ファッションショーとは、舞台、照明、音楽、モデル、タイミング…、ありとあらゆる要素を総動員して、今デザイナーが伝えたい思いが託されたもの。わずか20分たらずにぎゅっと凝縮された世界観は、肌で感じられるほどに濃密だ。うまくいけば送り手と受け手、会場に居合わせた全員の心が共鳴する瞬間がやってくる。さらに、その余韻は数年経っても色あせず心に残り続けることがある。…というのは、もしかしたら思い出話になってしまうかもしれない。
新型コロナ感染拡大の影響で、ショー開催にまつわるさまざまなことが変革の時を迎えています。コレクション発表にショーは必要⁈ という極論に走る前に、そもそもショーの役割って何だろう。じっくりと考えるべく、心に残るショーをご紹介します。
UNDERCOVER A/W 2020-2021 COLLECTION
まずは今年1月にパリで行われたアンダーカバーの2020-21年秋冬メンズコレクションから。
コンテンポラリーダンスとコレクション披露が見事に一体化した演出で強烈なインパクトを残したファッションショーは、スクリーン越しの映像でも見応え十分。最近のステイホームの影響でさまざまな舞台芸術動画が気軽にチェックできるようになったここ数ヶ月。目が肥えてしまった人たちにもぜひ、オススメしたいショーだ。
コレクションの着想源は、黒澤明監督の映画『蜘蛛巣城(くものすじょう)』(1957)。
シェイクスピアの四大悲劇のひとつ、『マクベス』を戦国時代に置き換えた物語だ。三船敏朗が野心に駆られる武将、鷲津武時を演じる。物の怪の予言を信じ妻に焚きつけられて主君を欺いたのち、一国一城の主となりながらも疑心暗鬼に陥ってやがては身を滅ぼす。中世のスコットランドを舞台とした原作の戯曲を日本映画へとアダプテーション(翻案)するにあたって、黒澤は能の様式美を取り入れたことでも知られている。
さて、アンダーカバーは、『蜘蛛巣城』をどうアダプテーションしたのか。
日本文化のエッセンスは日本人デザイナーであれば、自ずと頭や感覚に染みついているだろう。とはいえ、彼らが和装モチーフに正面から向き合いモードに昇華させるのは、実は、とても珍しいこと。90年代から活躍するアンダーカバーのデザイナー、高橋盾も、『蜘蛛巣城』の登場人物が着る鎧兜(よろいかぶと)や着物など和装からコレクションを着想するのは初めてだ、と『Vogue Runway』に語っている。
実際のコレクションを見てみよう。
たすき風の紐づかい、着物の衿合わせのようなVネック、ムカデやウサギを模した家紋プリント、着物スリーブ、裁付袴ジョッパーズなど、さまざまな和のモチーフが登場する。
それらを、たとえばスポーティーな素材感やアウトドアアイテムに見られる色使い、ブランケットチェック、ネイティブアメリカン風のポップなスタッズなど、意外な(もしくは和とは合わないと思い込んでしまっている)要素と巧みに組み合わせて、現代のスタイルへと洗練させた。
ここでファッションショーの役割をもう一度振り返ってみよう。
デザイナーが考えに考えた思い、こういうイメージがかっこいい、素敵だという世界観を、ショーの来場者にわかりやすく伝え、彼らに主役である服/スタイルの背景や価値を感じてもらうため、ショーは存在する。
そういう意味では贅沢な会場演出やダンスなどのパフォーマンスといった周辺要素がいくら優れていたとしても、服自体の価値が伴わなければ本末転倒だ。
服そのものも演出もそれぞれに素晴らしく、互いに相乗効果をなして来場者の心にとりついてしまう、そんなショーがベストなのだが、実際は多くない。
しかし、今季のアンダーカバーは誰がどう見ても、まさしくベストオブベストなショーだった。日本文化を現代のモードの文脈で解釈し、その世界観をシアトリカルなコンテンポラリーダンスを用いて、情感豊かに表現したのだ。
ファッションの最前線にここ三十年間、つねに存在していたデザイナーの高橋という才能が、“世界のクロサワ”に触発され、気鋭の振付家、ダミアン・ジャレとショーパフォーマンスを完成させる。その背景には、英文学の巨匠シェイクスピアの思想も透け、さらには、黒澤監督が用いた能の様式美がある。個性的な才能のそれぞれが呼応し折り重なった結果が、新しいクリエーションとして立ち現れた。
ラックに吊るされた洋服を見るだけ、撮影されたモデル写真を眺めるだけの行為では到底及ばない。ブランドが考える世界観へと招待され、それを体感し、心の糧として持ち帰ることができるのがファッションショーという装置だ。そして私はそんな装置をとても貴重だと思うのだ。