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現代銀座考

現代銀座考:Ⅷ 考現学と童画の1925年

2020.08.25

写真/伊藤 昊

文、イラスト/森岡督行

森岡書店代表の森岡督行さんが、過去の銀座と現在、そして未来の銀座をつなげる新しい物語です。
 時の人々が集い、数々のドラマが生まれた銀座には、今もその香りが漂っています。1964年頃に銀座を撮り続けていた写真家・伊藤昊さんの写真とともに、銀座の街を旅してみましょう。

 

 

今和次郎らの調査によると、1925年初夏の銀座通りにおける女性の洋装は1%のみで、和装が99%だったようだ。

 

Ⅷ:考現学と童画の1925年

 小雨がふり出しそうな空広がる1925年5月9日。土曜日。自宅のある阿佐ヶ谷駅から省線に乗った私と妻、二人の娘は、乗り換えを経て有楽町駅で下車し、数寄屋橋を渡って銀座に入りました。
 まずは、教文館(*1)の書棚で絵本を見て、東京社が版元の『コドモノクニ』5月号(*2)を求めました。斜向かいの銀座3丁目交差点角には、去る5月1日、松屋デパートがオープンしました。鉄筋コンクリート8階建ての偉容。なかに入ってみると、大ホールの吹き抜けと豪華な階段に、一同、度肝を抜かれました。一昨年の関東大震災の復興が一段と進んだことを実感しました。松屋デパートをあとにした私たちは、尾張町(現銀座4丁目交差点)の交差点を渡り、竹川町の資生堂ギャラリーに向かいました。

 その道すがら、ジャンパーを着た、如何にも不思議な人に出会いました。新橋方向から歩いてきたその人は、私たちの目の前に立ち、「少し時間をくださりませんか。あやしいものではありません。銀座通りを歩く人の服装を観察しております。ほんの数分」というようなことを言うやいなや、私と妻の洋装をスケッチしはじめました。
「帽子やジャケットの種類、衿や髭のかたちなど、現代人の風俗を採集しています。特に洋装の女性はめずらしい。初めてすれ違いました」とも。
「なんだか分かりませんが、採集というのは、昆虫採集のようで、楽しそうですね」と私は言いました。
「十年、百年後の人びとに、この私たちの仕事が残される可能性があることを思うとさらに愉快になる」とその男性は話しつつ、描いていきました。

 この日、資生堂ギャラリーでは、武井武雄(*3)童画展覧会(5月8日~13日)が開催されていました。武井氏は、文学の付属品と考えられていた絵本の絵を、大人がこどものために描く絵画、すなわち「童画」と名づけました。私はこの新しい考え方にすごく興味を持っていました。会場には50点ほどの作品が展示してあり、二人の娘は、「鳥の港」という童画を好きになったようでした。武井氏は、会場の一角で、萬朝報の新聞記者から取材を受け、「大人の見る展覧会は有り過ぎる程開かれているのに、こどもの見る展覧会はない」と答えていました。
 武井氏は、紺色のスーツに、セミワイドカラーのシャツ、ワイン色のネクタイ、整った髭。もしかしたら、さっきのジャンパーの人は、武井氏のスタイルも採集したかもしれないと思ったりしました。資生堂ギャラリーを出て有楽町駅(新橋駅は工事中)に戻る途中、森永キャンデーストア(*4)銀座店でココアを飲みました。

 それから5年が経った1930年のある日、私はまた銀座にいました。教文館で春陽堂から刊行された『モデルノロヂオ 考現学』を入手し、松屋地下室喫茶部に持ち込んで開きました。著者は今和次郎(*5)と吉田謙吉(*6)。読みたかったのは、1925年の5月7日、9日、11日、16日に調査したという「東京銀座街風俗記録」。帽子やジャケットの種類、衿や髭のかたちなどが、味わいあるイラストとともに、きっちり分類されています。私をスケッチしたジャンパーの人は、今和次郎その人だったのです。現代の風俗を採集する学問を、今和次郎は、考現学と名づけていました。

 東京が壊滅的な災害を被った関東大震災がおきたのは1923年9月のこと。そして、今和次郎が考現学という考え方で銀座を調査したのは1925年。武井武雄が童画を打ち出したのも1925年(ちなみに柳宗悦(*7)が「民藝」という言葉を用いたのも1925年の末)香ばしい香りの珈琲を口にしながら、私はこう思いました。惨禍の後にこそ、あたらしい考え方が生まれる。

※これは史実をもとにしたフィクションです。

*1 教文館/1885年、アメリカから派遣されたメソジスト教会の宣教師たちが、伝道などを目的に出版活動をするための組織としてスタート、1891年に銀座に書店を開店した。老舗のキリスト教書店である。中央区銀座4-5-1

*2『コドモノクニ』/1922年1月から1944年3月にかけて東京社(現ハースト婦人画報社)から出版されていた児童雑誌。

*3 武井武雄/1894‐1983年。童画家、版画家、童話作家、造本作家。長野県に生まれ。1919年東京美術学校西洋画科卒業。同研究科修了後、『子供之友』などの児童雑誌に絵を描いていた。

*4 森永キャンデーストア/1923年12月、森永製菓が銀座6丁目にティールーム&レストランを開店。

*5 今和次郎/1888‐1973年。青森県弘前市生まれの民俗学研究者。 民家、服装研究などで業績があり、「考現学」を提唱し、建築学、住居生活や意匠の研究を行っていた。

*6 吉田謙吉/1897年-1982年。東京生まれの舞台装置家、映画の美術監督、衣裳デザイナー、タイポグラフィ作家。そのほか考現学採集、装幀、文筆業など多彩なジャンルで活躍した。

*7 柳宗悦/1889‐1961年。民藝運動を起こした思想家、美学者、宗教哲学者。現在の東京都港区で生まれる。1910年、学習院高等科卒業の頃に文芸雑誌『白樺』の創刊に参加。1913年に東京帝国大学哲学科を卒業。民藝運動の父とも呼ばれ、現代にもさまざまな書物が読み継がれている。

クリエイターの紹介

伊藤 昊

写真家

いとう・こう 1943年大阪府生まれ。生後まもなく、両親と共に父親の実家のある宮城県涌谷町に疎開。6年生のときに、京都太秦の小学校に単身で転校。1955年に東京の明治学院中学校に入学。1961年に東京綜合写真専門学校に入学。1963年に卒業後、同校の教務部に就職。この頃に写真展を2度開催する。1968年に同校を退職し、フリーのカメラマンとなる。1978年に益子に移住し、塚本製陶所の研修生となる。1981年に築窯し陶芸家として独立。その後は晩年まで陶芸家として活動する。2015年に逝去。
5月5日に写真集『GINZA TOKYO 1964』が森岡書店より刊行された。
https://soken.moriokashoten.com/items/2dabee933141

森岡 督行

店主

森岡書店主。森岡書店代表。1974年山形県生まれ。著書に『荒野の古本屋』(晶文社)、『BOOKS ON JAPAN 1931-1972』(ビー・エヌ・エヌ新社)などがある。企画協力した展覧会に「そばにいる工芸」(資生堂ギャラリー)、「畏敬と工芸」(山形ビエンナーレ)などがある。近年は洋服などのプロデュースを手がけることも多い。株式会社森岡書店代表。『工芸青花』(新潮社)編集委員でもある。

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