ベルギー出身の画家、ルネ・マグリット。
その絵は、床から天井まで部屋いっぱいにひとつのリンゴが占領していたり、(岩を彫ったようにも見える)お城を載せた岩が海のうえに浮かんでいたり、そうかと思うと、黒っぽいコートに山高帽の男性たちが建物の周りや空にたくさん浮いていたり。
海のうえの暗い空には、羽ばたく鳥のシルエットのなかに、白い雲の浮かぶ昼間の空が描かれて。あるいは、街灯の灯る暗がりのうえに広がるのは、やっぱり白い雲の浮かぶ空…。
どれもなにか不思議で、見る側の想像力をかきたてるマグリットの作品は、日本でもとても人気がありますね。
ブリュッセルの中心地から、市電やタクシーで行くことのできる静かな住宅街に、彼が1930年から24年間住んで、制作を続けた家があります。
小さな美術館(Musée Rene Magritte)として公開されていますが、玄関ドアの呼び鈴を鳴らして、なかから鍵を開けてもらって入るのは、なんだかお友だちの家を訪ねたときのよう。
マグリットの作品は、20世紀の初めに生まれた〈シュルレアリスム〉という思想、芸術運動と寄り添いました。シュルレアリスムは、日本では超現実主義と訳されていて、非現実的なこととか幻想的なことと思われがちです。〈シュール〉という言い方が使われたりもしますね。
でも、ほんとうは〈超・現実主義〉と考えるほうがぴったりです。〈超〉は〈ちょー可愛い〉の〈超〉に似ていて、〈すごい〉とか〈強い〉ということ。
つまり〈超現実〉とは、現実を超えた、〈強い現実〉〈強度の現実〉のことなのです。
シュルレアリスムは、第一次大戦から帰った若い芸術家たちが中心となった運動です。それまでの価値観が崩壊してしまったところから、始まった思想なのですね。
今の時代にとっても、とても重要なことを教えてくれる思想かもしれません。
(シュルレアリスムについて、興味のある方、もっと知りたい方は、ちくま学芸文庫の巖谷國士著『シュルレアリスムとは何か』をお読みになるとよいでしょう。とても読みやすくて、わかりやすい本なのでおすすめいたします)
さて、ブリュッセルにマグリットの美術館は、もうひとつあります。美術館や庭園の集まる、芸術の丘(Mont des Arts)と呼ばれる場所のマグリット美術館(musée magritte museum)。
たくさんのマグリット作品の森は、不可思議でおもしろくて、迷い込んで抜け出せなくなりそうな、魔法の森かもしれません。
マグリットは、身近なオブジェを繰り返し描きましたが、リンゴもそのひとつ。そして、北欧神話に登場するリンゴも重要です。(ギリシア神話でも、リンゴのお話がありました。その話は「神話と植物の物語―北イタリア紀行―」Vol.9にて)
北欧神話の神様たちは、不老不死ではありません。ギリシア神話の神様たちとは違うのですね。
女神イドゥンは、黄金のリンゴを守っています。そして毎日、神様たちはイドゥンから、この若さの秘密であるリンゴをもらって食べるのです。だから神様たちは、いつも若わかしく元気です。
ところがあるとき、イドゥンが姿を消してしまいました。さあ大変! 神様たちは、イドゥンからリンゴをもらえないので、だんだん具合がわるくなってきました。年をとり、髪も白くなってきます。
そこで神様たちは集まって、イドゥンの姿を最後に見たのは誰かと、尋ねあいます。そして、女神がロキと一緒に、神々の国アースガルドから出ていったことがわかりました。
ロキというのは不思議な存在です。〈閉じる者〉〈終える者〉という意味を持つ彼は、神でありながら、神々の敵である巨人の子として生まれ、神々の国に住み、けれどひどい悪戯をしたり、残酷なこともしたり。かと思うと、神々の役にたってもいたり。
今回は、巨人に捕まって、リンゴを持ったままのイドゥンを連れてくるという約束をしてしまい、イドゥンを騙して連れ出したのでした。
さあ、神様たちは、ロキを取り囲んで脅かします。ロキは心配になって、女神フレイヤの〈鷹の羽衣〉を貸してもらえるなら、巨人の国ヨーツンヘイムへ飛んで行って、イドゥンを探してくると言いました。
女神は〈鷹の羽衣〉を貸すことを承諾したので、ロキは巨人の国へ飛び立ちます…
さて、このお話はもう少し続きます。
長くなってしまったので、いったんここまでとして、次回は女神イドゥンのお話の続きから始まります。