次の記事

恋する私の♡日常言語学

2019.07.05

【新連載】恋する私の♡日常言語学 

文/清田隆之(「桃山商事」代表)

協力/小川知子

イラスト/中村桃子

vol.0 ことばは不完全な道具だけれど

今月から始まる新連載「恋する私の♡日常言語学─Ordinary Language School」。かつてオックスフォード大学で哲学を学ぶ人々を中心に「日常言語の分析が哲学者の中心課題だとする方法意識」という思考のもとうまれた「Ordinary Language School」(日本大百科全書より)。この思考にヒントを得て、数々の恋愛話を傾聴してきた恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表の清田隆之と、『みんなの恋愛映画100選』(オークラ出版)の選者も務め、人から話を聞くことを専門とするライターの小川知子が、「ことば」をめぐる恋愛の諸問題について語り合っていきます。
意中の人や恋人となんだか上手くコミュニケーションが取れなかったり、すれ違いに悩んでいるあなた! その原因は「ことば」のチョイスにあるかもしれません!

ことばの定義やイメージは人によってさまざま

清田隆之(以下清田) 僕と小川さんは10年来の友人で、ふだんから一緒にお仕事をしたり、映画や演劇を観に行って延々お茶したりということをしています。おしゃべりの内容はその時々によってさまざまだけど、二人とも文章を書く仕事をしていることもあり、特にここ数年は「ことば」をめぐる話になることがとても多いよね。

小川知子(以下小川) そうですね。私と清田くんの中には「ことば=不完全な道具」という共通認識があって、「自分が思っていることは、このことばでちゃんと言い表せているのか?」といった“表現”をめぐる問題とか、「このことばでちゃんと相手に伝わっているだろうか?」という“伝達”の問題とか、そういう細かい話をずっとしている(笑)。

清田 ことばというのは自己や他者の理解、あるいはコミュニケーションのための道具になるわけだけど、感情とか状況をそのまま完璧に言い表すことは不可能だし、ことばの定義やイメージも人によって微妙に異なってきたりするため、小さな齟齬は必ず生じてしまう。

小川 同じことばを使っているのに、自分と相手で受け取り方がこんなにも違うんだってびっくりするようなことが日々起こったりするもんね。私は留学経験があって翻訳の仕事をすることもあるんだけど、英語と比べてみると、日本語の多義性や曖昧さをすごく痛感する。

清田 わかる。多義的というのは、つまりひとつのことばにいろんな意味やニュアンスが含まれてしまうってことだよね。

小川 そうそう。だから私は誰かと話しているとき、自分が言おうとしている内容がちゃんと伝わっているか確認するために癖で「わかる?」って聞いちゃうんだけど、それもまたむずかしい問題で、驚かれたりムッとされたりしてしまうことが時々あって。

清田 どういうこと?

小川 おそらく、人によっては「わかる?」ってことばに“上から目線”のようなニュアンスを感じてしまうんだと思う。英語で言うと「Do you get it?」「Do you understand?」で、これは「私たちは今、同じページにいますか?」という立ち位置の確認だから、ニュートラルなことばではあると思うんだけど……女である私から「わかる?」って言われることにムッとしてしまう人もいるのかもしれない。

清田 なるほど。そうなるとジェンダーの問題にもつながってくるような気がするね。

ハイコンテクストからローコンテクストへ

清田 劇作家の平田オリザさんが、著書『わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か』(講談社現代新書)の中でこんなことを言っていた。いわく、日本人はこれまで均質的な価値観やバックボーンを共有していたが、ライフスタイルが多様化した今、そうした状況は大きく変化している。だとしたら、互いに「わかりあえないこと」を前提に、バラバラな価値観の人間たちがいかにコミュニケーションしていくかを考えるべきだ、って。

小川 完全に同意です。

清田 つまり、「言わずもがな」で通じ合うハイコンテクストな文化から、「言わなきゃわからない」が基本のローコンテクストな文化に移行しようと説いているわけだけど、小川さんの「わかる?」って確認は完全に後者だよね。となると、驚かれたりするのはコミュニケーション様式の違いによるものという側面もあるのかもしれない。

小川 空気を読み合ったり、曖昧なことを曖昧にしたままコミュニケーションするのがハイコンテクストな文化ってことだよね。特に近しい関係になると「それ」とか「あれ」みたいな指示語で会話が進むことも増えるけど、ホントにわかってるのかな?って思ってしまう。私は子どもの頃からそういうのが苦手で、いちいち確認しちゃうからその場から浮いてしまうことが多かったな。逆に清田くんは空気に乗っかるのが上手いよね。

清田 昔から同調圧力みたいなものに引っ張られてしまうところがあって……そういう癖がいまだに抜けない。でも、それで失敗することも多々あって、ローコンテクストなコミュニケーションを志しているところです(笑)。

小川 ただ、「相手の言わんとしていることをなるべく正確に理解したい」と考えている点では私たちは共通していて、同じところと違うところを確認しながらコミュニケーションしていきたいのが私で、ふわっと同調しながら違っている部分を徐々にチューニングしていくのが清田くんのスタイルだなって私は捉えているんだけど。外から行くか中から行くかの違いというのかな。

清田 こんな話を我々はお茶しながらよくしていまして、そんな中でここ数年のテーマになってるのが「ことば」の問題なんだよね。小川さんは「私たちは今、同じページにいますか?」という意味で「わかる?」ということばを使っていたわけだけど、そこから“上から目線”のようなニュアンスをくみ取られてしまうこともあった。

小川 そうだね。

清田 これはやもすると、小川さんの性格やキャラクターに問題ありって話にもなってしまいがちだけど、そうじゃなくて、そもそもことばというのは、思っていることを完全に言い表せるものではなく、また、本来なかったはずの意味やニュアンスも含んでしまう、道具として不完全なものなんだって話だと思う。って、これは恩師の受け売りでもあるんだけど(笑)。

その「問題」はどういう意味?

小川 このあいだ私たちの間で議論が白熱した「問題」ということばの多義性なんかもまさにそれだよね。これってクイズの文脈ならquestionのような意味になるし、文脈によってはtroubleやproblemといったネガティブなニュアンスになることもあるし、topic、issue、matterのように比較的フラットな意味で使われることもある。でも、私たちは漠然と「問題」ってことばを使ってしまいがちで、そこがむずかしいよねって話になったんだよね。

清田 昔、恋愛相談の現場で「これはあなたの問題かもですね」と言って、相談者さんにネガティブな受け取り方をされたことがあった。これは「相手に期待していてもしょうがない。自分で判断すべきことかもですね」って、「あなたが考えるべきmatter」という意味で言ったつもりだったんだけど、相談者さんは「えっ、私が悪いんですか?」とtroubleやproblemのように捉えてしまったようで……ことばのむずかしさを実感したエピソードだった。

小川 まさにことばの問題だよね。私も昔は話が伝わらないことが多くて、「自分は説明が下手なんだ」って考えたこともあったけど、ことばの不自由さや不完全さに着目してみることで、ストレスがなくなった感覚があるな。

清田 めちゃくちゃ地味な話ではあるんだけど、我々が普段何気なく使っていることばというものについて改めて考えてみると、心のモヤモヤとか、コミュニケーションのすれ違いとか、いろんなことがクリアに見えてくるかもしれない。恋愛の場面を例にそんなことを考えていきましょうというのがこの連載の趣旨になります。って、ずいぶん長いイントロダクションになってしまった(笑)。

小川 イギリスのオックスフォード大学ではかつて、「日常言語学派(Ordinary Language School)」と呼ばれた、日常的にことばを分析することで哲学の問題を解決しようとした人たちがいたんだって。そんな大それたものではないかもだけど、恋愛版の日常言語学という気持ちでがんばっていきましょう。

清田 次回は本編スタートということで、「好き」ということばを取り上げます。いきなり青春映画みたいなテーマで恥ずかしいんだけど(笑)。

小川 でも、これなんて本当に多義的なことばで、いろんなすれ違いを巻き起こしているような気がするな。それゆえにおもしろいって部分ももちろんあると思うし。

清田 そんなわけで、引き続きどうぞよろしくお願いします!

清田隆之

文筆家

恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。
1980年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。これまで1200人以上の恋バナを聞き集め、「恋愛とジェンダー」をテーマにコラムやラジオなどで発信している。著書に『どうして男は恋人より男友達を優先しがちなのか』(イースト・プレス)、『さよなら、俺たち』(スタンド・ブックス)、『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』(扶桑社)、澁谷知美さんとの共編著『どうして男はそうなんだろうか会議 いろいろ語り合って見えてきた「これからの男」のこと』(筑摩書房)がある。近著に『おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門~暮らしとメディアのモヤモヤ「言語化」通信~』(朝日出版社)、文庫版『よかれと思ってやったのに──男たちの「失敗学」入門』(双葉社)がある。
イラスト/オザキエミ
https://twitter.com/momoyama_radio

小川知子

ライター

1982年、東京生まれ。上智大学比較文化学部卒業。雑誌を中心に、インタビュー、映画評の執筆、コラムの寄稿、翻訳など行う。共著に『みんなの恋愛映画100選』(オークラ出版)がある。
https://www.instagram.com/tomokes216
https://twitter.com/tometomato

中村桃子

イラストレーター

1991年、東京生まれ。桑沢デザイン研究所ヴィジュアルデザイン科卒業。グラフィックデザイン事務所を経てイラストレーターにとして活動。装画、雑誌、音楽、アパレルブランドのテキスタイルなど。作品集に『HEAVEN』がある。
https://www.instagram.com/nakamuramomoko_ill/