建物です。跳ね橋を渡るのに、ちょっと緊張します。

 城内の壁画は趣向が凝らされていて美しい。フェッラーラは2012年のイタリア北部地震で大変な被害を受けて、エステンセ城の壁画も、あちこちに保護修復のテープが貼られているのが痛々しい。けれども豪奢な様に、ため息。

不思議な存在もたくさん描かれています
ヨーロッパとインドの薬用植物について記した本もありました!

 エステ家には有名なお抱え料理人もいて、そのレシピが今でもお菓子や伝統料理に生かされています。城の台所も残っていて見ることができますが、その下はほんとうに恐ろしい地下牢になっていたりして、なんだか怖い。

エステンセ城のすぐ近くにある大聖堂は、ファサード(正面)に3つの屋根がそびえる、ちょっと変わった建築(ファサードはあいにく修復中で覆われていて、写真はありませんが)。
この写真は大聖堂の横側で、なんと商店が連なります
サヴォナローラの像も近くにありました。フェッラーラ出身の敬虔な修道士だった彼は、腐敗した政治や行きすぎた華美な生活を糾弾して、フィレンツェで政治を執り、やがて失脚しましたが、今も市民に訴えかけるような姿です
中世のままのヴォルテ通り。土地の面積に応じて課税されたので、上のほうへと広げる建物になったそう
ふっと魔女めいた女性が通り過ぎていったり

 フェッラーラの街には、なにか独特な空気があります。
 ここに生まれた映画界の鬼才ミケランジェロ・アントニオーニ監督は、断絶する感情や愛を通して現代の人間を描き出しました。〈愛の不毛三部作〉と呼ばれる『情事』『夜』『太陽はひとりぼっち』、そして『赤い砂漠』『欲望』『砂丘』などの、鮮烈で独特の美しさのある映像は、見れば忘れられないでしょう。多くの映画監督にも影響を与えました。
 『愛のめぐりあい』で主人公たちが歩きまわる、フェッラーラの雰囲気がなんとも素敵!

 画家のジョルジョ・デ・キリコは、この街からおおいなる霊感を受けて、キリコ的不可思議な街の絵を描き出しました。
 
 スキファノイア宮殿から続く、このどこか不思議な感覚は、デ・キリコの絵のようでもあり、夢のようでもあり…。そういえば、『ボルソ・デステの聖書』のなかに鮮やかなポピーが描かれていて、ポピーにまつわるギリシア神話が思い出されます。

 ギリシア神話には眠りの神ヒュプノスが登場します。
 彼は陽光のささない、暗い洞窟に住んでいて、洞窟の入り口には、ポピーなどの催眠作用をもつ植物が生い茂っているという。
 彼は夜の女神ニュクスの息子で、死の神タナトスとは双子の兄弟。まさに死と眠りは、近しい、よく似たものなのですね(じっさい赤ちゃんが夜泣きするのは、きっと眠ることが死のように感じられて、眠ることが怖いからではないかな、と私などは思っています)。

 そして眠りの神の3人の息子、オネイロス(夢)たち。それぞれ、モルペウスは人間の姿をとる夢、ポベートールは動物の姿をとる夢、パンタソスは非現実的な夢、となるのだそう。

 また、ヒュプノスは液体を降り注いで人々を眠りに誘うといわれますが、その液体はポピーから採るという説もみつかります。あるときは、行方不明になった娘ペルセポネーを探す豊穣の女神デーメ―テールを、眠りで慰めたりもしました。(ペルセポネーとデーメーテールの話は、「神話と植物の物語―南イタリア紀行―」Vol.2後編にて)

 ときに眠りや夢は、心や意識の深みへ、魂の底へと、旅することに私たちを連れ出します。古代では、夢は神託でもありました。オーストラリアのアボリジニや世界各地のシャーマンたちも、夢見のなかで、祖先とつながったり啓示を得たりします。
 現代でも、夢占いや夢分析、催眠療法(ヒプノセラピーという名は、まさにヒュプノスが語源)は人気がありますね。

 気力や活力をくれる眠りから目覚めたら、ふたたび街へ出たいですね。
 魔法使いもたくさん住んでいそうな、数々の宝物をいだいて、美味しいものにもたくさん出会える街フェッラーラ。さまざまな意識の層をお散歩できたら、素敵ですよね。

パンパパートは、エステ家の墓所であるコルプス・ドミニ修道院(Monastero del Corpus Domini)
で、1600年代に作られたお菓子。当時貴重だったカカオをふんだんに使っています。美味しい!
ジェラートはまちがいなく美味。戸棚も素敵な、ジェラテリア
フェッラーラ名物のかぼちゃを使ったパスタ、帽子の形をしたカッペラッチ
ルクレツィア・ボルジアの巻き毛がモデルともいわれるパン、コッピア・フェッラレーゼ
おむすびみたいな形のサラミも名物
バールは楽しい

乾 ゆうこ

ライター

ホリスティックハーバルセラピスト。大学時代に花椿編集室に在籍し、「ザ・ギンザ・アートスペース」(当時の名称)キュレーターを経て、ライター・エディターとして活動。故・三宅菊子氏のもと『フィガロ・ジャポン』『家庭画報』などでアート・映画・カルチャーを中心に担当。出産を機に伝統療法や自然療法を学び、植物の力に圧倒される。「北イタリア植物紀行(全4回)」「アイルランドから〜ケルト植物紀行」(ともに『クレアボー』フレグランス・ジャーナル社)など執筆。生活の木(表参道校)ではクラスを開催。
https://www.instagram.com/nadia_laakea/