森岡書店代表の森岡督行さんが、銀座の過去、現在、そして未来をつなげる新しい物語です。
時の人々が集い、数々のドラマが生まれた銀座には、今もその香りが漂っています。1964年頃に銀座を撮り続けていた写真家・伊藤昊さんの写真とともに、銀座の街を旅してみましょう。
現代銀座考 :XIII 銀座の酒の思い出
銀座を酒というテーマで考えると、私は、二人のことを思い出します。
かれこれ20年以上前。私は神保町の書店に勤めていました。勤務先のとなりには松村書店という洋書の美術書の専門店があり、店主の松村さんはいつも陽気で笑顔の人でした。あるとき、店先の掃き掃除をしていると、「何かスポーツやっている?」などと、話しかけてくれました。次第に一緒にそばを食べにいったり、お寿司をつまみにいったりするようになりました。そばを食べにいったときは、「そばの食べ方がなってない、わさびはそばにぬってくえ」と食べ方を教えてもらったりしました。あるとき「今日は高級店に行く」という展開になり、神保町の交差点でタクシーを拾いました。平川門から内堀通りにぬけて、数寄屋橋を右折。向かった先は銀座7丁目付近でした。松村さんには古本屋の仕事以外に確実な収入があり、以後、このコースを辿って銀座でお酒を飲むようになりました。
銀座で松村さんがまず向かうのは生花店でした。高額紙幣を出しては、お釣りや領収書をもらうことなく、バラの花束を買い求めていました。松村さんはステッキをついていたので、バラの花束を持つのは私の役割。路上で生花を買うこともありました。松村さんはお酒を飲むと、「大切なのはカネじゃないぞ。小学校の体育館にはってあるような言葉、明るいとか素直、そういうのが大切」と言うことがあり、私はそれを聞くのが好きでした。銀座7丁目付近でバラを売っている人をみかけると、いまでも松村さんの姿を思い出します。
もう一人は、独立して3年ほど経ったころ、よく本を買ってくださった方です。ときどき酒場でジントニックなどを一緒に飲んでいましたが、古いビアズリー(*1)の洋書をお探ししたときは、「高級な夕飯に行こう」という流れになりました。問題なのは、そこで飲んだワイン。私はワインのことをまったく知りませんが、そうだとしても、いかにも高そうなラベルが貼ってありました。3杯くらい飲んで顔が真っ赤になると「残りソムリエに飲んでもらおう」とその方は言いました。すると、そばにいたソムリエの方は腰を抜かすようなかっこうになったのです。
今年の夏、銀座松屋(*2)のデパ地下でその方と遭遇しました。お会いするのは何年ぶりでしたでしょうか。私は、ワインのことを思い出して訊ねました。「あのときのワインは何でしたか」と。その方は「ラターシュだった。よい年の」と言いました。
かつてその方は、「私も若いとき助けてもらった、これを恩と思うなら、次に来た人にかえしなさい、私もそう言われたから」と言っていました。
松屋から出て銀座2丁目の交差点に立ちながら、「ラターシュ」を検索した私は、あらためてこの言葉を思い出しました。マロニエ通りのマロニエの木陰がゆらゆら揺れていて、人の記憶というのは、このようにして鮮明に残っていくのだと思いました。
*2 銀座松屋/1869年、横浜石川町に鶴屋呉服店として創業。その後、1925年に銀座3丁目に銀座営業所(銀座本店)を開業。2013年にグランドリニューアルし、現在に至る。
中央区銀座3-6-1