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恋する私の♡日常言語学

2019.11.14

恋する私の♡日常言語学                 Ordinary Language School【Vol.4】

文/清田隆之(「桃山商事」代表)

協力/小川知子

イラスト/中村桃子

vol.4 わかるようでわからない「自己肯定感」ということば

「恋愛とことば」をテーマにした連載「恋する私の♡日常言語学─Ordinary Language School」。かつてオックスフォード大学で哲学を学ぶ人々を中心に「日常言語の分析が哲学者の中心課題だとする方法意識」という思考のもとうまれた「Ordinary Language School」(日本大百科全書より)。この思考にヒントを得て、数々の恋愛話を傾聴してきた恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表の清田隆之と、『みんなの恋愛映画100選』(オークラ出版)の選者も務め、人から話を聞くことを専門とするライターの小川知子が、「ことば」をめぐる恋愛の諸問題について語り合っていきます。
 意中の人や恋人となんだか上手くコミュニケーションが取れなかったり、すれ違いに悩んでいるあなた! その原因は「ことば」のチョイスにあるかもしれません!

「自己肯定感が低い」と「自信がない」はどう違う?

小川知子(以下小川) ここ数年、SNSを中心に「自己肯定感」ということばをよく耳にする。私も友達との会話の中で何気なく使ってしまうことがあるけど、実際のところ、このことばが何を指し示しているのか、わりと曖昧だなと思うところがあって。

清田隆之(以下清田) 恋愛相談を聞く中でも、結構な割合で「自己肯定感が低い」ということばに出くわす。文脈から判断するに、自分を好きになれないとか、女性として自信が持てないとか、マイナス思考であるとか、常に不安な気持ちがあるとか、いろんな意味で使われていることはわかる。本来それらはすべて別の問題であるはずなのに、「自己肯定感」ということばで一緒くたにしているところに少し引っかかりを感じるというか。

小川 そうなんだよね。自分の状態を説明することばとして便利すぎるという部分があるのかもしれない。

清田 さまざまなところでなされている説明を総合すると、自己肯定感とは「自分を尊重し、自らの価値や存在意義を肯定的に思える感覚」という意味になると思う。とても大事なものであることは確かだけど、一方で「わかるような、わからないような……」という捉えどころのなさも正直ある。

小川 そういうものって、一昔前だったら「自信」ってことばで表現されていたような気がする。でも自己肯定感ということばが普及して以降、それが自信とは微妙に区別して使われている点に興味がある。

清田 「自己肯定感が低い」と「自信がない」では、確かに指し示しているものがちょっと異なっている感じがするね。

小川 つまり、その「自」の部分がどこにあるのかって話だと思うのよ。自信の場合の「自」って、能力やスペックのような視点で見たときの自分に近いニュアンスだと感じる。自信は「つける」とか「獲得する」って表現されるように、努力や意識によって得ていくものとも言える。

清田 そう考えると、自信って「doing(行為)」にひもづいたものなのかもしれない。積み上げたり、他者と比較したり、外部から承認されたりすることを要する、みたいな。

小川 試合に勝って自信がついたとか、名門大学に合格したことで自信を獲得できたとかね。自信は英語だと「pride」とか「confidence」と表されるけど、度が過ぎると傲慢「arrogance」にもなり得るし、良くも悪くも使われるよね。一方の自己肯定感は、英訳すると「self-esteem」。このselfの部分「自」は、むしろ「being(存在)」というか、陳腐な言い方をすれば「ありのままの自分」というイメージになると思う。そして自己肯定感とは、獲得するというより「あることに気づく」という類のものではないかと私は考えている。

清田 確かにそうだね。もちろんそんなきっぱり区別できるものじゃないと思うけど、ことばの使い方に着目してみると、自信や自己肯定感と呼んでいるものの輪郭がそれぞれ見えてくるし、それは自己理解にもつながっていくという……まさしく「日常言語学」っぽい話になってきた(笑)。

『クィア・アイ』が教えてくれること

小川 恋愛相談の場で「自己肯定感が低い」って話がよく出てくると言っていたけど、これは恋愛とも密接につながる問題だよね。

清田 自己肯定感の低さが直接的な悩みになっているわけではないんだけど、それは具体的な「困りごと」とセットで語られる。例えばモラハラ彼氏と別れられないとか、出会いの場に出かけるのが怖いとか、ダメだと思いつつセフレからの呼び出しに応じてしまうとか、そういう話を掘り下げていく中で「私は自己肯定感が低いので……」という話が出てくるケースが多い。

小川 なるほど。断れないとか、決められないとか、堂々と振る舞えないとか、そういった悩みの“発生源”みたいなものとして自己肯定感の低さが挙げられるわけだね。

清田 その感覚はおそらく、育った環境とか、経験とか人間関係とか、これまで生きてきた何万時間という歴史の中で形成されてきているはずなので、すごく切実で、それがゆえに根深いものだと思う。ただ、そこに「自己肯定感が低い」というわかりやすいことばを貼りつけてしまうと、解体するのが難しくなるどころか、ある種の“呪い”となってどんどん強化されていってしまう気もするというか……。

小川 便利なラベルをいったん剥がして、困りごとは困りごととして各論的に対処しつつ、狭義の自己肯定感に関しても、それはそれで独立した問題として考えてみましょうってことだよね。

清田 そうなのよ。だとすると、その狭い意味での「自己肯定感」ってのは一体どういうものになるんだろうか?

小川 Netflix配信の人気リアリティ番組『クィア・アイ』なんかを見ていると、自己肯定感も自信も一緒にアップしているように感じる。5人のファビュラスなゲイ男性ことファブ5が、悩めるターゲットをポジティブに変身させるという、日本で言う「亭主改造計画」みたいな主旨で始まった番組で、すごくおもしろい。個性の異なる5人それぞれのプロの手腕で内からも外からも魅力的に変身させていくので、当人もどんどん自信をつけて、目の輝きや発するオーラが変わってくる。ビューティ担当のジョナサンが「Confidence is sexy.」と言っていたんだけど、私も自信=セクシーだとすごく思う。

清田 またジョナサンは「Knowing who you are is sexy.」とも言っていた。これは「自分のことを知っている人は魅力的」って意味になると思うけど、こっちはニュアンス的に自己肯定感という感じがするよね。

小川 そもそもファブ5自身がたくさん傷ついて努力してきた人たちだから、とにかく優しいんだよね。でも嘘はつかない。正直に「こんな汚いとこ住めない!」とか「この服はイケてない!」とか言いながら、ハグしたり手をつないだり、めちゃくちゃ当たり前に人として寄り添うの。自分を否定したり、自分を大切にしないことに、「今のあなたはここがダメ」とは言うけど、無理強いしたり、人間性を否定したりは絶対にしない。相手をリスペクトし、対話をしながら、互いに学び合って、ターゲットとなる人に合ったやり方でより輝かせるためのアイデアをあらゆるベクトルから提供していくところが素晴らしい。

清田 枠にはめるのではなく、その人の“生成り(きなり)の状態”を探るというか、ヒアリングしながら内在する願望や理想像を見つけてバックアップしていくんだよね。それで、行きたい方向とか、なりたいイメージとか、持ってるいいものとかを、促したり磨いたりしながらその人に合った魅力を演出していく。それは小川さんの言うように、まさに「あることに気づく」って感じだよね。

「美人だけど自己肯定感が低い」のはなぜなのか

清田 ときどき姪っ子や甥っ子と遊ぶんだけど、あの人たちって瞬間瞬間で「どうしたいか」がハッキリあるんだよね。例えば「あれに触ってみたい」とか、「なんか右に曲がりたい」とか、意味はよくわかんないんだけど、やりたいことや行きたい方向が明確に存在している。

小川 行きたくないとかやりたくないとか、「嫌だ」って感覚もハッキリあるよね。

清田 そうそう。おそらく身体が発している声、つまり予感や直感、勘や皮膚感覚みたいなものに逆らわず生きてるってことなんだと思う。もちろん他者と関わったり社会に出たりすると、常にそういうものに従って行動するのは難しくなるけど、少なくとも自分の気持ちがどちらに向いていて、自分が何を嫌がっているかを知ることは、自己肯定感と密接につながっているような気がする。

小川 知り合いに「美人だけど自己肯定感が低い」という自己認識の女の子がいるのね。彼女は自分が万人受けする外見だってことはわかっていて、そのための努力もしている。だからある程度の自信は持っているんだけど、そんな自分のことはあまり好きじゃないみたいで。「もっと個性的な顔になりたかった」と言うし、「自分に寄ってくる男性は苦手だ」とも言う。でも、モテたり、まわりに受け入れられやすかったりという成功体験があるから、今さらどうすればいいかわからなくなってしまっている。

清田 なるほど……。前に桃山商事にも、有名大学を出て一流企業で働いているにも関わらず、「自分が何をしたいのかよくわからない」と悩む男性が相談にきたことがある。彼は小さい頃から親の言いつけを守って塾やピアノに通い、優秀な成績を収めてきた。でも大人になった今、自分の気持ちがよくわからず、そのことで恋愛相手を傷つけてしまうみたい。社会規範とか外部の基準に身を委ね、望まない努力や我慢を続けてしまった結果、自信や成功は手にできたけど、自己肯定感みたいなものがなかなか育たなかったのかもしれない。

小川 親との関係も含めて、環境って自己肯定感とすごく結びついていると思うんだよ。「生まれてくれて嬉しい」とか損得に関わらず「あなたがいてくれて嬉しい」とか、そういう愛情の蓄積でもあるし、自分とは違う人と関わって、ぶつかりながら自分を知って、自分らしく生きていく、その積み重ねで育つものかも。だから、生育環境だけに拠るものとは言えないし、今いる環境もすごく重要だよね。こないだ観た劇団「ゆうめい」の舞台『姿』にとても感動したんだけど、あれは自己を肯定するための物語だった。

清田 あれは本当に素晴らしい作品だったね……。

小川 作・演出を務めた池田亮さんの自伝的作品で、彼には中学時代に壮絶ないじめに遭ったり、自分のやりたいことを母親から全否定され、父からも守ってもらえずに生きてきた過去があって、それをドキュメンタリー的な手法で演劇作品にしている。

清田 池田さんがすごいのは“加害者”のことをとことん知ろうとする姿勢だよね。『姿』では両親に、いじめ経験を題材にした『弟兄(おととい)』ではいじめっ子たちに直接話を聞き、上演許可まで取って実名で舞台化しているところがまじですごい。

小川 傷つきやトラウマ、怒りや恨みはもちろんあるんだけど、自分を否定し、攻撃してきた相手に対し、自分も同じことを仕返しするのではなく、「なぜ相手はあんなことをしてきたのか」「あのとき相手はどういう気持ちだったのか」をとことん考えて、探っていくんだよね。与えられた環境のせいにせず、理解するために時間をかけて過去と向き合える自分を支えてくれる今の環境を形成して、親やいじめっ子たちと対話を重ねてきたのは、おそらく自分自身を肯定するための行為だったんだと思う。

清田 池田さんがやったような作業はもちろん簡単なことじゃないし、向き合うことにはコストやリスクが伴うけど、「自己肯定感ってよく言うけど、実際のところなんなの?」と一回疑ってみると、自分を知るためのヒントが見えてくる──。まとめるとこんな感じになるでしょうか。

小川 ちょっとややこしい話になってしまったかもだけど、私たちが今考えていることは語り切れたような気はする。つくづく「Knowing who you are is sexy.」に尽きると思うわ。ジョナサン、本当にいいこと言うな(笑)。

清田隆之

文筆家

恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。
1980年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。これまで1200人以上の恋バナを聞き集め、「恋愛とジェンダー」をテーマにコラムやラジオなどで発信している。著書に『どうして男は恋人より男友達を優先しがちなのか』(イースト・プレス)、『さよなら、俺たち』(スタンド・ブックス)、『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』(扶桑社)、澁谷知美さんとの共編著『どうして男はそうなんだろうか会議 いろいろ語り合って見えてきた「これからの男」のこと』(筑摩書房)がある。近著に『おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門~暮らしとメディアのモヤモヤ「言語化」通信~』(朝日出版社)、文庫版『よかれと思ってやったのに──男たちの「失敗学」入門』(双葉社)がある。
イラスト/オザキエミ
https://twitter.com/momoyama_radio

小川知子

ライター

1982年、東京生まれ。上智大学比較文化学部卒業。雑誌を中心に、インタビュー、映画評の執筆、コラムの寄稿、翻訳など行う。共著に『みんなの恋愛映画100選』(オークラ出版)がある。
https://www.instagram.com/tomokes216
https://twitter.com/tometomato

中村桃子

イラストレーター

1991年、東京生まれ。桑沢デザイン研究所ヴィジュアルデザイン科卒業。グラフィックデザイン事務所を経てイラストレーターにとして活動。装画、雑誌、音楽、アパレルブランドのテキスタイルなど。作品集に『HEAVEN』がある。
https://www.instagram.com/nakamuramomoko_ill/