森岡書店代表の森岡督行さんが、銀座の過去、現在、そして未来をつなげる新しい物語です。時の人々が集い、数々のドラマが生まれた銀座には、今もその香りが漂っています。1964年頃に銀座を撮り続けていた写真家・伊藤昊さんの写真とともに、銀座の街を旅してみましょう。
現代銀座考 :XX ガス灯と新聞と銀座
昨年、法政大学総長の田中優子さんと対談をさせていただいたとき、光と紙の関係について、興味深い話を聞くことができました。
「江戸時代の本は手にしてみると、感触が独特でびっくりするほど軽いんです。また当時、行灯の薄暗い光で本は読まれていましたが、本当に読めるのか実験したことがあります。すると、現代の紙とインクの本は読むのが困難なのに、和紙に墨という組み合わせだと実際に読めたんです。そのときに"モノ"としての本と読む"場"は大事だと実感しました。」
読むという行為は、現代では、よりデジタルメディアに依存していますが、紙とデジタルとでは、脳のなかで認識する部位が違うと聞いたことがあります。すなわち、反射光で読む文字と、透過光で読む文字では、認識の仕方が違ってくると。
ところで、銀座にガス灯の火が灯ったのは1874年(明治7年)12月18日でした。芝金杉橋と京橋の間の銀座通りに85基のガス灯が設置されたといいます。当時、銀座2丁目の銀座通り沿いには、東京日日新聞(毎日新聞の前身のひとつ)が本社をかまえていました。通りを往来する大勢の人々のなかには、ガス灯の照明で、新聞を読んだ人がいたかもしれません。江戸の行灯でもなければ、現在の蛍光灯でもない、明治のガス灯に浮かび上がる新聞とはどのようなものだったのでしょうか。
現在も、銀座1丁目「京橋」のたもとには、灯具を忠実に復元したガス灯がひとつ立っています。また、銀座3丁目アップルストアとシャネルの裏手にも、合わせて4つのガス灯が立っています。王子製紙の前にもガス灯があります。
さらに、ネットで検索してみると、大阪・梅田の古書店に、明治8年の東京日日新聞があることが判明しました。明治7年12月18日にガス灯が銀座に設置されたのだから、明治8年の新聞なら間違いありません。
大阪から取り寄せた明治8年の東京日日新聞は、市川團十郎が吉備大臣を演じる歌舞伎を伝えるものでした。新聞というより浮世絵のようです。日付はわかりません。それを手にした私は、比較的周囲の光が少ない、銀座3丁目アップルストアのガス灯に向かいました。明治のガス灯の光はアップルストアの銀色の壁に反射して、その明るくなった部分だけが、ほのかに揺らいでいました。
カバンから明治8年の東京日日新聞を出した私は、ついに、ガス灯の光にかざしました。すると……。市川團十郎がガス灯の光の揺らぎにあわせて表情を変えていった、ということを期待したのですが……実際は何も変化しませんでした。いや、そんなはずはない。私は、レンガ造りの台にあがり、伸ばせるかぎり腕を伸ばして、光源に新聞を近づけました。でも、市川團十郎の表情はそのまま。
しかし、そのとき、私はこう考えました。およそ150年前、光と情報はまさに銀座から発信された。すなわち、現在のスマホの役割がこの場所にあった。そう考えると「銀座」という地名が当時の日本に、瞬く間に広がったことにあらためて頷けたのでした。