今回は、マグリットの話からはじめたVol.2の、北欧神話の続きから。
神々の国から姿を消してしまった、黄金のリンゴを守る女神イドゥンを、ロキが探しに行くところからです。
〈鷹の羽衣〉をつけたロキは、巨人の国へ飛んで行きます。そして、自分にイドゥンを連れ出させた、巨人チアシの屋敷を訪れます。
そのとき巨人は海へ魚を釣りに行っていて、家にいたのはイドゥンだけでした。
ロキは彼女を、木の実に変えました。
そうしてその実を、鷹の足爪でつかんで空へ飛びあがり、神々の国アースガルドに舞い戻ります。
が、気づいたチアシも〈鷲の衣〉をつけて、すぐに追いかけました。
巨人の鷲は鷹よりもはるかに大きく、すばらしい速さで空を進みます。
「アースガルドにいた神々は見た――
一羽の鷹が爪の間にくるみをつかんで飛んでくるのを、
鷲が風を切って追いかけてくるのを――」
(『北欧神話と伝説』グレンベック著、山室静訳)
神様たちは、国の防柵のそばに木切れやけずり屑や薪を集めます。そしてそれらを高く積み上げました。
鷹が柵を越えて舞い降りるやいなや、薪の山に火を放ちました。
鷲は羽に火がついて、地に落ちました。
鷹の姿から戻ったロキは、ルーンの魔法のことばを唱えます。すると、たちまちイドゥンは木の実からもとの女神の姿に戻りました。
そうして、弱っている神々に、リンゴを手渡して回ります。
こうして、神々に若さが戻りました…
リンゴは生命の果実なのですね。
そして、ここに、もうひとつの植物が登場しました。木の実と書く本もあれば、クルミと記す本もあり、またはハシバミとする書物もあります。
どちらも魔力のある植物、聖なる植物として、ケルト世界でも大切にされます。
おとぎ話の世界でも、クルミもハシバミもそのなかから、いろいろな贈り物などが出てくる、魔法の木の実として語られます。
さて、私たちは街へ戻りましょう。
ベルギーといえば、チョコレートも忘れてはいけませんよね。
Vol.1に登場したグランプラス界隈には、ショコラトゥリーがひしめいていました。
そしてまた、芸術の丘からも近いグラン・サブロン広場(Place du Grand Sablon)にも、名だたるショコラトゥリーが軒を連ねています。
sablonというのは、フランス語の辞書をひくと〈細砂、磨砂〉。ここが昔、湿地のなかにある砂州だったことに由来しているのだそうです。
そういえば、ブリュッセルという街の名前そのものが、湿地や沼に関わりがあります。
ちょっと横にそれますが、フランス語で〈砂〉はsableで、フランスにはsabléというサクサクしたクッキーがあります。日本でも、サブレはお菓子の名前として定着していますね。
サクサクした感じが、砂を連想させるのでしょうか。
辞書をひくことから、また別の旅が始まりそうですが、今はもとへ戻りましょう。
グラン・サブロン広場の近くには、プチ・サブロン広場(Place du Putit Sablon)も。こちらは公園になっていて、48本のギルド(同業者の組合)の像のある柱にぐるりと囲まれています。
公園には、16世紀にスペインの占領下で抵抗した、エグモン伯とオルヌ伯の像のある噴水があり、奥にはエグモン宮も見えます。
エグモン伯は、ベートーヴェンの作曲する、ゲーテの戯曲『エグモント』のモデルにもなりました。
グラン・サブロン広場の横にたつノートル・ダム・デ・ヴィクトワール・オ・サブロン教会(Église Notre-Dame des Victoires au Sablon)の起源は、14世紀初め、この地に礼拝堂が造られたことから、といわれます。
1348年にヴィジョンを見た少女が、アントワープから聖母子像をもって到着して、教会建設の機運が高まりました。
この奇跡の聖母子像の到着は、ブリュッセルのオメガング(Ommegang、中世からの、伝統的な祭礼の行列)の起源ともいわれます。
ブリュッセルの街には、起伏があります。だから、ときに見晴らしの開ける場所があって、それが楽しい。
教会の尖塔や家々の窓や屋根の並ぶ様、そのそれぞれが太陽の光にきらめいていたりする様を眺めると、なにか心が動かされます。
古きも、新しきも。
さまざまな時代の流れの、さまざまな人々の、思いの刻まれた風景。
ふわふわした雲を見ていると、マグリットが雲をたくさん描いていたことが思い出されます。
そう、マグリットは見えるものから、新しい、〈強い現実〉を描きだしました。
私たちにとって、現実を超えるような〈強い現実〉とは、どんなものでしょう。
ときにはそんなことも考えてみたりしながら、ブリュッセルの散策はもう少し続きます。