銀座――この魅力的な街は、多くの人々にとって、特別な瞬間や記憶に残る場所となっています。親に手を引かれて足を踏み入れたデパート、マスターのこだわりを感じる喫茶店、初デートで訪れたレストラン。どれもが、この街の独特の雰囲気と結びついています。
連載「銀座・メモワール」では、森岡書店代表、森岡督行さんがナビゲーターとして登場します。多様なゲストが織りなす銀座の豊かな物語を共有し、銀座の多面性とその普遍的な魅力に焦点を当てます。連載を通じて、銀座の隠れた魅力と多彩なストーリーに触れ、新たな価値を一緒に発見しましょう。
連載4回目のゲストは、草木に仕える「花士(はなのふ)」というちょっと変わった肩書をもつ珠寳(しゅほう)さんです。
銀閣寺の名で知られる慈照寺の初代花方教授として、10年間にわたり足利義政時代の花を研究した珠寳さんは2015年に独立。現在は国内外を舞台に、自然や神仏に花を献ずるなど、花を通じて多岐にわたる活動を続けています。
この日は、1932年に竣工した銀座を代表するレトロ建築「奥野ビル」の一室にできた森岡書店の新しい事務所でお花を立ててくださいました。
花器に仕込まれるこみ藁〔お米の藁を乾燥させて束にしたもので花を留める道具〕、ハサミで思いきりよく切られていく枝、なみなみと注がれる水。儀式のような静謐さをもって執り行われる「たて花」は、瞬く間に部屋の雰囲気を変えていきます。
珠寳さんが花を立てる姿は凛とし、動作に一切のむだはありません。しかし、その日どんな花を立てるか、あらかじめ決めているわけではないと珠寳さんは言います。空間と花器があればおのずとやることは決まるのだ、と。
そんなたて花を極めたかに見える珠寳さんにも、師匠について鞄持ちをしていた時期がありました。そして、その当時の強烈な思い出は、銀座の街にまつわるものでした――。
花の世界の“二巨頭”が銀座で交わした歴史的会話
森岡 珠寳さんは銀座3丁目の「野の花 司」とご縁があったとか。
珠寳 はい。岡田幸三先生〔昭和を代表する花人/古典花道の研究家〕の鞄持ちをしていたときに一緒に伺っていました。古美術商に行く前や後に立ち寄られていました。当時はついて行くのに必死で、どこのお店だったかは覚えておりませんが。
森岡 岡田さんと食事をしたりとか、銀座にまつわる思い出はありますか?
珠寳 ひとつ強烈な思い出があります。岡田先生のおともで、銀座の古美術商に立ち寄り、その後銀座の大通りに面した2階にある小さなギャラリーに行ったときの記憶です。書家の方の展覧会だったと思いますが、ギャラリーの名前は記憶にありません。そこにあったベンチに偶然、中川幸夫さん〔前衛いけばな作家〕が座っておられました。古い付き合いのおふたりだとは思うんですが、先生はフッと見るだけで別に挨拶されるわけでもなかったんですが、中川さんが突然「今日本のいけ花が大変な方向にいっているから、どうぞ牽引していってください」とおっしゃって。岡田先生はただ頷いておられた。花の世界で、西の岡田、東の中川といわれた二巨頭が並んだ光景で、今でもよく覚えています。
森岡 「日本のお花を頼む」ということだったのかもしれないですね。立場の違いはあったかもしれないですけども、おふたりが目指したものは似ていたんでしょうか?
珠寳 伝統と前衛、ことばのうえでは対極にあるように聞こえますけど、きっと同じ本質を見つめておられたと思いますし、私もやはりそういう指導を受けていました。だから、お花のいけ方や立て方で、こうしなさいという指導は一切ありませんでした。生と死を見つめておられたおふたりだと思います。いけ花の原点立返ると定型がない。当然ですよね、生き物が相手ですから。
指先を頼りに、草木の“声”を聴く
森岡 目の前で花を立てていただいて、今感激しています。身が引き締まりますね。椿に傷があることにも胸を打たれました。完全と不完全が同居している感じがして。
珠寳 自然界の命ある生き物としてのお花を、人間や動物を見るときと同じ思いで見ています。ですから、完璧なものだけではなく、盛りを過ぎたものだったり、虫に食われたものだったり、これから成長する段階の草木も美しいと感じて分け隔てなく使います。そこにいろんな時間軸が入ってくるんです。
森岡 花のなかに過去・未来・現在があって、たて花はそういったいくつもの時間と空間を集約するようなものなんでしょうか?
珠寳 そうです。はじめに柳を1本立てた段階で、いろんな時空とつながるようなイメージです。
森岡 なるほど。柳というのは銀座らしいですね。
珠寳 というのも本来、花瓶のなかの見えないところが大事なんです。いちばんの見どころも、花瓶の口から数センチの“水際”といわれるところ。お花を立てるときは、ここにいちばん集中します。水際を見てから、目線を上げていって全体の花の姿を見る。水際は見えない世界から見える世界、彼方から此方への出入り口なので、エネルギーが立ち上がってくる重要な場所なんです。
森岡 “こみ藁”に立てる枝の根元を細く削ったり切ったりされていた作業も印象的でした。
珠寳 あれは、木密(こみ)に入るところをできるだけ細くして中心を取ってるんです。そうするとスッと素直に立ち上がって、枝本来の姿が生かされる。今、枝やお花の形を変えてデザインしていく用語として「ためる」が使われていますが、本来は、花には完璧な自然の美しさが備わっているので、花の姿はそのままに、花瓶の下の目に見えない部分に歪みがあれば調整します。このことを「ためる」といいます。いけ花の起源に遡れば遡るほど、そういう考え方で花を扱っています。
森岡 今日はたくさんお花をご用意いただきましたが、すべて使われるわけではないんですね。何を手がかりにお花を選んでいるのでしょう?
珠寳 「今日はこういうお花を立てよう」というのは全く頭に置かずに来ています。現場で皆さんとお会いして、空間と花瓶があるとおのずと決まっていく。お花が「はーい、私!」と言ってくる感じ(笑)。椿も最初は蕾のものを手にしたんですけれど、立ててみるとどうも違和感があって、結局この開ききった椿にしました。なるべくお花は見ないようにして、指先で情報を取るようにしています。
森岡 目では見ないんですか?
珠寳 目で見すぎると、ビジュアルに惑わされるというか、好みや情に流されて翻弄されちゃうんですね。ですから、先ほど申し上げたように、花瓶の下の歪みを整えるにはどうすればいいか、指先を頼りにして情報をもらうんです。切るときも枝から「ここです」というのが伝わってくるので、「はい」と言ってそれに従います。
森岡 お花の声を聞いているってことですか?
珠寳 実際に聞こえるわけじゃないんです。たぶん訓練だと思います。これまで数えきれないくらい稽古していますので、経験上“ここ”というのがピンポイントでわかる。でも、たまにお花(私自身)を信じられないときがあります。そんなに短く切って大丈夫かな?って。でも、それでちょっと長めに切りますと、やっぱり違うんですね。それで「あ、ごめんなさい」と切り直したりしますね。
後篇につづく…
2004年から2014年まで慈照寺(銀閣寺)にて初代花方を務め、義政公時代の「座敷飾りの花」「室礼」の顕彰、江戸中期に創流された「花術 無雙眞古流」の再生に10年間従事。慈照寺研修道場にて講座の企画、運営をし、「平和と文化」をテーマに国際交流を企画、実施。
2015年に青蓮舎を設立し、草木に仕える花士として、大自然、神仏、人に花を献ずることをライフワークとし、花朋の会では花を通して豊かな生活時間を提案している。また、能楽、現代美術、音楽、工芸、建築など、伝統から現代の国内外のクリエーターと協働。
2024年からは一般社団法人游神会を設立し、代表理事を務める。精神をおおらかに遊ばせた室町時代の阿弥系のたて花から時代を追って、「いけばな」の精神性、美と術を探求し、記録をとる事業を主軸とする。いけばなのはじまり、成立、展開、関連する学問、芸術、芸能などを知る場を作り、次代をになう人材育成に努める。
主な著書:
『銀閣慈照寺の花 造化自然』(淡交社)
『一本草』(徳間書店) 他
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