白鳥たちを眺めやり、橋を渡って、小さな門をくぐります。
するとそこには、さやさやささやく、明るいポプラの林が広がっていました。樹々に守られるように、林のむこうに端正なたたずまいを見せるのは、ブルージュのベギンホフ(Begijnhof、ベギン会修道院)。
(ポプラのお話は、ギリシア神話に登場します。「神話と植物の物語―南イタリア紀行―」Vol.1後編 )
〈愛の湖〉と呼ばれるミンネワーテル(Minnewater)に続く運河沿いの建物は、17世紀に建て直されて、現在はベネディクト派の修道院となっています。Minnewaterのminneは、〈愛の〉とか〈奉仕の〉という意味です。
その静謐で質素な空間は、訪れる人の心を静かにうって魅了します。
ベギンホフというのは、フランドル地方に生まれた、女性の自立を支援するための団体です。かつてはフランドル地方の各地にありました。
13世紀初めに、フランドルとエノーを統治した女性がいました。ジャンヌ・ド・コンスタンティノープル(Jeanne de Constantinople)。
彼女は、女子修道院や施療院などを設立します。社会で女性が活躍できるよう、支援したのです。ブルージュのベギンホフも、彼女と彼女の妹の援助で設立されました。
中世は、戦争や十字軍の遠征で、未亡人となる女性たちも多い時代でした。そのうえ、女性が一人で生きていくのはたいへんだった時代。
ベギンホフはそんな時代に、織物や看護、教育、執筆などの分野で、女性たちの自立を助けました。
社会から孤立せず、また自分の財産を捨てずに、ともに生きる共同体。それは革新的な考えだったことでしょう。フェミニズムの先端ですね。
でももともと古い時代から、女性たちは一緒に糸を紡いだり、織物をしたりしながら、互いに支えあって生きてきたのです。だから、それはとても自然なことでしょう。
そしてベルギーといえば、繊細な美しいレース編みも有名ですが、それもまた女性たちの自立の歴史にとって、とても重要なものだった、ということですね。
フランドルのレースは伝統的に、亜麻(アマ)が使われます。
この亜麻という植物の起源を、ゲルマンの神話は、つぎのように語っています。
あるとき一人の男が、鹿を追って、鹿の隠れた岩の後ろにまわりました。
すると、そこには真っ白い氷河が広がっていて、太陽の光にまぶしく輝いています。
男はびっくりして、しばらくぼんやりとしていました。そのうち、ふと、氷河のなかに、ひとつの扉が開いているのに気づきます。
不思議に思って、大胆にも、そのなかへ入っていきました。
暗い道をしばらく進むと、上からたくさんの鍾乳石が垂れ下がっている、広間のようなところに出ました。鍾乳石のあいだには、さまざまな宝石も輝いています。
そこは、ホルダ女神(Holda)の宮殿でした。
広間の真ん中には、白銀で飾った衣をまとって、輝く女神がたたずんでいました。女神のまわりには、薔薇の冠をつけた、可愛らしい少女たちも並んでいます。
北欧神話の神々の王オーディン(Óðinn)の妻フリッグ(Frigg)を、ドイツではホルダと呼ぶそうです。
大地と愛と豊穣の女神で、大気と雲や天気をつかさどるともいわれます。雲は、彼女の織った布なのです。
女神は、どうしてここへやってきたのか尋ねます。訳を話して詫びる男に、女神はいいました。
「せっかくだから欲しいものをいいなさい、おみやげにあげましょう」
男はきらめく宝石の数々を眺めまわしました。それから女神の美しい手のなかにある、青い花の花束をみつめました。
そして、その花束をくださいませ、といいました。
すると女神は、宝玉ではなく花束を選んだことを褒め、
「この花束がしぼまぬ限り、そなたの命はいつまでも続くであろう」と、花束を渡しました。
女神は自分の名を告げると、いいました。
「この袋もそなたに与えることにしよう。袋のなかには、まだ人間世界に知られていない不思議な植物の種子が入っています」
そして、その種のまき方も教えました。
男が洞窟から出るや、雷鳴がとどろき、大地も揺れるよう。驚き急ぎ家に帰り、妻に不思議な出来事を話して、さっそく種をまきました。
ある月夜の晩、植えた畑のそばで、男がたたずんでいるときのこと。
幻のような人の姿が現れて、大きくなりかけた植物に祝福を与えるかのように、両手を広げました。そして、ふわふわと畑の上を動いていった、と思うと、ふっと消え失せました。
やがて、小さな花がたくさん咲きました。花が散ると、たくさんの実を結び、種子ができました。
すると、幻のような姿がふたたび現れました。ホルダ女神です。
女神はこの植物が〈亜麻〉であることを教え、今度は、それを布にする方法を教えました。
農民の夫婦は教えられたとおりに、収穫して、紡いで織って、白く晒して、布地を織りあげます。
美しい布地ができあがると、みな欲しがりました。そうして、夫婦はたいへん裕福になりました。
ところで、あの花束はどうなったでしょう。
男は花束を大切にしまっていました。男に子どもが生まれて、孫が生まれて、ひ孫が生れても、不思議なことに、花束はずっともとのままの様子でした。
けれどもある日とつぜん、花束はしぼんだのです。
男はそれを見て、人生の終わりを知りました。そして、あの氷河に向かいます。
そこにはいつかのように、ひとつの扉が開いていました。
男はそのなかへ、姿を消していきました。そののち、男の姿を見た者はなかったといいます…。
さて、私たちは、〈屋根のない美術館〉ともいわれるブルージュの街で、教会や美術館の扉をくぐってみることにしましょう。扉の先には、美しい色彩のフランドル美術の数々が輝いています。
ところで、Vol.4でご案内したフランドル絵画は、油絵の歴史としても重要です。画家自身が絵の具を工夫して、絵に光沢を出したのです。
その油絵の具には、亜麻仁油も使われてきました。亜麻仁油は、亜麻の種からとられます。
なるほど、フランドル絵画のなんともいえない艶やかな画面には、女神の光も宿っているのかもしれませんね。
まずはメムリンク美術館(Hospitaalmuseum Memling in Sint Jan)へ。
12世紀に建てられた聖ヨハネ施療院を改装した美術館です。貧しい人たちを治療し、また旅人にも、宿としてひらかれていたそう。
その場所へ行かなければ、見ることのできない作品、というものがあります。
メムリンク美術館にある、〈聖ウルスラの聖遺物箱〉(Het Ursulaschrijn、1489年)もそうでしょう。ベルギーの7大秘宝のひとつ、といわれるそうです。
じつはこの〈聖ウルスラの聖遺物箱〉を見て、やはり同じくベルギーの7大秘宝のひとつ、ゲント(Gent、ヘント)にあるヤン・ファン・エイク(Vol.4)の〈神秘の子羊〉(Het Lam Gods、ヘントの祭壇画、1432年)も見なければ!と強い思いに駆られてしまいました。そしてこのあと、予定をやりくりして、ゲントに寄ってしまうことになります。
出会いで予定が変更されてしまうのも、旅のおもしろさですね。
それからまた街に出れば、小さなウィンドウのなかから目くばせしてくるような、すてきなお菓子の数々。きらきらして宝石みたい!
どのお店の扉もくぐって、味わってみたくなります。
空に浮かぶような、店々のサインも、ヨーロッパならではの楽しみです。そしてついにこうしたサイン自体も、扉に見えてくる…。
そうですね、これも扉といえるかもしれません。
ほんとうにいろいろなところに、扉はひらかれているにちがいありません。
私たちのすぐ近くに。