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恋する私の♡日常言語学

2020.03.10

恋する私の♡日常言語学 Ordinary Language School【Vol.7】

文/清田隆之(「桃山商事」代表)

協力/小川知子

イラスト/中村桃子

vol.7 意外と知らない「責任」ということばの意味

「恋愛とことば」をテーマにした連載「恋する私の♡日常言語学─Ordinary Language School」。かつてオックスフォード大学で哲学を学ぶ人々を中心に「日常言語の分析が哲学者の中心課題だとする方法意識」という思考のもとうまれた「Ordinary Language School」(日本大百科全書より)。この思考にヒントを得て、数々の恋愛話を傾聴してきた恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表の清田隆之と、『みんなの恋愛映画100選』(オークラ出版)の選者も務め、人から話を聞くことを専門とするライターの小川知子が、「ことば」をめぐる恋愛の諸問題について語り合っていきます。
 意中の人や恋人となんだか上手くコミュニケーションが取れなかったり、すれ違いに悩んでいるあなた! その原因は「ことば」にあるかもしれません!

赤子の夜泣きとresponsibilityの放棄

清田隆之(以下清田) 最近、ずっと「責任」ということばが気になっていて。

小川知子(以下小川) いきなりどうしたの(笑)。

清田 大学時代の恩師と話しているときにこの話題になったんだけど、責任って英語で「responsibility(レスポンシビリティ)」と言うじゃない? 語源的には「response(反応・応答)」+「ability(できる力)」ということなんだけど、このことばをそういう視点で考えたことなかったなって。

小川 一般的に責任っていうと、ミスしたときに責められたり、押しつけたり押しつけられたり、補償や賠償を求められたり……重々しいというか、プレッシャーを感じることばというイメージがあるもんね。でも、責任とは「反応できる力」や「応答できる力」のことであると。

清田 そうそう。それを痛感したシーンがあって、子育てでのことなんだけど、去年の秋に双子が産まれて、生後1週間で病院から家にやってきたのね。それで2日目の夜中に、双子のひとりが全然泣き止まなくなっちゃって。妻は産後で身体もボロボロだったので、起こしちゃいけないと思って泣いてる子どもを寝室からリビングに連れて行ってあやしていたのよ。

小川 ふむふむ。それで?

清田 でも全然大人しくならず、本当に4時間くらい泣き続けられてこっちもヘトヘトになり、段々おかしな考えがわいてきちゃって。

小川 おかしな考えって?

清田 「子どもは泣くのが仕事」とよく言うけど、もしかしたらこうやって泣きわめくことで肺や腹筋が発達していくのかも……という謎の理屈が頭に浮かび、「だとしたら泣かせ続けておくのがいいのかも!」「無理にあやす必要はないかも!」って、ヘッドホンを装着して大音量で音楽を聴き、そのまま仕事でもしようとパソコンに向かったのよ。

小川 なるほど……。

清田 でも、ものの4分くらいで罪悪感に負け、「ごめんねごめんね」って言いながら抱っこを再開した。そのとき思ったのがresponsibilityのことで、つまり自分は応答できる力がありながらそれをしなかったわけだよね。これが無責任、もっと言えばネグレクト(育児放棄)という状態か……と痛感しました。

小川 もちろん清田くんも大変だったとは思うけど、抱っこしたり、オムツの様子を見てみたり、できることがいろいろある中でシャットアウトしたというのは、確かに責任を放棄したと言えるかもね。

清田 それで、responseとresponsibilityの問題がずっと気になっているんだけど、よく考えたらこれって恋愛にもめちゃくちゃ関係ある話だなって思ったのよ。恋愛の諸問題を責任という観点から捉え直してみると、いろいろ見えてくるものがあるんじゃないかって。

小川 やっとこの連載のテーマとつながってきた(笑)。

「責任取ってよ」が意味するものとは

清田 恋愛相談の現場では、まさにresponseをめぐるお悩みを本当によく聞くのよ。例えばLINEの既読スルーとか、音信不通のまま自然消滅とか、セックスしたら連絡取れなくなったとか。あるいは話しかけたのに相手がうわの空とか、機嫌を損ねると黙り込んでしまうとか……。これらをresponsibilityという視点で捉え直すと、恋愛(コミュニケーション)におけるネグレクトと言えるんじゃないかと。

小川 無視されたほうはその理由を考え続けて苦しくなっちゃうもんね。「できるのにしていない」という点で、確かにそれらはネグレクトに近い行為とも捉えられるよね。一方で、責任を意味する英語として、「accountability(アカウンタビリティ)」ということばもある。これは、責任を持って理由を示すことができるという意味で、「responsibility」は誰かとシェアできるものだけど、「accountability」は当人しか負えないものという感じ。とすると、自分が取った言動の意味や理由を説明しないことも責任の放棄になるかもしれない。

清田 説明責任ってことばもあるもんね。

小川 そうそう。例えば、肉体関係が先行した曖昧な状態にある男女や、出口の見えない不倫関係を続けている男女において、「責任取ってよ!」というセリフが飛び出す状況ってフィクションとかでよくあるじゃない? もちろん「正式に付き合って」とか「離婚して」という意味を含んで使われているのかもしれないけれど、「どういうつもりなのか」をちゃんと説明してほしい、というaccountabilityの問題も絡んでいるような気がする。女性からの投げかけにのらりくらりと逃げる人が多いけど、あれも責任放棄の一種なんじゃないかなと。

清田 それで言うと私、過去にやらかした案件がひとつあります……。20代の頃の話なんだけど、合コンで知り合った女子と二人で飲みに行ったのね。正直その人に恋愛感情は抱いていなかったんだけど、酔っ払っていい雰囲気になり、帰りのエレベーターでめっちゃキスをしたのね。

小川 めっちゃキス(笑)。若さの成せる技ですね。

清田 人生でそんな出来事はめったに起きないので勢いがついてしまい、そのままホテルへ行く流れになった……のだけど、入り口で「これって付き合うってことだよね?」と聞かれ、「えっ!?」と固まってしまって。

小川 それで逃げたの?

清田 ものすごくしたかったけど、実は他に好きな人がいたのでYESとは言えず、「今日のところはやっぱり帰ろう」と言ってそのまま解散したのよ。そしたら次の日からめっちゃ電話やメールが来るようになって。それで怖くなってずっとスルーしていたら、今度は合コンにいた他の女子からも「どういうつもりなの?」って連絡が来るようになった。

小川 なるほど……まさに「責任取ってよ」案件ですね。

清田 当時は鬼連絡が来ることにひたすらビビってしまい、なんならちょっと被害者くらいのマインドになり、共通の友達に間に入ってもらって間接的に謝って強引に幕引きを図るという最悪な対応をしてしまったんだけど、このテーマに引きつけて考えると、俺はresponsibilityもaccountabilityも放棄したという二重の無責任をやらかしていたわけだよね……。

小川 清田くんからしたら「キスまでしたのになんで付き合ってくれないの?」と責められてる感じがしたのかもしれないけど、彼女はもしかしたら、結果がどうであろうと清田くん自身のことばで気持ちを聞きたかっただけという可能性もある。本当の意味で謝罪するためには、逃げずにちゃんと向き合って説明する必要があったかもね。

清田 今回はなんか俺の懺悔ショーみたいになってるね……(笑)。

覚悟と責任の相関関係

小川 これまでいくつかのエピソードを元に「責任とは何か」について考えてきたけど、その輪郭がおぼろげながら見えてきた感じがするね。responsibilityやaccountabilityの他に「liability(ライアビリティ/法的責任)」なんてことばもあるけど、とにかく、「ability」という能力があるのに、「しない」という状態を無責任と言うのかもしれない。

清田 そうだね。そしてそのabilityは、立場や状況や関係性によって発生したり与えられたりする。親という立場に付与されたresponsibility、キスしたことで発生したaccountabilityというように……。

小川 もちろん責任とは果たされるべきものだと思うけど、一方でそこには限界もあるんじゃないか……とも感じるのよ。

清田 どういうこと?

小川 例えばLINEの既読スルーや薄いリアクションって、受けた側にとっては苦しいものだし、確かにresponsibilityの放棄ではあるとも思う。ただ、一方で、スマフォとかSNSとか、常にresponseできるabilityを持ったツールがあるからこそ、実体のない責任から逃れたい気持ちもすごくあって。私たちの持つabilityのはるか上をいくツールを使ってる気がするというか。それが、単に返信するのを忘れちゃうことに無意識でつながってるのかもしれないし、なんとなく人とのコミュニケーションを避けたいモードになるときもあるじゃん。人間のキャパシティには限界がある以上、常にちゃんと正しくabilityを果たすことなんてできるのかなとも思うのよ。

清田 なるほど。abilityはあるけど、それを行使する余裕も余力もない、みたいな。

小川 そうそう。責任逃れを正当化したいわけじゃ決してないけど、例えば清田くんがその女子との関係で経験したことは、確かに全体的に軽率だったとは思うけど、発生したabilityの重荷がtoo muchだったという見方もできる。キスしたことでresponseすべき状況になったのは間違いないけど、そこに心と身体がついていかないというか。

清田 自己弁護をするわけじゃないんですが……そういう感覚があったのは確かかも。と言っても当時はまったく言語化できていたわけではないけど、振り返って考えてみると、背負う気持ちの強度──これを覚悟というのかもしれないけど、とにかくそれがないままキスしたことの責任が降りかかってきたような感覚が正直あった。

小川 これは「キスしたくらいで重い責任を背負わされた」という話ではなく、つまるところ「覚悟以上の責任は背負えない」って話で。だって背負える責任には限りがあるんだから。

清田 ホントそうだね……。責任を果たされないことにもモヤモヤするし、覚悟以上の責任を背負ってしまうと心と身体がついていかない。責任とは難しくもおもしろいものだね。それで言うと、こないだ大学生から恋バナを聞いていたとき、「ときめきは“推し”で、コミュニケーション欲求は友達で満たす」という話が出たのね。いわく、推しとの疑似恋愛は責任がないから楽だと言うのよ。

小川 確かに責任の発生する関係ではないし、一方的に、無条件に想いを捧げ続けられるわけだもんね。

清田 そうそう。ただその一方で、どこかさみしさや虚しさも感じていると言っていた。それってもしかしたら、責任を背負えないことの物足りなさから来る感覚なのかもしれないなって。

小川 ニューヨークに長く住んでいる女友達が話してたんだけど、仕事や勉強、夢を追うことに忙しいニューヨーカーたちは、コミットした恋愛がなかなかできないと言われていたのね。なんせ、「love」ということばが超重い。ドラマなんかでも「I love you」は相手を怖がらせるホラーなことばとして出てくるけど、そんな中でも、真面目にコミットした恋愛がしたいという逆の流れも少なからず生まれているらしくて。そこにもresponsibilityを共に背負い合うことの楽しさや手応えみたいなものが関係しているのかもしれない。abilityがあっても、自発的じゃないと心も身体もついてこないから、責任に対する能動的な姿勢は必要なんだろうな。

清田 話がずいぶん広がってしまったけど、自分が持っているabilityや関係性の中で発生したability、またそれらを果たすための気持ちの強度やキャパシティに対して自覚的でいたいものだと、ふたつの失敗を振り返って強く思いました……。

清田隆之

文筆家

恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。
1980年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。これまで1200人以上の恋バナを聞き集め、「恋愛とジェンダー」をテーマにコラムやラジオなどで発信している。著書に『どうして男は恋人より男友達を優先しがちなのか』(イースト・プレス)、『さよなら、俺たち』(スタンド・ブックス)、『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』(扶桑社)、澁谷知美さんとの共編著『どうして男はそうなんだろうか会議 いろいろ語り合って見えてきた「これからの男」のこと』(筑摩書房)がある。近著に『おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門~暮らしとメディアのモヤモヤ「言語化」通信~』(朝日出版社)、文庫版『よかれと思ってやったのに──男たちの「失敗学」入門』(双葉社)がある。
イラスト/オザキエミ
https://twitter.com/momoyama_radio

小川知子

ライター

1982年、東京生まれ。上智大学比較文化学部卒業。雑誌を中心に、インタビュー、映画評の執筆、コラムの寄稿、翻訳など行う。共著に『みんなの恋愛映画100選』(オークラ出版)がある。
https://www.instagram.com/tomokes216
https://twitter.com/tometomato

中村桃子

イラストレーター

1991年、東京生まれ。桑沢デザイン研究所ヴィジュアルデザイン科卒業。グラフィックデザイン事務所を経てイラストレーターにとして活動。装画、雑誌、音楽、アパレルブランドのテキスタイルなど。作品集に『HEAVEN』がある。
https://www.instagram.com/nakamuramomoko_ill/