銀座――この魅力的な街は、多くの人々にとって、特別な瞬間や記憶に残る場所となっています。親に手を引かれて足を踏み入れたデパート、マスターのこだわりを感じる喫茶店、初デートで訪れたレストラン。どれもが、この街の独特の雰囲気と結びついています。
連載「銀座・メモワール」では、森岡書店代表、森岡督行さんがナビゲーターとして登場します。多様なゲストが織りなす銀座の豊かな物語を共有し、銀座の多面性とその普遍的な魅力に焦点を当てます。連載を通じて、銀座の隠れた魅力と多彩なストーリーに触れ、新たな価値を一緒に発見しましょう。
アーティストでピアニストの向井山朋子さんをゲストに迎えた連載「銀座・メモワール」。前篇では、銀座メゾンエルメス フォーラムで開催された展覧会『ピアニスト』の思い出や向井山さんが垣間見た銀座のもうひとつの顔について伺いました。後篇は、銀座でのおよそ1ヶ月にわたる自炊生活や、銀座のために向井山さんが演奏したい一曲の話に続きます。
若者の渋谷、 大人の銀座
森岡 熊野から上京されて、最初に銀座に来たときの記憶はありますか?
向井山 あんまり覚えてないですね。もう何百年も前の話ですから(笑)。
森岡 何百年前とは驚きました!そういえば約百年前、同じく和歌山出身の南方熊楠は、明治期に4ヶ月半ほど銀座2丁目14番地にあった高田屋旅館に滞在したことがあったようです。それが何かにつながるわけでもないんですけど……。
向井山 でも、「三愛」は覚えてます。確か、喫茶店が入っていましたよね。
森岡 銀座4丁目交差点の「三愛ドリームセンター」。現在、建て替え中ですが、かつては1階、2階にドトールがあり、そこでは、いつもたくさんの人が珈琲を楽しんでいました。
向井山 上階で洋服も売ってましたっけ。ファッションビルの走りみたいな印象がありました。
森岡 いつごろの三愛ドリームセンターなのだろう。
向井山 熊野の山から出てきたのが1980年代の半ば、バブルの真っ只中でした。でも私が学生の頃、銀座は学生が行くような場所ではなかった気がします。ちょうど、渋谷が台頭していた頃でしたし。
森岡 渋カジの時代ですね。自分も渋カジのスタイルを積極的に取り入れたひとりです。
向井山 段々思い出してきた。銀座は女性がいるクラブがいっぱいあって、夜おじさんたちが飲みに行く場所。学生はそういう認識だったと思います。
森岡 銀座は、憧れの街でした。
向井山 今は入りやすいお店が多くて、老若男女が楽しめる街になっていますけど、当時はまったく雰囲気が違いましたよね。
銀座での1ヶ月、 アパート自炊生活
森岡 『ピアニスト』の会期中はどこに滞在されてたんですか?
向井山 「絶対自炊をしたいので」とお願いして、銀座近くのアパートを借りてもらいました。気持ちが下がらないように。鍋とか食器も全部持ち込んで。
森岡 ずっと自炊されていたんですか?
向井山 ほとんど毎日。でもね、銀座ってなかなか食材を買えるところがないんですよ。
森岡 じゃあ、銀座ではあんまり外食はしなかった?
向井山 コンサートの前は食べられないんですよ。終わってからであれば、時間によっては「ナイルレストラン」のカレーを食べに行くこともありましたけど。あそこのカレーは中毒性がありますよね。でも、大半はアパートに帰って自炊をしていたと思います。
森岡 会期中は24日間ずっと、アパートからエルメスまで、銀座のどこかの通りを歩いて、往復されたわけですよね。
向井山 設営やリハーサルも合わせれば1ヶ月近くですね。
森岡 銀座には、超高層ビルはほとんどなく、そう高くないビルが建ち並んでいますが、その理由はいつも空が見えるように。銀座はもしかしたら日本的な風景かもしれないと思うのですが、30回近く行き来されて何か思うことはありましたか。海外の方からは銀座はクリーンということばを聞くことがありますが、確かに衛生的ではありますよね。特筆すべきは、街の人々が誰かに言われたわけではなく自発的にきれいにしていることです。
向井山 あんまり寄り道するところはないですよね。碁盤の目状に通りが伸びているし、公園があるわけじゃないし。でも、歩きやすかったですね。タクシーにも乗らずに毎日違う道を歩いていたけど、そんな印象はあります。でもそうか、改めて思い返すと、1ヶ月くらい銀座に住んでたってことですよね。
森岡 なかなかない経験だと思います。 私も銀座に住んだことないですもん、毎日通ってるけども。
銀座のために 奏でる一曲
森岡 朋子さんの代表作のひとつに、たった一人のために弾く『for you』がありますが、もし銀座が人間だとしたらどんな曲を奏でますか?
向井山 その人、大きい人ですか?
森岡 そうだな……8丁目までありますから、160センチくらいとしてみましょう。
向井山 面白い(笑)。それで、その人、子どもですか?
森岡 銀座は歴史ある街ですが、常に外に開かれているという特徴を考えると、ずっと育ち盛りというイメージもあります。新しいものに敏感で。そうするとまだ高校生くらい。
向井山 好奇心に溢れている年頃ですね。
森岡 好奇心いっぱいです。で、性別は女性かな。
向井山 えっ、そうですか?
森岡 銀座のシンボルに柳がありますが、以前花椿の連載で、『梁塵秘抄』という後白河法皇が編纂した歌集のなかに、柳を、女性に喩えた歌があるのを見つけました。反対に男性は藤として描かれています。それで女性かなと思いました。
向井山 じゃあ、銀座子さんですね。段々オーディエンスが見えてきました。
森岡 銀座子さん、演奏会には何を着ていくかな。古着屋で見つけた80年代–90年代頃のISSEY MIYAKEですかね。東洋でも西洋でもないデザインを一生さんが模索していたというのを親から聞いて、もしかしたらこれがそうなんじゃないかと思って着ている。
向井山 銀座子さんに何を弾くか、ですよね。私、今アンビエント・ミュージックに興味があるんです。
森岡 アンビエント?
向井山 細野晴臣さんや坂本龍一さんをはじめ、日本でも独自の発展をしている音楽ジャンルで、「環境音楽」と言われることもあります。古くはエリック・サティの「家具の音楽」にまで遡ります。シンセサイザーを使ったアンビエントもあれば、ジョン・ケージの「4分33秒」がアンビエントの極致だと言われることもあったり。要は、家具のように存在する、主張のない音楽です。今私たちが求めているのは、そういう音楽かもしれない。それで最近は自分でアコースティックで、電子を通さないアンビエントをつくりたいなと思っているんです。音を出す方も受ける方も「聴く」という行為をあらためて考えるような音楽を。現代的でグローバルな銀座子さんには、その曲を聴いてもらいたいです。
森岡 銀座子さん、どんな反応するかな。
オランダ、アムステルダム在住。2007年、向井山朋子ファンデーションをオランダに設立。1991年国際ガウデアムス演奏家コンクールに日本人ピアニストとして初めて優勝、村松賞受賞。また、近年は従来の形式にとらわれない舞台芸術やインスタレーション作品を発表。2015年には日本で一般社団法人○+(マルタス)を設立し、プロデュースの分野でも活躍。音楽のみならず、美術、建築、ファッション、ダンス、写真など、幅広い分野とのコラボレーションにより、自身の表現を続ける。近年の発表作品に、コンサート&ビジュアルインスタレーション『KUMANO』(2021)、コンサート『Love Song』(2022)、インスタレーション・パフォーマンス『figurante』(2023年)などがある。デビュー・アルバム『Women Composers』のリマスター盤が発売中。