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恋する私の♡日常言語学

2020.04.10

恋する私の♡日常言語学【Vol.8】 女らしさ、男らしさ、自分らしさ……

文/清田隆之(「桃山商事」代表)

協力/小川知子

イラスト/中村桃子

vol.8 女らしさ、男らしさ、自分らしさ…… 「らしさ」と上手に付き合っていくためには?

「恋愛とことば」をテーマにした連載「恋する私の♡日常言語学─Ordinary Language School」。かつてオックスフォード大学で哲学を学ぶ人々を中心に「日常言語の分析が哲学者の中心課題だとする方法意識」という思考のもとうまれた「Ordinary Language School」(日本大百科全書より)。この思考にヒントを得て、数々の恋愛話を傾聴してきた恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表の清田隆之と、『みんなの恋愛映画100選』(オークラ出版)の選者も務め、人から話を聞くことを専門とするライターの小川知子が、恋愛においての「ことば」をめぐる諸問題について語り合います。
 意中の人や恋人となんだか上手くコミュニケーションが取れなかったり、すれ違いに悩んでいるあなた! その原因は「ことば」にあるかもしれません!

「らしさ」とは外からの目線によって判断されるもの

小川知子(以下小川) 今回は「らしさ」ということばについて話してみたいなと思っています。今は多様性やジェンダーに関する議論が進み、例えば「女らしさ」や「男らしさ」のようなものを人に押し付けたりするのは良くないよねって認識が広まっているけど、その一方で、「らしさ」は私たちの価値観や生活に根深く浸透していて、「○○らしさ」に囚われている部分がいろいろあると思うのよ。

清田隆之(以下清田) 確かにそうだね。俺も恋愛とジェンダーにまつわる原稿を書くことが多く、とりわけ男らしさの問題はここ数年のメインテーマだったりするけど、どれだけ相対化したつもりになっても、知らず知らずのうちに囚われてしまう恐ろしいものだなって感じている。

小川 文法的な話をすると、そもそも「らしさ」というのは接尾語の「らしい」に同じく接尾語の「さ」が付いた言葉で、名詞や形容動詞の語幹に付いて「○○としての典型的な性質を持っていること」や「そのものにふさわしい様子であること」といった意を表すことばなんだって。

清田 ネットの辞書には「そのものの特徴がよく出ていること」「まさにそのものであると判断される程度」なんて意味もあった。

小川 その説明が表しているように、基本的には「外からの目線」によって判断されるものなんだよね。他者とか世間とか、役割とか空気とか、そういうものから期待される何か……みたいな。それゆえ、規範やガイドのように人を縛ってしまうところがあるんじゃないかと。

清田 そうか、外からジャッジされてる感じがするから引っかかりや気持ち悪さを感じるのか。そういえば20代の頃、仕事が立て込んであまり家に帰れない日が続いて、無精ヒゲが伸びた状態で雑誌の編集会議に出たことがあったのね。元からヒゲが薄く、中途半端に伸びていかにも「手入れしてない」って感じだったんだけど、それを見た先輩のライターさんが「ヒゲ伸ばしてるの? 清田くんらしくないじゃん(笑)」って言ってきて、内心イラッとしたことを思い出した。

小川 それはムムってなるね。清田くんらしさを勝手に決めつけるなって話だよね。「どういう定義の元、らしくないと判断されたのか、説明していただけますか」みたいな。

清田 当時は「ヒゲとかキャラじゃないだろ」というイジリと解釈してヘラヘラ笑って流しちゃったけど、あれはイメージを押し付けられたことによるムカつきだったのかもしれない。

小川 そうだと思う。世間で言うところの「○○らしさ」に自分が当てはまらないという悩みもあると思うし、そうやってイメージを押し付けたり押し付けられたりってことで発生するモヤモヤもあると思う。だから、「らしさ」ということばに着目して、そういう問題について考えていけたらなって。

清田 自分に自信が持てないとか、コミュニケーションが息苦しいとか、そういう悩みごとにも根底でつながっている問題のような気がする。

「女らしさ」の押し付けにモヤモヤ

清田 以前、桃山商事でこんな悩み相談を受けたことがある。相談者の女性は彼氏の地元で開催された花火大会に呼ばれたんだけど、そこには彼氏の中学時代の男友達が勢揃いしていた。みんなで楽しく花火を見て彼氏と家に帰ったら、いきなり「俺の友達にもっと気を遣えなかったの?」「ちゃんと彼女らしくしてよ」と説教されたんだって。いわく、ビールをついだり料理を取り分けたりといった気配りが足りなかったみたいで……。

小川 最悪だね。こないだ観た玉田企画の舞台『今が、オールタイムベスト』にも似たようなシーンがあったけど、リアルでもいまだにそんな超化石的思考をする男の人がいるんだ。

清田 相談者さんはわりと真に受けちゃってて、「女子力が足りないんですかね……」って悩んでいた。でも一方でモヤモヤするものも感じていて、それで我々のところに話しに来たみたい。

小川 ケア役割とか細やかな気遣いとか、古典的な「女らしさ」を押し付けられたことによるモヤモヤだと思うけど、そうやって呪いとなって縛り付けてくるのが怖いところだよね……。そういうものをアビリティ化したのが女子力ってものなんだと思う。もうとっくに消滅したことばだと思っていたけど、世間には根深く浸透しているのかもね。

清田 おそらく彼氏の中には「女(彼女)とはこういうもの」という先行したイメージがあって、相談者さんが花火大会で見せた振る舞いがそれに当てはまらなかった、もしくは届いていなかったってことなんだと思うけど、彼女に説教する前に、お前の狭すぎる許容範囲を問い直せよって話だよね。

小川 それを疑いもせず押し付けてくるというのは暴力的ですらある。

清田 でも、常識みたいなものが背景にあるから、彼氏は自分の価値観を疑いもしないんだろうな。てか、それが自分の価値観だとすら思ってなさそう。「自分の考え」と「世間で言われていること」の区別がついていないというか。いかにも“マジョリティしぐさ”って感じで嫌だな……。

小川 「そういうものでしょ?」みたいなね。

はっきり言語化しない「エンプティ」の暴力性

小川 話は少し変わるけど、「そういうとこだぞ」ってことばにも同じようなものを感じるんだよね。私は比較的これを言われることがあるんだけど、直接的には何も言ってないけど、でも暗に「その態度はモテないぞ」とか「そんなんだから結婚できないんだよ」とかって意味を内包してて、要するに「もっと女らしくしなよ」ってことなんだと思う。優しいツッコミのように軽く使われているけど、よく考えたら呪いのことばだよね。

清田 あ〜、めちゃくちゃわかる。俺も前に同業者の先輩から暗に桃山商事の活動をディスられ、「もう40歳なんだから」って言われたことがあってモヤついたんだけど、この「○○なんだから」ってことばも同じだよね。「なんだから」のあとは何も言わない。

小川 「……」になっていて、そこは自分でくみ取ってという構造になっている。これってすごく日本的な問題だと思う。

清田 デザイナーの原研哉さんが著書『日本のデザイン──美意識がつくる未来』(岩波新書)の中で、欧米の「シンプル」と日本文化における「エンプティ」という概念の違いについて説明してるのね。シンプルとは合理主義が根づく欧米の概念で、「物と機能の関係の最短距離を志向する」考え方であるのに対して、あえて「空っぽ」を設け、あらゆる解釈を受け入れられるようにしておくというのが日本のエンプティだと原さんは解説している。その「……」の部分ってまさにエンプティという感じがする。

小川 はっきり言語化せずに、相手の読解や想像力にゆだねる。くみ取るとか推し量るという日本の文化はいい側面ももちろんあるけど、「らしさ」の押し付けみたいな文脈では暴力的にもなり得る。

清田 「男らしさ」ってことばも、なんとなく共有されているイメージはあるけれど、実態としてはよくわからないもんね。例えば『男らしさの歴史』(藤原書店)という本では、そのイメージとして「勇敢」「身体が頑強」「生殖能力が高い」「冷静」「たくましい」「慎み深い」「挑戦的」「野心的」「死を恐れない」「決断力がある」「忍耐力がある」などの要素が挙げられていた。また、男性学の研究者である伊藤公雄さんは、著書『〈男らしさ〉のゆくえ』(新曜社)において「優越志向」「権力志向」「所有志向」を男らしさの特徴だと指摘していた。

小川 なるほど。そういう諸要素のゆるやかな総体として「男らしさ」というイメージがあるわけだよね。

清田 こんなものを押し付けられたり、こういうイメージにはめ込まれたりするなんてまじ勘弁って思うけど、「こうあらねば」って思いも心のどこかに染み付いている気がして、そこが恐ろしいとこだなと……。

「自分らしさ」が息苦しくない理由

小川 一方で、「らしさ」って自分自身にも使ったりするよね。「自分らしさ」とか「私らしさ」とか。こっちはポジティブな文脈で使われることが多いような気がする。自分で自分に「らしさ」ってことばを使う分には違和感や拒否感は特に抱かない。

清田 確かにそうかも。自分で立ち上げた自分自身のイメージが「自分らしさ」になるのかな。そこには「外からの目線」によるジャッジや押し付けはないもんね。

小川 そう考えると「らしさ」って、自分のコントロール下においてのみ許されるもので、他人のコントロール下に置かれると途端に窮屈に感じてしまうものなのかも。

清田 先行して存在するイメージに当てはめようする「らしさ」(=演繹的)は息苦しく感じる一方、自分という人間から立ち上がってくる「らしさ」(=帰納的)は誰にとっても大事なもののような気がする。俺も昔から「自分らしさ」についてずっと考えてきたような感覚がある。それを自分で見つけ、言語化し、体現していきたいという気持ちが正直ある。って、なんだか言ってて恥ずかしくなる話だけど(笑)。

小川 でもさ、ここまでの話をひっくり返す感じになってしまうかもだけど、恋愛やセックスにおいては、ジェンダーにまつわる「らしさ」に頼ってしまうことって結構あるような気がしてきた。誰かと恋愛関係を築こうとしたとき、もちろん自分らしさを捨てるわけではないんだけど、特に若い頃は、わかりやすいコードとして、求められる女らしい振る舞いを無自覚でしてしまうことが正直まったくなかったわけじゃないというか。私は自分のことをあまり女らしくないタイプだと思っているけど、例えばセックスをするとかなると、自分の中で女らしい行為をしているなって感じるし。

清田 そうなんだ。俺は逆に、「男らしさ」をコードとして使うことが昔から全然できない。エスコートしたり腕枕したり「お前」って言ったり……ってのはステレオタイプすぎるかもだけど、セックスのシーンですら雄々しい感じにまったくなれなくて、しゃべったり笑ったりしながらするものだから、相手に戸惑われたことも何度かある(笑)。

小川 無理に雄々しく振舞われるよりも、私は全然いいと思うけどね。今回も話がずいぶん拡散しちゃったけど、「らしさ」は暴力的な押し付けになることもあるし、コミュニケーションにおける便利なツールやコードにもなり得るから、取り扱いに気をつけましょうってことかもね。

清田 世の中はいろんな「らしさ」にあふれている。それらを全否定はできないけど、取り込まれたり呪いにかけられたりしやすいものだから、うまく距離を取って付き合っていけるといいよね。

清田隆之

文筆家

恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。
1980年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。これまで1200人以上の恋バナを聞き集め、「恋愛とジェンダー」をテーマにコラムやラジオなどで発信している。著書に『どうして男は恋人より男友達を優先しがちなのか』(イースト・プレス)、『さよなら、俺たち』(スタンド・ブックス)、『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』(扶桑社)、澁谷知美さんとの共編著『どうして男はそうなんだろうか会議 いろいろ語り合って見えてきた「これからの男」のこと』(筑摩書房)がある。近著に『おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門~暮らしとメディアのモヤモヤ「言語化」通信~』(朝日出版社)、文庫版『よかれと思ってやったのに──男たちの「失敗学」入門』(双葉社)がある。
イラスト/オザキエミ
https://twitter.com/momoyama_radio

小川知子

ライター

1982年、東京生まれ。上智大学比較文化学部卒業。雑誌を中心に、インタビュー、映画評の執筆、コラムの寄稿、翻訳など行う。共著に『みんなの恋愛映画100選』(オークラ出版)がある。
https://www.instagram.com/tomokes216
https://twitter.com/tometomato

中村桃子

イラストレーター

1991年、東京生まれ。桑沢デザイン研究所ヴィジュアルデザイン科卒業。グラフィックデザイン事務所を経てイラストレーターにとして活動。装画、雑誌、音楽、アパレルブランドのテキスタイルなど。作品集に『HEAVEN』がある。
https://www.instagram.com/nakamuramomoko_ill/