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恋する私の♡日常言語学

2020.02.04

恋する私の♡日常言語学                 Ordinary Language School【Vol.6】

文/清田隆之(「桃山商事」代表)

協力/小川知子

イラスト/中村桃子

vol.6 「メンヘラ」「メンヘラ」って簡単に言うけれど

「恋愛とことば」をテーマにした連載「恋する私の♡日常言語学─Ordinary Language School」。かつてオックスフォード大学で哲学を学ぶ人々を中心に「日常言語の分析が哲学者の中心課題だとする方法意識」という思考のもとうまれた「Ordinary Language School」(日本大百科全書より)。この思考にヒントを得て、数々の恋愛話を傾聴してきた恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表の清田隆之と、『みんなの恋愛映画100選』(オークラ出版)の選者も務め、人から話を聞くことを専門とするライターの小川知子が、「ことば」をめぐる恋愛の諸問題について語り合っていきます。
 意中の人や恋人となんだか上手くコミュニケーションが取れなかったり、すれ違いに悩んでいるあなた! その原因は「ことば」にあるかもしれません!

泣かれたり、病まれたり、鬼電かかってきたり

清田隆之(以下清田) ここ数年、大学生の恋愛相談を聞く機会がすごく増えたんだけど、結構な割合で「メンヘラ」ってことばに遭遇するのね。とりわけ新しいことばではないし、恋愛の文脈でよく使われるものでもあると思うんだけど、なんと言うか、その「使われ方」に引っかかりやモヤモヤを感じていて。

小川知子(以下小川) 私も前に調べたことがあるんだけど、このことばは元々、2ちゃんねるの「メンタルヘルス板」にいるような人を指すネットスラングから来ているみたいだね。心に不調を抱えた人、精神が不安定な人、ネガティブ思考な人、あるいはその状態を表すことばとして流通していると思うけど、清田くんがモヤモヤを感じてるのはどんなところなの?

清田 さまざまな使われ方があって一概には言えないんだけど、まず、男女ともにめちゃくちゃ簡単にこのことばを使う点が気になっている。精神の不調って治療や診断の必要があるかもしれない問題のはずなのに、あまりに軽やかに表現されている印象があって聞くたびドキッとする。

小川 いろいろセンシティブなものを含む問題だもんね。

清田 あと、これは恋愛相談の場で聞いている点が大きく関係しているのかもしれないけど、女子がメンヘラになる側、男子がさせる側であることがほとんどで、特に男子学生たちの使うメンヘラってことばがなんかちょっとエグいのよ……。

小川 エグいというのは、具体的にどういうこと?

清田 例えば以前、「彼女がメンヘラになるから別れられない」という男子の話を聞いたのね。彼はサークルの後輩と付き合っているんだけど、元から強い恋愛感情は持っていなくて、惰性で続いているような部分があった。で、彼としてもこの状態はよくないと考え、別れの機会をうかがっているものの、彼女に泣かれたり、病まれたり、鬼電かかってきたりすることが繰り返されてなかなか別れられない──という話だった。

小川 なるほど。その「泣かれたり、病まれたり、鬼電かかってきたり」という状態を彼はメンヘラと言っている。

清田 そうそう。でもさ、彼女の側からしたら、恋人からイマイチ好かれている感じが得らない、でも定期的にセックスはする、でも気持ちをぶつけようとするとやんわりかわされる、でも会ってるときは優しいし楽しい、でも常にうっすら別れの気配が漂ってる、でも拒むと別れを思いとどまってくれる……という風に、混乱やむなしな状況が続いているわけだよね。そんな状態の彼女を「メンヘラ」のひと言で説明しちゃってるところがエグいというか、めちゃくちゃ引っかかるところで。

小川 相手の気持ちが見えなかったり、何かと逃げがちな人だったりした場合、不安が募って鬼電しちゃうのって誰しも一度くらい経験あると思うし、気持ちはわかる。恋人の不安に向き合わない人って、特に男性に多いように感じるし。彼らは見たくないものから目を背けるというか、レッカー車とかワイパーみたいに、便利なことばを使って片づけようとする。そうするのがとても楽だから。

自分の落ち度や加害者性を巧妙に棚上げ

清田 しかもメンヘラということばってさ、特に俺が話を聞いた男子たちの使い方においては、自分の落ち度や加害者性を巧妙に棚上げし、相手に責任を押し付けようする意図を感じるのよ。男子サイドが傷つけたり悲しませたりしている部分も大きいはずなのに、なぜか「面倒くさい女」「過度に依存してくる女」みたいなニュアンスを出し、自分はむしろ“被害者”だという構図を作り出すというか……。

小川 だとしたら最低だね。

清田 「メンヘラ製造機」とか「メンヘラホイホイ」なんてことばもよく聞くけど、そこには「引っかかる女が悪い」「自業自得」「男側にも同情する」みたいな意味が内包されているような気がするんだよね……。本人たちにどこまで自覚があるかはわからないけど、男子たちがメンヘラということばを使うとき、そういったニュアンスが感じられるのよ。

小川 思うにそれって、女性陣の前ではあまりおおっぴらにしない話なのかもしれない。彼らは清田くんが同性だからそういうことばとニュアンスを出してるんじゃないかな。姫野カオルコさんの小説『彼女は頭が悪いから』(文藝春秋)の中でも似たようなシーンがあったよね。男同士の会話の中で同調や免責を期待し、肉体関係を持った女性をけなすような物言いをするやりとりが。

清田 なるほど……そっか。これってホモソーシャル的な現象なのか。すごい納得。「男ならわかりますよね?」みたいな暗黙の共感を期待されてる感じもモヤモヤの一因だったのかも。

小川 メンヘラってことばは響きが軽いから、「あいつはメンヘラホイホイだから近寄らないほうがいいよ」とかって、おもしろおかしい感じで片づけられちゃう。内実はわりと重たいはずなんだけど、それを重いものとして捉えるんじゃなく、ちょっとまろやかにキャラ化して大衆化させてしまう便利なラベルとして機能している。これは空気を読むことを求められる日本の社会でよく見られる現象だと思う。

清田 恋愛相談の現場にはメンヘラを自認する女子も結構来るのね。それこそ不安で彼氏に鬼電かけちゃったり、未練を断ち切れずにネットストーカーしてしまったり……彼女たちはそんな自分をメンヘラと表現する。

小川 自虐ネタみたいなニュアンスだよね。

清田 そうそう。でも、よくよく話を聞いてみるとさ、例えば肉体関係を持った相手が急に音信不通になったり、彼氏が忙しいと言って全然会ってくれなくなったり、それ相応の事情があったりするのよ。そんなの不安になって当然だし、理由や原因がわからないと無限の推測地獄にハマってしまうことは大いにあるわけで。

小川 「本当はどう思ってるんだろう?」っていうスパイラルね。

清田 本来なら責められるべきは男性側の言動であるはずなのに、病んだり執着したり極端な行動を取ったりしてしまう自分をメンヘラと自虐的に表現してしまう。茶化して軽くしようというニュアンスもあるとは思うんだけど……。

小川 「名づけの効能」というか、言いようのない自分の状態に名前がついたときの安心感やスッキリ感というのもあるじゃない。だからメンヘラということばに救われている部分も確実にあるとは思うんだけど、いったん名づけてしまうと今度はそれが呪縛になり、自己否定につながっていく可能性も大いにあるわけで、う〜んってなる問題だね。

シンプルなことばだけじゃ絶対に足りない

清田 ここまで、男子は他責的に、女子は自責的にメンヘラということばを使うことが多いように感じるって話をしてきたけど、どちらの場合にも裏側には「メンタルは安定していることが望ましい」という価値観が存在しているわけだよね。もちろん安定しているに越したことはないかもしれないけど、よく考えたらメンタルってそんな常に安定しているものなのかな……。

小川 常に揺れてるほうが自然だと思うけど。絶好調のときもあれば傷つきやすい日もあるし、生理前とかはもう自分が虫ケラみたいに思っちゃったりもするし、些細なことで乱高下したりもする。

清田 そうだよね。でも、メンヘラってことばを内面化してしまうと、ネガティブな感情をまるで駄目なもののように思い、「こっちに面倒かけんな」と圧力をかけたり、逆に自己防衛的に自虐してしまったりする。

小川 メンヘラということばでひと括りにしないで、感情の内訳を冷静に考えられたらいいよね。不安なのか傷つきなのか、怒りなのか悲しみなのか。例えば「あなたが急に連絡を取れなくなってしまうことは私を不安にします。それをやめて欲しい、それが無理なら一緒にはいられない」とか、はっきり伝えてみる。あるいは別れたくないんだとしたら、じゃあ妥協案はどこなのか、どこまでお互い受け入れることができるのか……という風に考えていけたらいいなって思う。

清田 問題を因数分解していく感じだよね。

小川 そうそう。もちろん言うほど簡単なことではないけど、便利なことばで片づけてしまうのではなく、ネガティブな感情の正体を具体化させることができれば、自分で取り扱えるものになっていく気がする。自分の状態を自分のことばで説明できることは、自分自身を知ることにもつながるわけで。

清田 少し話は飛ぶけど、北海道の浦河という町に「べてるの家」という、主に統合失調症という精神疾患を抱えた人たちが暮らす地域活動拠点があるんだけど、ここでは精神科医がつける医学上の病名よりも、「自己病名」といって自分で自分に病名をつける文化があるのね。

小川 すごくおもしろい取り組みだね。例えばどんなものがあるの?

清田 「精神バラバラ状態」とか「基本頑張りタイプ信用回復不安型」とか、「金欠ウォーキング型過去引きずり女タイプ」とか「教育ママ乗っ取られ暴走型いきづまり爆発タイプ」とか……自分の実感を何よりも大切にしながら、自分の苦労を自分で研究して名前をつけるんだって。これを「当事者研究」と言うんだけど。

小川 私はこういうときにこういう状態になりやすい、こういう状態になるとこういう行動を取りやすいって、自分の傾向や性質を把握するのはすごく大事なことだと思う。精神状態って人によっても状況によっても異なるはずなのに、それをメンヘラというひとつのことばで括っちゃうことのほうがおかしいんじゃないかって話だよね。

清田 メンヘラって、プロセスとか背景を無視して「不安定になっている状態」だけをフォーカスすることばのような気がする。

小川 もちろん「ことば」というもの自体にそういう性質があって、ことばが与えられたことによって安心を得られることもあれば、それによって切り捨てられたりこぼれ落ちたりするものもあって、そこが難しいところではある。

清田 気持ちが不安定になるってことは、自分の中の語彙を耕すチャンスでもあると思う。そう考えると、メンヘラってことばはそういう機会を奪ってしまうものなのかもしれない。思う存分に揺れることができなくなってしまうという意味で。

小川 私たちは非常にコンプレックスで、複雑に絡み合ったものでできているわけで、シンプルなことばだけじゃ絶対に足りないんだよね。清田くんが言うように、語彙力は自分をより自由にしてくれるものだから、完全に捉えることはできない相手を追いかけて不安になるよりも、捉えることができる言葉を増やしていくことに夢中になれる自分でいたいものだよね。

清田隆之

文筆家

恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。
1980年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。これまで1200人以上の恋バナを聞き集め、「恋愛とジェンダー」をテーマにコラムやラジオなどで発信している。著書に『どうして男は恋人より男友達を優先しがちなのか』(イースト・プレス)、『さよなら、俺たち』(スタンド・ブックス)、『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』(扶桑社)、澁谷知美さんとの共編著『どうして男はそうなんだろうか会議 いろいろ語り合って見えてきた「これからの男」のこと』(筑摩書房)がある。近著に『おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門~暮らしとメディアのモヤモヤ「言語化」通信~』(朝日出版社)、文庫版『よかれと思ってやったのに──男たちの「失敗学」入門』(双葉社)がある。
イラスト/オザキエミ
https://twitter.com/momoyama_radio

小川知子

ライター

1982年、東京生まれ。上智大学比較文化学部卒業。雑誌を中心に、インタビュー、映画評の執筆、コラムの寄稿、翻訳など行う。共著に『みんなの恋愛映画100選』(オークラ出版)がある。
https://www.instagram.com/tomokes216
https://twitter.com/tometomato

中村桃子

イラストレーター

1991年、東京生まれ。桑沢デザイン研究所ヴィジュアルデザイン科卒業。グラフィックデザイン事務所を経てイラストレーターにとして活動。装画、雑誌、音楽、アパレルブランドのテキスタイルなど。作品集に『HEAVEN』がある。
https://www.instagram.com/nakamuramomoko_ill/