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現代銀座考

2023.10.30

銀座・メモワール #1 杉本博司・後篇「柳と白いばら」

文/平岩壮悟

写真/ナタリー・カンタクシーノ

 銀座――この魅力的な街は、多くの人々にとって、特別な瞬間や記憶に残る場所となっています。親に手を引かれて足を踏み入れたデパート、マスターのこだわりを感じる喫茶店、初デートで訪れたレストラン。どれもが、この街の独特の雰囲気と結びついています。
 連載「銀座・メモワール」では、森岡書店代表、森岡督行さんがナビゲーターとして登場します。多様なゲストが織りなす銀座の豊かな物語を共有し、銀座の多面性とその普遍的な魅力に焦点を当てます。連載を通じて、銀座の隠れた魅力と多彩なストーリーに触れ、新たな価値を一緒に発見しましょう。

 

 

杉本博司さんを初回のゲストに迎えた連載「銀座・メモワール」。前篇では、戦前のモダニズム建築やPX時代の銀座、杉本さんが初デートで訪れたイタリー亭にまつわる記憶を辿りました。後篇は、老舗キャバレーでの貸切りパーティや、今はなき映画館の思い出に続きます。

 

大学時代に制作された、幻の広告ポスター

森岡 杉本さんは銀座で作品を発表される機会が多いですよね。
杉本 銀座というか小柳でね。でも大学の頃に学生広告コンクールで優勝して、東芝画廊というギャラリーで展覧会をしたことがありました。7丁目のビルの上層階にあったんですよ。
森岡 広告を作られていたんですか?
杉本 立教で広告研究会に入っていたんですよ。一口に研究会といっても、部員が百何十人もいましたから二派に分かれていました。ひとつは海の家を開いたりする遊び人の集まり。もうひとつは、生産様式において広告が占める位置づけを問うような、社会科学として広告を研究するグループ。僕は両方、遊び人もやりながらマルクスの唯物史観もやっていました。
森岡 面白いですね。じゃあ、それが杉本さんにとって最初の展覧会になるわけですか。
杉本 学生の作品ですけどね。でも、このあいだ倉庫から出てきた受賞作を久しぶりに見直したのですが、今見てもおしゃれですよ。これは西武の広告を想定して制作したイヴ・サンローランとマリー・クヮントのポスター(といってスマホの画面を見せる)。写真を素材として使って、モデルの手や身体の一部をディストーションしています。我ながら、なかなかセンスが良い。コマーシャルのデザイナーでも食っていけたんじゃないかな(笑)。この広告は、僕がロサンゼルスのアート・センター・カレッジ・オブ・デザインに入学するときの、ポートフォリオでもありました。
森岡 小学生のときにも、絵画コンクールで入賞されていたんですよね。
杉本 小学校5年生のときですね。松坂屋の屋上から和光方面を見た風景を描いた絵が入賞しました。その絵は入選作の展覧会として東南アジアを巡回したんですけど……結局返ってこなかったですね。

 

 

「白いばら」での貸切りパーティー

森岡 松坂屋の跡地に建ったGINZA SIXの会員専用ラウンジは杉本さんの設計です。銀座にはずっとご縁があるんですね。
杉本 フランス芸術文化勲章オフィシエをいただいたときは、「白いばら」で祝賀パーティーを開いたこともあります。元々通っていたわけではないんだけど、日本で何かやろうというので、貸切りにしてフランス大使を招きました。
森岡 私も何度か行ったことがあります。店の外壁に日本地図が飾られていて、各都道府県出身のホステスさんを指名できることで有名な老舗キャバレーですよね。2018年に閉店してしまいましたが。
杉本 ショータイムがあって、カーニバルみたいな出し物も見られた。カップルや夫婦で来る人たちもいましたよ。店内にバンドがいて、歌いたい曲をリクエストすると伴奏してくれたり。まあ、歌っても誰も聴いてないですけどね(笑)。
森岡 何を歌われたんですか?
杉本 祝賀パーティーのときはエディット・ピアフの「愛の讃歌」。「朝日のあたる家」も浅川マキの日本語訳詞で歌いました。(「♪あた〜しが〜着いた〜のは〜」とちあきなおみ風に歌い出す。)
森岡 私は山形出身なんですけど、茨城出身のかたがついてくださって。ずいぶん遠いんですけど、わからないでもないなという。そんな思い出があります。
杉本 ホステスのかたはショー劇団の団員だったりするので、みんな歌が上手いんですよ。ぽっきり1万円、明朗会計でしたね。銀座の文化もどんどん変わってきていますが、昔から7丁目や8丁目は華やかな世界でした。僕はあまり付き合いがありませんでしたが、「銀巴里」だけはよく行きましたね。
森岡 美輪明宏さんも歌っていたという日本初のシャンソニエですよね。
杉本 ええ、美輪明宏さんが歌っているのも見ましたよ。1968年くらいですか。「別れのサンバ」を歌ってた長谷川きよしも見ました。

 

 

映画館通いとマカロニグラタン

森岡 先ほどお母様と映画館に来られていたというお話がありましたが、学生時代はどうでしたか。
杉本 銀座の映画館にはよく行きましたよ。テアトル東京とか。
森岡 今コナミクリエイティブセンターが建っている場所ですね。
杉本 セットバックして、前に噴水があってね。すばらしい建物でしたよ。
森岡 観た映画の記憶はありますか。
杉本 『偉大な生涯の物語』とか『ベン・ハー』はテアトルで観ましたね。それから建て替え前の東劇(東京劇場)。あれも良い映画館でした。
森岡 写真を見るかぎり、東京を代表するような美しい建物です。
杉本 出光美術館になる前の帝劇(帝国劇場)では、シネラマ第1作の『これがシネラマだ』を観ました。世界中の名所を巡るアトラクションのような映像で、すごかったですよ。あの建物も壊しちゃって、もったいないなあと思いますね。
森岡 私がかろうじて知ってるのは並木座です。三木ビルという建物自体は今でも残っていて、このあいだ見に行きました。外壁は改装されていますけど、なかは今でも当時の仕様が残っています。
杉本 並木座もありましたね。高校・大学の頃は親とは関係なく、みゆき座とかフランス映画がかかっている名画座に観に通いました。
森岡 喫茶店や甘味処はどうでしたか。
杉本 子どもの頃は不二家でしたね。資生堂パーラーはお高くとまっていて……いや冗談(笑)。資生堂パーラーは大人になってから行くようになりましたけど、子どもの頃は不二家でした。マカロニグラタンとか、美味しかったですね。

 

 

これからの銀座のために

森岡 杉本さんから見て、銀座はどう変わってきたと思われますか。
杉本 銀座一帯にはかつて、甘味やなど木造一軒家の個人店がたくさんありました。それが建て替えに次ぐ建て替えによって、今ではビルばかりになっている。それから建物の高さ制限も緩和されて、ビルの高層化や建て替えが進んでいますね。銀座の姿が関東大震災で一変し、戦争で焼け落ちてまた大きく様変わりしたことを思えば、そうした変化は歴史上逃れがたく起こるものなのでしょう。でも、せいぜい3階分の高さのためにビルを建て替えるのは、資源の無駄遣いだと思うんですけどね。
森岡 関わる人の想いが深い分だけ、銀座の建物はさまざまなかたちになっていくということでしょう。
杉本 建築でいえば、大工の腕や建築家の趣味でもって建てるということがなくなってしまったんですよ。「安い・早い・旨い」の牛丼家方式で作ろうとするから、シンガポールに行ってもマンハッタンに行っても、同じようなビルばかりになる。旧帝国ホテルみたいなものを建てるなんて今では不可能に近い。それでは街並みも面白くならないですよ。とはいえ、僕は建築の仕事もありますので、微力ながら、自分のできる範囲はしっかりやらせてもらおうと思っていますけどね。
森岡 今後、銀座が銀座として輝き続けるには何が必要だと思われますか。
杉本 60年代後半の学生運動で投石騒ぎになって、柳が切られてしまったのが悲しかったですね。「昔恋しい 銀座の柳」という歌もありますが、やはり柳は復活するべきだと思います。銀座のシンボルですから。
森岡 石といえば、GINZA SIXのラウンジで都電の敷石を素材として使っていらっしゃいますよね。
杉本 あれは京都の旧市電に使われていた敷石。廃線になったときに、すべて民間に払い下げたので、探せば今でも手に入るんですよ。都電にも敷石があったはずだけど、どこに行っちゃったんでしょうね。
森岡 最後のひとつ。杉本さんにとって、銀座はどんな街ですか?
杉本 どういう街か……日本中にある銀座商店街の総元締かな(笑)。

 

 

杉本博司
杉本博司の活動分野は、写真、彫刻、インスタレーション、演劇、建築、造園、執筆、料理、と多岐に渡る。杉本のアートは歴史と存在の一過性をテーマとしている。そこには経験主義と形而上学の知見を持って、西洋と東洋との狭間に観念の橋渡しをしようとする意図がある。時間の性質、人間の知覚、意識の起源、といったテーマがそこでは探求される。

1948年 東京、御徒町に生まれる。1970年渡米、1974年よりニューヨーク在住、2008年建築設計事務所「新素材研究所」設立。2009年公益財団法人小田原文化財団設立。

受賞:
1988年 毎日芸術賞、2001年 ハッセルブラッド国際写真賞、2009年 高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)、2010年 秋の紫綬褒章、2013年 フランス芸術文化勲章オフィシエ賞、2017年文化功労者。2023年日本芸術院会員に選出。

主な著書:
「苔のむすまで」「現な像」「アートの起源」「杉本博司自伝 影老日記」(新潮社)、「空間感」(マガジンハウス)、「趣味と芸術」(ハースト婦人画報社)、「江之浦奇譚」(岩波書店)など

森岡 督行

1974年山形県生まれ。森岡書店代表。文筆家。『800日間銀座一周』(文春文庫)、『ショートケーキを許す』(雷鳥社)など著書多数。
キュレーターとしても活動し、聖心女子大学と共同した展示シリーズの第二期となる「子どもと放射線」を、2023年10月30日から2024年4月22日まで開催する。
https://www.instagram.com/moriokashoten/?hl=ja

平岩壮悟

編集者/ライター
1990年、岐阜県高山市生まれ。フリーランス編集/ライターとして文芸誌、カルチャー誌、ファッション誌に寄稿するほか、オクテイヴィア・E・バトラー『血を分けた子ども』(藤井光訳、河出書房新社)をはじめとした書籍の企画・編集に携わる。訳書にヴァージル・アブロー『ダイアローグ』(アダチプレス)。
www.instagram.com/sogohiraiwa

ナタリー・カンタクシーノ

フォトグラファー
スウェーデン・ストックホルム出身のフォトグラファー。東京で日本文化や写真技術を学び、ファッションからドキュメンタリー、ライフスタイルのジャンルで活躍。
https://www.instagram.com/nanorie/