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恋する私の♡日常言語学

2019.08.02

恋する私の♡日常言語学                 Ordinary Language School【Vol.1】

文/清田隆之(「桃山商事」代表)

協力/小川知子

イラスト/中村桃子

Vol.1「好き」って一体どんな気持ち?

先月から始まった連載「恋する私の♡日常言語学─Ordinary Language School」。かつてオックスフォード大学で哲学を学ぶ人々を中心に「日常言語の分析が哲学者の中心課題だとする方法意識」という思考のもとうまれた「Ordinary Language School」(日本大百科全書より)。この思考にヒントを得て、数々の恋愛話を傾聴してきた恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表の清田隆之と、『みんなの恋愛映画100選』(オークラ出版)の選者も務め、人から話を聞くことを専門とするライターの小川知子が、「ことば」をめぐる恋愛の諸問題について語り合っていきます。
 意中の人や恋人となんだか上手くコミュニケーションが取れなかったり、すれ違いに悩んでいるあなた! その原因は「ことば」にあるかもしれません!

モラハラ夫との離婚話がなぜか゛夫自慢゛に

清田隆之(以下清田) 前回はイントロダクションとして、連載のコンセプトやことばに対する我々のスタンスなんかを紹介したけれど、今回から本編スタートということで、「好き」ということばの難しさやおもしろさについて語っていけたらと思います。って、大人二人が真顔で論じるにはちょっと恥ずかしいテーマだけど(笑)。

小川知子(以下小川) 簡単に言うと、私たちは「好き」をものすごく大雑把なことばだと感じていて、こんな多義的で曖昧なことばをよく日常言語として使っているよね……という問題意識がある。そして、それがゆえに感情を把握できなかったり、コミュニケーションのすれ違いが生まれたりしているのではないか、とも考えている。

清田 そうだね。それを考えるため、まずは事例として桃山商事で聞いたエピソードをひとつ紹介したいんだけど、「モラハラ夫との離婚を考えている」という50代の女性が相談にきたのね。浮気をくり返すわ、パチスロにお金をつぎ込むわ、話し合いを求めると怒鳴ってくるわで、彼女は結婚生活に疲弊しきっていた。で、まもなく一人息子が大学生になるタイミングで離婚しようと考えていて、その前に夫への不平不満を吐き出したいとのことだった。

小川 まったくしがらみのない第三者に思い切り自分の話をしてみたいときってあるもんね。

清田 だけど途中から妙な展開になったのよ。悪行三昧のエピソードが続くのかと思いきや、「彼はルックスがいい」「若い頃からすごくモテた」「優しいところもある」という“夫自慢”がちょくちょく入るようになって……。

小川 どういうこと?

清田 最後まで話を聞いてみると、こういうことだった。夫は昔バーテンダーをやっていて、店がファンの女性でいっぱいになるほど人気があったんだって。相談者さんもその一人で、大勢のライバルをよそに恋人になれたことが彼女の誇りになっていた。「女として自信がなかった私を選んでくれるなんて!」と、当時は夢心地だったみたい。それで最後、「まだ夫のことが好きなんです」「これまでのことを謝ってもらって夫婦を続けたい」と涙ながらに語っていた。

小川 うーん、考えさせられるエピソードだね。相談者さんの気持ちを私たちが規定することはできないけど、ひとつの事例として推測をめぐらせてみると、いろいろ見えてくるものがある。例えば彼女の中には、夫から“選ばれた”ことがシンデレラストーリーのような成功体験になっているかもしれないし、ライバルたちに“女として”勝ったことが自身の支えになっているかもしれない。そういった気持ちも、彼女の言う「好き」の中には含まれているような気がする。

清田 そうかもね。話の端々に夫自慢が入っていたのもその表れかもしれないし、浮気やギャンブルを許していたのも、「最後に帰ってくるのは私のところ」「この人は私なしでは生きていけない」といったような気持ちが正直あったと言っていた。

好意や愛情を表現することばのバリエーション

小川 “公認不倫”のセックスレス夫婦を描いた漫画『1122』(渡辺ペコ/講談社/5巻)の中に、こんなシーンがある。妻の一子は「礼くん」という出張ホストに色めきだっているんだけど、心の中の自分(=インナーいちこ)から「それって恋なの?欲情なの?」と問われるのね。で、彼女は「太り気味の雑種のねこ」「お高かったけど使いやすいスプーン」「辛いグリーンカレー」「木々のざわめき」「おとやん(夫)」を列挙し、「わたしどれも好きだし、ときめくし、心がまろやかになるよ」とインナーいちこに返答する──。

清田 一子は「人の感情って名付けられるものばかりじゃないよね」とも言っていたね。

小川 これってつまり、例えば癒しや愛着、刺激や心地よさ、親愛の情など、「好き」にもいろいろあるよねってことを言ってるんだと思うのよ。私はそこにとても共感したんだけど、「好き」は種類としてもたくさんあるし、ピュアな恋心と即物的な欲情が混ざった「好き」もあるし、ときには「ものすごくときめいているけどほんの数%だけ嫌な予感がしている」みたいな「好き」もあったりするじゃない?

清田 あるある。それだけ「好き」ってことばは多義的で曖昧ってことだし、裏を返せば、こんなにも複雑で多様で不定形な感情の塊を、よく「好き」ということばだけで表現してるよなって話だよね。

小川 うん。それはなぜかと考えてみると、そもそも日本語に好意や愛情を表現することばのバリエーションが少ないという問題もあると思う。ダイレクトに表現するのが恥ずかしいとか無粋という考えがあるからか、夏目漱石の「月が綺麗ですね」じゃないけど、婉曲表現や、文脈に依存した形での表現はもちろんいろいろある。でも、例えば英語だと、like(好ましい)やlove(愛してる)、want(欲しい)やneed(必要としている)なんかは代表的だと思うけど、ほかにもaffection(惹かれていること)とかintimacy(親密さ)とかobsession(夢中になっている)とかacceptance(受容する)とか、ちょっと辞書を引くだけで好きに含まれるかもしれない、いろんな表現の言葉が見つかる。

清田 アメリカ文化の研究者である吉原真里さんが書いた『性愛英語の基礎知識』(新潮新書)という本にはcrash(お熱を上げる)という単語も載っていた。これは憧れとか一目惚れみたいなものを示すことばで、「crashが生じるには、相手のことを深く知っていたり、二人のあいだにコミュニケーションが成立している必要はない」と説明されていた。

小川 そうそう。だからcrash on〜とかって、学生時代の会話により頻繁に登場する印象がある。

清田 そんな細かな感情にまで単語が割り当てられてるとは……英語すげえな(笑)。

語彙が豊富にあれば感情の検索ができる?

清田 これって「感情の言語化」ともつながる話だと思うんだけど、『ソーシャル・マジョリティ研究』(綾屋紗月ほか/金子書房)という本によれば、それは「(1)できごとに感応する身体的把握」と「(2)社会的文脈にもとづく言語的理解」のふたつが結びついて初めて成立するものなんだって。

(1)胸が高鳴る、鳥肌が立つ、お腹が痛くなる、肩の力が抜ける……などの身体的な反応のこと

(2)「○○さんのことが好きなんだ」「○○によって緊張しているんだ」「○○に対して怒っているんだ」という、言葉による意味づけのこと

小川 すごくよくわかる。自分の中に発生したモヤモヤをうまくことばで表現できたときってスッキリするし、言語化して初めて他者と共有できるようになるもんね。

清田 身体的な反応が必ず先にあって、そこからことばを探す作業が始まる。そう考えると、本当はさまざまな身体反応に対し、さまざまなボキャブラリーの中からしっくりくることばを探していけたらいいのだろうけど、それらすべてに「好き」というラベルを貼ってしまっている……。

小川 その点、英語のほうが表現にバラエティーがあって、感情をより具体的に言語化できるっていう部分はあるかもしれない。

清田 語彙がたくさんあれば、「この気持ちはloveかな?」「それともwantかな?」みたいに感情の検索ができるようになる気もする。そこを「好き」ってことばだけで表現しようとするのは、やっぱちょっと無理があるように感じる。日本語を使う我々も「loveというよりlike寄りの『好き』かな」みたいな表現をすることがあるけど、もっともっと解像度を上げていけたらいいよね。

小川 ただ、英語だろうと日本語だろうと、ことばは万能な道具ではないので、感情や思考を100%言い表すことはできないし、ことばにした途端、何かが切り捨てられたり、逆に余分な何かが含まれてしまったりする。完璧な言語化や完璧な相互理解というのはあり得ないと思う。だからいっぱいおしゃべりをして、いろんな角度から互いのことを知ることで、自分の気持ちと相手の気持ちの輪郭を少しずつ把握していくというプロセスが大事だと私は思ってる。

清田 そうだね。最初の相談者さんの話に戻ると、夫に対する気持ちに貼りついた「好き」というでっかいラベルをいったん剥がしてみて、たくさんのことばを用いてより細かく感情を切り分けることができれば、その先のアクションもより具体的に見えてくるかもしれない。もっとも、夫は話し合いすらできない人で、だからこそ我々に話をしにきたのだろうから……そこが難しいところなんだけど。

小川 夫とちゃんと話し合えるのが理想だと思うけど、桃山商事のところに話しにきたように、いろんな人とおしゃべりをしていく中で感情の言語化がどんどん進めば、気持ちを冷静に分析できるようになれるんじゃないかな。そうなるといいよね。

清田 話がずいぶん広がってしまったけど……日常言語として何気なく使っている「好き」を見つめ直してみると、感情とことばの結びつきの問題が見えてくる。そんなことが少しでも伝わったら幸いです。次回もよろしくお願いします!

清田隆之

文筆家

恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。
1980年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。これまで1200人以上の恋バナを聞き集め、「恋愛とジェンダー」をテーマにコラムやラジオなどで発信している。著書に『どうして男は恋人より男友達を優先しがちなのか』(イースト・プレス)、『さよなら、俺たち』(スタンド・ブックス)、『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』(扶桑社)、澁谷知美さんとの共編著『どうして男はそうなんだろうか会議 いろいろ語り合って見えてきた「これからの男」のこと』(筑摩書房)がある。近著に『おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門~暮らしとメディアのモヤモヤ「言語化」通信~』(朝日出版社)、文庫版『よかれと思ってやったのに──男たちの「失敗学」入門』(双葉社)がある。
イラスト/オザキエミ
https://twitter.com/momoyama_radio

小川知子

ライター

1982年、東京生まれ。上智大学比較文化学部卒業。雑誌を中心に、インタビュー、映画評の執筆、コラムの寄稿、翻訳など行う。共著に『みんなの恋愛映画100選』(オークラ出版)がある。
https://www.instagram.com/tomokes216
https://twitter.com/tometomato

中村桃子

イラストレーター

1991年、東京生まれ。桑沢デザイン研究所ヴィジュアルデザイン科卒業。グラフィックデザイン事務所を経てイラストレーターにとして活動。装画、雑誌、音楽、アパレルブランドのテキスタイルなど。作品集に『HEAVEN』がある。
https://www.instagram.com/nakamuramomoko_ill/