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現代銀座考

【連載】現代銀座考:Ⅵ 森茉莉と贅沢貧乏と銀座

2020.07.21

写真/伊藤 昊

文・イラスト/森岡督行

『花椿』2020年夏・秋合併号で「銀座と資生堂の物語」をテーマに銀座について考察を深めた森岡書店代表の森岡督行さんが、書籍や出来事を通して過去の銀座と現在、そして未来の銀座をつなげる新しい銀座物語です。
 時の人々が集い、数々のドラマが生まれた銀座には、今もその香りが漂っています。1964年頃に銀座を撮り続けていた写真家・伊藤昊さんの写真とともに、銀座の街を旅してみましょう。

 

 

銀座4丁目の交差点から資生堂パーラーへ向かう途中の右手には、小松ストアー(現ギンザコマツ)がある。1964年頃。

 

Ⅵ:森茉莉と贅沢貧乏と銀座

 先日、森茉莉(*1)の『贅沢貧乏』を読みました。読後の感想は、もし、私がいま20歳くらいの若者なら、現代の銀座で、どれだけ贅沢貧乏な散歩ができるかを考えただろうということです。そこで、森茉莉がジャケットを売って、贅沢費を捻出したように、自分も集めた切手を売って、一人2000円の予算を得たとして、どうするかを考えてみました(それにしても2000円は安い)。

 「森茉莉って知ってる? 森鷗外の娘なんだけど、資生堂パーラーのレモンのアイスクリームソーダが大好きだったらしい。資生堂パーラーには今もそのアイスクリームソーダがあって、よかったら今度どう?」と言って、文学部の先輩のA子さんを誘った私は、銀座三越のライオン前で待ち合わせすることに成功しました。

                     *

 12時。和光の鐘が12回鳴って、A子さんがやってきました。銀座三越のライオンはコロナ対策のマスクをしています。もちろん私たちもマスクをしています。
 まずは、歌舞伎座のほうに向かって歩き、昭和通りを左に折れて「レストラン早川」(*2)へ。手を消毒して窓際の席に着き、目玉カレー(750円)を注文。窓からは歩道に咲く紫陽花の花が見えました。「レストラン早川は1936年の創業で、森茉莉は1903年生まれだから、当時33歳。結婚して仙台に住んだこともあったけど、『仙台には銀座や三越もない』や『仙台には三越も歌舞伎座もない』と何度も嘆いたらしい」と私は言いました。「仙台はすごくきれいな街並みだし、食べものも美味しいのに」とA子さんは言いました。食後は、目の前の昭和通りをわたり、歌舞伎座を見学しました。私は次のように言いました。「歌舞伎座は岡田信一郎の設計で、彼の設計で現存するものは、音羽の鳩山会館、馬場先門の明治生命館がある」。少しおいて、「森鷗外と岡田の父の岡田謙吉は、同じ陸軍衛生部の所属で、上官も同じ人物だったから、お互い顔見知りだったかもしれない」。しかし、この話は、あまり響いていないようでした。

 中央通りに戻り、資生堂パーラー(*3)に向かいました。みゆき通りの信号を待っているとき「森鷗外は、銀座の資生堂のアイスクリーム以外、そこらの横丁の店では子どもたちにアイスクリームを食べさせなかった。衛生に気を遣っていたらしい」と話しました。 
 資生堂パーラーでも手を消毒して、壁側に着席。メニューにはアイスクリームソーダと書いてあり、季節のものとして、ブルーベリーと梅もありました。どれにするか迷いましたが、森茉莉が好んだのはレモンのアイスクリームソーダだったので、こちらを注文しました(1150円)。A子さんが天井の絵について質問すると、ウエイターの方が礼儀正しく、「流麻二果さんの作品です」と答えました。いよいよアイスクリームソーダが運ばれてきました。鷗外の時代と変わらない味を味わえるのは銀座ならでは。そして次のようなことばを交わしました。
「森茉莉は、『或日の夕食』というエッセイで、長嶋茂雄が持つ感覚を動物的カンと呼んでいて、動物たちの鋭く柔軟なカンは極少数の人間の中にだけ生きていると書いている。これからの時代、そういう野生のカンのようなものがより必要になってくると思うんだ」
「ようやく自分の意見が出た。私は現代アートに興味があるけど、きっとアーティストには動物的カンが備わっていると思う」
「あ、森茉莉もだけど具体的に、北斎と写楽、鶴屋南北、室生犀星や泉鏡花、深沢七郎、小澤征爾らの名前をあげて、人力以上のことをやる人間というものは皆、動物のカンを持っていると書いていた」
「そういえば、銀座の街にはじつはアートがたくさんあるって聞いたけど、そうなの?」
「たぶんそう。次回はそれを探しに行こう」

 こうして、レモンのアイスクリームソーダがなくなるまでの時間で、私は「次」の約束を取り付けることができたのでした。銀座の2000円の贅沢貧乏は大成功となりました。

*1 森茉莉/1903-1987年。東京千駄木生まれ。森鷗外と2番めの妻志げの長女。生来病弱だったため、特に父の溺愛をうけて成長した。さらに20代での2度の離婚経験、初婚時代の滞仏体験を経て、幻想的な芸術世界を艶美繊細に築きあげる文学的資質が開花した。50歳を過ぎて父の回想記『父の帽子』で評価を得、その後は独自の創作を展開した。主著は『貧乏サヴァラン』『恋人たちの森』『甘い蜜の部屋』等。

*2 レストラン早川/1936年創業の銀座の老舗洋食店のひとつ。目玉カレー、オムライス、コロッケや魚フライも評判。 中央区銀座4-10-7

(*3)資生堂パーラー /1902年、東京銀座の資生堂薬局の一角に、日本で初めてのソーダ水や当時まだ珍しかったアイスクリームを提供するソーダファウンテン誕生。1928年には本格的な西洋料理を取り入れ、洋菓子の製造販売もスタート。西洋の食文化をいち早く日本に発信したレストランでもある。
中央区銀座8-8-3 東京銀座資生堂ビル

クリエイターの紹介

伊藤 昊

写真家

いとう・こう 1943年大阪府生まれ。生後まもなく、両親と共に父親の実家のある宮城県涌谷町に疎開。6年生のときに、京都太秦の小学校に単身で転校。1955年に東京の明治学院中学校に入学。1961年に東京綜合写真専門学校に入学。1963年に卒業後、同校の教務部に就職。この頃に写真展を2度開催する。1968年に同校を退職し、フリーのカメラマンとなる。1978年に益子に移住し、塚本製陶所の研修生となる。1981年に築窯し陶芸家として独立。その後は晩年まで陶芸家として活動する。2015年に逝去。
5月5日に写真集『GINZA TOKYO 1964』が森岡書店より刊行された。
https://soken.moriokashoten.com/items/2dabee933141

森岡 督行

店主

森岡書店主。森岡書店代表。1974年山形県生まれ。著書に『荒野の古本屋』(晶文社)、『BOOKS ON JAPAN 1931-1972』(ビー・エヌ・エヌ新社)などがある。企画協力した展覧会に「そばにいる工芸」(資生堂ギャラリー)、「畏敬と工芸」(山形ビエンナーレ)などがある。近年は洋服などのプロデュースを手がけることも多い。株式会社森岡書店代表。『工芸青花』(新潮社)編集委員でもある。

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