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現代銀座考

2024.10.10

銀座・メモワール #5 吉増剛造・前篇「旧帝国ホテルの路地性」

文/平岩壮悟

写真/ナタリー・カンタクシーノ

 銀座――この魅力的な街は、多くの人々にとって、特別な瞬間や記憶に残る場所となっています。親に手を引かれて足を踏み入れたデパート、マスターのこだわりを感じる喫茶店、初デートで訪れたレストラン。どれもが、この街の独特の雰囲気と結びついています。
 連載「銀座・メモワール」では、森岡書店代表、森岡督行さんがナビゲーターとして登場します。多様なゲストが織りなす銀座の豊かな物語を共有し、銀座の多面性とその普遍的な魅力に焦点を当てます。連載を通じて、銀座の隠れた魅力と多彩なストーリーに触れ、新たな価値を一緒に発見しましょう。

 

連載5回目のゲストは、現代詩人の吉増剛造さんです。詩作を中心に写真や映像、朗読パフォーマンスといった幅広い創作をおよそ70年にわたり続けてきた吉増さんですが、最初のキャリアは美術出版社・三彩社の編集者でした。銀座の大栄会館にあった三彩社に勤務していた編集者時代から半世紀。詩人になった今では、お気に入りのカフェで執筆するため日課のように銀座に通っています。フランク・ロイド・ライト建築の路地性、現代詩花椿賞の授賞式、公私で交流のあった写真家たち。全身を通じて詩作をする吉増さんが語る銀座の思い出は、アーティストや街の身体性にまつわるものでした。

 

フランク・ロイド・ライトの旧帝国ホテル、アントニン・レーモンドの教文館

森岡 学生の頃から銀座に来る機会は多かったのでしょうか。
吉増 慶應の文学部は1年生が日吉で、僕の場合はドイツ語を落っことして2年、だから10代の後半は遊ぶ場所といえば渋谷でした。だけど、慶早戦があって慶應が勝つと銀座に流れるわけじゃないですか。
森岡 慶應の学生は慶早戦の後に交詢社のなかにあるビアホールでビールを飲んでいたっていう逸話を聞いたことがあります。吉増さんも大学時代に行かれていたのでしょうか。
吉増 学生のときは入る資格がないから、その周りにいました。交詢社に行くようになったのは「三田文学」の理事長をやってた頃。推薦者が2人必要ですから。入れてもらってからずいぶん変わりましたけどね。交詢社は銀座のへそだなあ。でもさっき大栄会館に行ってきたけど、銀座は道が全く変わらずに残っていますね。ビルもそう。教文館のビルもアントニン・レーモンドさんの建築でしょう。彼の師匠筋にあたるフランク・ロイド・ライトの追っかけをやってた時期があって、そのときに知ったんだけど。
森岡 ライトの追っかけをされていたんですか⁉ 
吉増 うん。友達が結婚式をやったのがね、旧帝国ホテルだったの。そのとき、ライトの建築に肌で触れた感じがして驚いちゃって。洞窟にみんなで身を寄せ合うような、そういう感覚。フランク・ロイド・ライトの建築に入ったときのセンセーションというのは驚くべきものがありましたね。
 その後、ニューヨークのグッゲンハイム美術館で朗読会があったんだけれども、朗読してると聞いてる人がものすごく近くにいる感じがするの。これはやっぱり、ライトの天才性だなと思って。それからグッゲンハイムは、野の道の外れみたいなところに小さなトイレがあるんだ。ウサギかネズミが入っていきそうな小道の先に。その感覚っていうのはすばらしいものでね。で、レーモンドさんのトイレのつくり方もちょっと似ていて、教文館もトイレの場所がいいんだよなあ。路地みたいなところに、ひっそりとある。中上健次(1)の路地とはまた違うけれども、僕たちが街に対してもっている愛着の芯みたいなものは、銀座に残っている「路地性」にあると思う。
森岡 資生堂の前名誉会長、福原義春さんも慶應出身だと思いますけど、交流がおありだったのですか?
吉増 僕が第2回現代詩花椿賞の受賞者で、福原さんはまだ常務だったけれど、授賞式でご挨拶しましたね。ワインのおいしいのが出たなあ(笑)。文学賞で100万円も副賞が出たんです。
森岡 受賞作は『オシリス、石ノ神』ですね。100万円というと当時ではまとまったお金だと思いますが、どのようにお使いになりましたか?
吉増 ロサンゼルスにいたマリリアさん(奥様)に、ホンダシビックを買いました。ちょうど100万円。それも受賞の挨拶のときに言ったら、冷やかされたけど(笑)。

 

 

大栄会館と編集者時代

森岡 大栄会館にあった三彩社にお勤めになっていた時期がある、ということですが、そこではどのようなお仕事をされていたんですか?
吉増 美術雑誌『三彩』の編集者でしたからね。慶應の文学部を卒業した後、渋谷にあった国際情報社で『国際写真情報』の編集者になったんだけれども、ケンカしてすぐに辞めて、新聞広告に出ていた三彩社の求人募集を見て応募して、それが1963年か64年だったかな。そこから6年間、大栄会館の6階に通いました。さっき撮影で行ったけど、空き部屋でそのまんまでしたね。テナントも岩手日報が残ってた。あの辺は元々、新聞社の支社が多いところだけれど、そういう感じはいまだに残ってたなあ。
森岡 1963、1964年というと東京オリンピックの頃ですから、日本デザインセンターですとかライトパブリシティとか、デザイナーやクリエイターが銀座に集まっていた時期ではないかなと思うのですが、銀座でそうした方々とお会いされることはあったんでしょうか。
吉増 そう言われてみたら、『花椿』の写真を担当していらしたんだろうな、資生堂の編集室に横須賀功光さん(2)をお訪ねした覚えがあるなあ。『Provoke』の前身にあたる写真批評雑誌『フォト・クリティカ』の編集者の柳本尚規さんに横須賀功光論を書け、と言われて。
森岡 それは読んでみたいです。
吉増 取材に行くと、横須賀さんが僕の周りをぐるぐる回りだしたんですよ。びっくりしちゃった。写真家だからそうなのかな、と思ったけれども。周りをぐるぐる回られるというのは人に出会うときの珍しいショックだったなあ(笑)。
森岡 滅多にない出会いだと思います(笑)。

 

吉増 三彩社にいたときも、ずいぶんいろんな依頼をしましたね。それこそ、花田清輝(3)に頼んだり、宮川淳(4)や大岡信(5)に頼んだり。毎日現代美術展かなんかの特集の大事なエッセイは花田清輝に頼んだかな。東松照明(6)さんにも寄稿してもらいましたね。東松さんがよかったんだあ。よかったっていうけど、会いに行くのが楽しかった(笑)。写真家に会いに行くのが楽しいって、なんだろうな。高梨豊(7)とかアラーキー(荒木経惟)(8)なんかと付き合うのは、その後だったな。写真家とは、ずいぶん付き合いがありましたね。写真が好きだったし、写真家になりたかったし。
森岡 高梨さんは、写真集でいうと『都市へ』(1974年、イザラ書房)『町』(1977年、朝日新聞社)の頃ですよね。荒木さんは電通に勤められていた時期ですか?
吉増 うん。その頃はまだ電通。キッチンラーメンって食堂があったね。あそこでよく展覧会をやってたよね。
森岡 東松照明さんには撮影ではなく、原稿を依頼したんですか?
吉増 そう。南画廊の「ティンゲリー展」だったかなあ、すごい文章を書いてもらった。まあ、銀座は画廊ばっかりで、毎日のように展覧会があったからさ。
森岡 東松さんはもう沖縄を撮っていた時期ですか?
吉増 そのときは『太陽の鉛筆』(1975年、毎日新聞社)なんかをやってた。その前に『サラーム・アレイコム』(1968年、写研)というアフガニスタンを撮った写真集があって。あれもいいんだ。それから、地面に埋め込まれている古い釘やなんかを撮った「アスファルト」という最初期の写真があってね。星雲みたいに見えるんだけど、東松さん自身に聞いたら、食い詰めて、どうしようもなくなって品川かなんかを歩いているときに、駅の地下道みたいなところに釘やなんかが埋まってるアスファルトを見つけたらしい。都市の隠れた傷みたいなものをメタフィジックに撮る東松さんがとっても好きでね。東松さんの思い出も、僕自身の銀座体験とぶつかってる感じもするなあ。そのおかげで、亡くなるまで沖縄まで訪ねて行ったりして、懐いてましたけどねえ。だから、ずいぶんそういう接触は多かった。それも三彩社で雑誌をやってたときの大きな思い出ですね。

 

 

吉増 剛造
1939年東京都生まれ。慶應義塾大学国文科卒。在学中より詩作を始め、64年、第一詩集『出発』を刊行。詩集に『黄金詩篇』(高見順賞)『オシリス、石ノ神』(第2回現代詩花椿賞)『「雪の島」あるいは「エミリーの幽霊」』(第49回芸術選奨文部大臣賞)『Voix』(1回西脇順三郎賞)など著作多数。『DOMUS X』(コトニ社)を2024年に出版。詩作以外にも東京国立近代美術館の「声ノマ全身詩人吉増剛造展」や松濤美術館の「声ノマ全身詩人吉増剛造展」、七里圭監督作品の『背』に主演するなど活動は多岐に渡る。
注:
(1) 中上健次 / 作家(1946-1992年)
(2) 横須賀功光 / 写真家(1937-2003年)
(3) 花田清輝 / 作家・文芸評論家(1909-1974年)
(4) 宮川淳 / 美術評論家(1933 -1977年)
(5) 大岡信 / 詩人・評論家(1931- 2017年)
(6) 東松照明 / 写真家(1930-2012年)
(7) 高梨豊 / 写真家(1935年-)
(8) 荒木経惟 / 写真家(1940年-)

森岡 督行

1974年山形県生まれ。森岡書店代表。文筆家。『800日間銀座一周』(文春文庫)、『ショートケーキを許す』(雷鳥社)など著書多数。
キュレーターとしても活動し、聖心女子大学と共同した展示シリーズの第二期となる「子どもと放射線」を、2023年10月30日から2024年4月22日まで開催する。
https://www.instagram.com/moriokashoten/?hl=ja

平岩壮悟

編集者/ライター
1990年、岐阜県高山市生まれ。フリーランス編集/ライターとして文芸誌、カルチャー誌、ファッション誌に寄稿するほか、オクテイヴィア・E・バトラー『血を分けた子ども』(藤井光訳、河出書房新社)をはじめとした書籍の企画・編集に携わる。訳書にヴァージル・アブロー『ダイアローグ』(アダチプレス)。
www.instagram.com/sogohiraiwa

ナタリー・カンタクシーノ

フォトグラファー
スウェーデン・ストックホルム出身のフォトグラファー。東京で日本文化や写真技術を学び、ファッションからドキュメンタリー、ライフスタイルのジャンルで活躍。
https://www.instagram.com/nanorie/