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今月の詩

2021.04.06

おっちゃん

詩/セロリン

何を言っているのかわからないおっちゃんがいる
けっこういる

何を言っているのかわからないおっちゃんは
何を言っているのかわからないのに
仕事ができる人だったりする
一目おかれていたりする

何を言っているのかわからないおっちゃんは
何を言っているのかわからないのに
けっこうしゃべってくる
満面の笑みでしゃべってきたりする

何を言っているのかわからないおっちゃんは
何を言っているのかわからないのに
結婚していてかわいらしい子供がいたりする

何を言っているのかわからないおっちゃんは
どんなプロポーズをして
奥さんはどんな人なんだろう
何を言っているのかわかったのだろうか

何を言っているのかわからないおっちゃんは
一体いつから
何を言っているのかわからないおっちゃんに
なったのだろう

何を言っているのかわからないおっちゃんは
何を言っているのかわからないと
思われていることを
自分で知っているのだろうか

何を言っているのかわからないおっちゃんは
おそらく順調に
何を言っているのかわからない
おじいちゃんになるのだろう

何を言っているのかわからないおっちゃんは
何を言っているのかわからないんだから
とっても寂しいはずだ
とっても寂しいはずなのに毎日元気だ

何を言っているのかわからなくても大丈夫だ

 

 

選評/穂村 弘

「おっちゃん」と「大丈夫」

 「何を言っているのかわからないおっちゃんがいる」という冒頭から笑ってしまう。そうだなあ、という気がして。だが、読み進むうちに、だんだん怖くなってくる。コミュニケーションの不全性についての詩だから当然だ。ただ、その怖さが或るレベルを超えることはない。一つには「おっちゃん」という云い方のせいだろう。タイトルに始まって、この言葉が何度も繰り返される。仮にこれが「おじさん」だったらどうか。雰囲気がまったく変わってしまう。「おっちゃん」という言葉を選んだ時、何かが定まったのかもしれない。ラストの「大丈夫」は、その延長戦上で自然に見える。確かに、これが人間は加齢とともにズレてゆく的な話なら「大丈夫」という結論でいいのだろう。自分の中にも「おっちゃん」は棲んでいる。互いのわからなさの中で、自らの寂しさを受け入れて生きてゆく、ということで。でも、とふと思う。「おっちゃん」は「とっても寂しいはずだ」という想像は当たっているのだろうか。「おっちゃん」は本当にそういう「おっちゃん」なのか。「仕事ができる人」で、「一目おかれて」いて、「満面の笑みでしゃべって」くる、という辺りがどうも不安だ。「何を言っているのかわからないおっちゃん」が実は権力者だったら、向こうは「大丈夫」でも、こちらはそうはいかないかもしれない。