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恋する私の♡日常言語学

恋する私の♡日常言語学【vol.14】 揺れて変わる私たちには「スペクトラム」が必要だ

2021.05.20

文/小川知子

協力/清田隆之(「桃山商事」代表)

イラスト/中村桃子

「恋愛とことば」をテーマにした連載「恋する私の♡日常言語学─Ordinary Language School」。かつてオックスフォード大学で哲学を学ぶ人々を中心に「日常言語の分析が哲学者の中心課題だとする方法意識」という思考のもとうまれた「Ordinary Language School」(日本大百科全書より)。この思考にヒントを得て、数々の恋愛話を傾聴してきた恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表の清田隆之と、『みんなの恋愛映画100選』(オークラ出版)の選者も務め、人から話を聞くことを専門とするライターの小川知子が、恋愛においての「ことば」をめぐる諸問題について語り合います。
 意中の人や恋人となんだか上手くコミュニケーションが取れなかったり、すれ違いに悩んでいるあなた! その原因は「ことば」にあるかもしれません!

 

 

揺れる性別の境界を示す、

「スペクトラム」ということば

 

小川知子(以下小川) 今日は、「スペクトラム(spectrum)」ということばについて話したいなと。外国に住んでいる人と、ジェンダーやセクシュアリティについて話しているときにしばしば出てくる単語だけれど、日本ではどのくらい認知されているものなんだろうとふと思ったんだよね。

清田隆之(以下清田) あまり日常的に聞いたり、使ったりするイメージはないかも。
 
小川 アメリカのZ世代のティーンドラマ『ユーフォリア/EUPHORIA』で、「sexuality is a spectrum」というセリフが出てくるんだけど、「境界線は曖昧だよ」と訳されていたのね。100%ストレートの男とか女とか100%ゲイなんていなくて、ジェンダーは連続する揺らぎの中にあるものという文脈で。だから、カタカナ英語としては、まだ馴染みがない単語なのかもしれない。

清田 使われ方としては「グラデーション」に近いのかな。桃山商事では「オール・オア・ナッシング」みたいな極端な二元論的思考に対し、その中間にはいくつもの選択肢が段階的に存在してるよねってことを言いたいときにグラデーション思考を勧めたりするけど、スペクトラムのほうがより幅ひろく、方向性も多様なもののように感じることばだね。

小川 グラデーションは徐々に変化することを意味していて、スペクトラムは意見・現象・症状などが曖昧な境界をもちながら連続していることを指すから、ジェンダーやセクシュアリティに関しては後者のほうがしっくりくる印象がある。例えば、自閉スペクトラム症も、特性がさまざまだからスペクトラムということばが使われているし、韓国の俳優がインタビューで、「幅の広い役者になりたい」という意図のときも、スペクトラムが英語のまま使われていたりする。正解はひとつじゃなくて、流動性の中にあるという考え方だよね。

清田 例えばタイには18の性別があると言われていて、それぞれ線で区切れてはいるけど、かなり細分化されているため多くを受容しやすいイメージがある。一方のスペクトラムということばには区切れ目や境界というはっきりした線が存在せず、どれも連続体というイメージで捉えられる点がすごく大事な概念だと思った。

小川 アメリカ版『Esquire』誌のインタビューで、BTS(防弾少年団)のSUGAさんが「男らしさ」について触れていて、ある特定の特徴や感情でしか「男らしさ」が定義されないという根強い風潮について指摘したんだよね。そこで、彼は「コンディションって常に変わり続けるもの」と言っていて。それこそスペクトラムだよね。「男だから」という押し付けがあるから、弱っているときこそ強がらなくちゃいけなくなってしまうけれど、男だろうと女だろうと日々の身体のコンディションで当たり前に感情は変わるものだもんね。

清田 こういうときもあるし、こういう状態もあるし、多次元的で揺れ動いてるものがスペクトラムなんだね。『ボーイズ 男の子はなぜ「男らしく」育つのか』(レイチェル・ギーザ著、冨田直子訳、DU BOOKS)という本には、BTSが体現している男らしさを称した「ハイブリッド・マスキュリニティ」ということばも紹介されていた。「タフな男性体型」と「ソフトで中性的な要素」を組み合わせた新しい形のマスキュリニティであると。

無自覚のジェンダー・バイアスに気づくこと

小川 最近のK-POPアイドルが優しい新たな男らしさで人気を得ていることも関係している話かもしれないけど、アメリカのZ世代に括られる子たちは、自分のセクシュアリティを100%ストレートと自認してる人は半数以下で、とりわけファッションに関しては性別に関係なく服を選ぶといったジェンダー・ニュートラルな概念をもっているという記事を読んですごくいいなと思った。一方で、80年代生まれのヘテロセクシュアルの清田くんと私は、無意識で恋愛を、いわゆる男と女のものとして当たり前に語ってしまっているという事実が、この連載を英語訳してもらうにあたって浮き彫りになり、深く反省したという出来事があったじゃない? 

清田 異性愛前提の意識がことばづかいの端々に染み付いていることを痛感し、本当にハッとさせられる経験でした……。

小川 世代で括るのは雑だとはわかっていつつも、想像以上に昭和生まれの自分の中にジェンダー・バイアスは植え付けられているんだなと。

清田 自分も最近「マジョリティ男性」という言葉について書くことが多いんだけど、異性愛者でシスジェンダー(生物学的に割り当てられた性と性自認が一致)で、健康で会社員として働いていて……みたいな男性たちをマジョリティ男性とイメージしていて、自分自身も概ねそこにあてはまる。多数派ゆえ自分のジェンダーやセクシュアリティに問い直しを迫られる機会がなく、「普通」とか「常識」みたいなものに無自覚に守られながら生きている男性たちの問題について、自分の経験も交えながら考察してはいるんだけど、若い世代になるほど、その「当たり前」みたいな部分が揺らいできてるということなのかな。

小川 性自認も含めた考え方やファッション、生き方は、性別にとらわれずにそれぞれが自由に選択していいというアイデアなんじゃないかな。揺らぐというのは、選択の幅があるということだから、より居心地よく、自分らしいものをその都度選びますという感じなのかなと想像するし、私もそうありたいと思う。

清田 社会的に男っぽいとされるモードにフィットする場合もあるし、そうじゃない場合もあるし、みたいな。

小川  そうそう。髪を伸ばして可愛い髪型にしたいとか、綺麗な爪にしたくて爪を塗るというのも、別に女性だけが楽しむものじゃないし、男性じゃなくても上下スーツでビシッと決めたい日もあるし。片方だけがやれるとか、もう一方がやったら変わり者扱いされるとか、誰が決めたんだかわからないけどずっとあるものからもうそろそろ離れさせてくれ、みたいな。

清田 ほんとそうだよね。我々にはジェンダーの区別関係なく、優しいとか繊細とか我慢強いとかいろんな性質があるわけだし、例えば「爪を塗る」という行為にしたってさまざまなモチベーションがあるわけだよね。従来はそこに女っぽいとか男っぽいっていうラベリングがされていたけど、そこに違和感やモヤモヤを抱いている人が我々の世代にもいて、そういう苦しみを描いたドラマや映画も出てきた。そしてZ 世代になるとさらにその感覚がかき混ぜられながら前に進んでいる感じがある。行動や性質に性別役割のラベルがされてなというか。

小川 ラベリングが苦しみを生むというか、かっこよくないという考えはより共有されている気はするよね。例えば私も、少し年上の先輩に「自分はこういうライターです。とひと言でわかりやすく言えないとダメだよ」と言われ続けてきて、あれもやるしこれもやるけど、自分の中では一貫性があるけどひと言では言えないんだよ、と思っていたわけです。でも、今はわかりやすくラベリングを打ち出さなくてもいいというか、決めつけたり、型にはめることをうまくかわしている人は増えたんじゃないかな。

性質も感情も日々変化するものだから

小川 最近のドラマや映画では、自身のジェンダー自認についてわざわざ説明しないし、単に「その人」として描かれているケースも少なくない。ジェンダーやセクシュアリティやはもちろん関係してくるけど、特別それを前面に出すわけでなく、物語のいち要素として存在しているというか。

清田 どんどんそういうふうになっていったらいいよね。例えば現実の世界でもさ、その感覚がデフォルトになっていけば、例えば「明日は爪塗っていってみようかな」という男子がいても学校で特にびっくりされないだろうし、むしろ「今日の爪いいね!」みたいになったり。

小川 もちろん、環境によってそうならない可能性だってあるけど、変化はしていると信じたいよね。ただ親世代がまだその変化を受け入れていないことも大きい気がする。こないだ同世代の男性の友達が、子どもの頃はゲイの友達がいなかったから、もしくはいても気づけなかったから、「ゲイっぽい」と言って友達をいじったことがあると反省していたんだよ。子どもの頃って自分と違う人を茶化したりする雰囲気あるじゃない。されたほうは苦しいだろうし、正直に自分を出せなくなってしまう。傷つけたほうも、それが相手を傷つける行動だったと気づくのは、大人になってからだったりする。

清田 自分は中学高校と男子校に通っていたんだけど、いわゆる「ホモフォビア(同性愛嫌悪)」の風潮が強く、俺もそういう空気に疑問をもつことなく過ごしていたように思う。振り返るとホント最低なんだけど……。

小川 ね。だから自分とは違う人をまわりに増やしていくしかないよね。私も自覚せずに人を傷つけていたと思うし、自分が傷つけられたこともあったけど、違う部分を完全に肯定してくれる家族がいたから強くいられた。そういう環境の刷り込みや影響は甚大だから、家族もそうだし、学校、会社、社会、エンタメもだけど、いろんな違いはもちろん、その違いとどの距離でどう付き合っていくかを見せながら教えていく責任が大人にはあるなと最近特に考えていて。

清田  例えば美人はよくてそうじゃないとダメとか、足が速いほうがよくて遅いとダメとか、強いほうが格好よくて弱いとダメとか。社会やコミュニティに良し悪しの価値判断が存在していると、知らぬ間に「よいとされてるもの」を志向してしまう。プラスの要素をたくさんもってる人がすごい人だと扱われたりもするし。だから、スペクトラム的な考え方を頭に入れることができれば、よし悪しの価値判断を解体できる感じがいいなって聞きながら思った。

小川 いろんな年代のいろんな人がいるし、みんな全然違うからこそ争い事も起きるし、面倒だけどそれはまあ時間をかけて話をしていけばいいじゃないっていうね。違う考え方の人との対話は平行線だから非効率的だという人もいるけど、私は、違う考えの人と対話をすることこそ有意義な気がしている。それぞれの正しさはあっても、別にどちらかがより正しいとか勝ち負けがあるわけじゃないんだから。その人にとっての当たり前は他人にとっては当たり前じゃない、ということをたくさん知っていくことが、スペクトラムにつながる気がするというか。

清田 本当にそうだね。「選択肢を増やすのは面倒くさい」って声もあるし、「対話が大事なのはわかるけど、それができるのはことばのリテラシーが高い人だけ」といった意見を実際にもらったこともある。それでもやはり、誰もが自分にフィットする選択を、できるだけその都度できるよう、豊富な選択肢が用意されている社会にしていけたらいいなって。

小川 うん。スペクトラムって、ひと言で説明しづらいけど、本当に色とりどりの中で混じり合って常に流動している感じ。そういう感覚をひとつもっているだけで、ちょっとだけ生きやすくなる。そういうことばも少しずつ広まっていくといいよね。

クリエイターの紹介

清田隆之

文筆家

恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。
1980年、東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。これまで1200人以上の恋バナを聞き集め、「恋愛とジェンダー」をテーマにコラムやラジオなどで発信している。著書に『モテとか愛され以外の恋愛のすべて』(イースト・プレス)、『よかれと思ってやったのに──男たちの「失敗学」入門』(晶文社)。7月2日に新刊『さよなら、俺たち』(スタンド・ブックス)が発売された。
イラスト/オザキエミ
https://twitter.com/momoyama_radio

小川知子

ライター

1982年、東京生まれ。上智大学比較文化学部卒業。雑誌を中心に、インタビュー、映画評の執筆、コラムの寄稿、翻訳など行う。共著に『みんなの恋愛映画100選』(オークラ出版)がある。
https://www.instagram.com/tomokes216
https://twitter.com/tometomato

中村桃子

イラストレーター

1991年、東京生まれ。桑沢デザイン研究所ヴィジュアルデザイン科卒業。グラフィックデザイン事務所を経てイラストレーターにとして活動。装画、雑誌、音楽、アパレルブランドのテキスタイルなど。作品集に『HEAVEN』がある。
https://www.instagram.com/nakamuramomoko_ill/

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