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Column

2020.05.08

親愛なる隣人たちへ

文/岡澤 浩太郎

メディアとは暴力装置の謂いである。卓越した先見性、知性、美意識などが集まって築かれたメディアとは、つくり手と受け手を優劣に分断し、集うものを従者に変え、玉座に着くものに驕りを生ましめる楼閣でもある。「私の『良い』は世のなかの『良い』」とは本当か。共有できない人間を排除していないか。自らの価値観の暴力的な押し付けではないか――。優れた発信者ならば、最大の武器である自らの信念が、かような傲慢につながり得る可能性を常に自覚しているものだ。こうした危険性から離れた“場”のひとつが、『here and there』である。

2020 vol.14 "Collage Issue" Published by Nieves

『here and there』は2002年、編集者・林央子が刊行した「個人雑誌」で、世界的に見ても指折りのインディペンデント誌のひとつだ。先頃発刊された「Collage Issue」で14号を数える。今号は服で人をつないでいる。フランス南西部の村の蚤の市に積まれた古着が、日本で墨色に染められ、さまざまな人の手に渡った後、写真に収められて、一冊の本に綴じられる。点から始まり、いくつもの日常に散り、また点に戻る。エレン・フライス、コズミックワンダー、ミランダ・ジュライ、スーザン・チャンチオロなど、さまざまなアーティストが、この円環する旅の一部を担っている。

彼らはこれまで何度も誌面を飾ってきた。何度も、というのがこの雑誌の最大の特徴と言えるだろう。なぜならこの雑誌は、何年もかけて積み重ねられてきた対話の記録であるからだ。そして対話こそが、つくり手/受け手、撮影者/被写体、アーティスト/一般人などという分断を避けられる手段であると信じているからだ。扇情によって追従させるのではなく、暮らしのなかで親密に感情を重ね合うこと。差異ではなく支えを生む関係でつながること。それは消費という巨大なサイクルから自然と遠ざかった、生産的なあり方である。

メディアとは、さまざまな人々が集い、去っていく場だと、私は思う。けれども激しすぎる往来が場を疲弊させ、時流の名のもとに多くを使い古し、消費してきた現場に何度も立ち会ってきた。過剰さは経済を回転させる原動力でもあるが、その行き着く先は果たしてどこなのか。ならば留まり、育むことこそが、消費から逃れ、新たな生産へつながる、小さな一歩になるのではないか。長い対話がもたらす親密さは、社会の動乱にも掻き消されず、それぞれが立ち戻り、癒しを得るための縁(よすが)となるのではないか。

同時代にともに生きていること。遠く離れていても身近に感じられること。その、あたたかで、愛しく、美しい、素晴らしさが、誌面を満たし、頁を繰る手に伝わっていく。だからこう言える。本を編むことも、本を読むことも、自分の確からしさの支えを得ることである。自分という存在の背中を押してくれる居場所である。つまりメディアとは、親愛なる輪の謂いである、と。

『here and there』vol.14 "The Collage issue"
here and there official
*上記公式サイトをとおして購入ができます。

岡澤 浩太郎

編集者

1977年生まれ、編集者。『スタジオ・ボイス』編集部などを経て2009年よりフリー。2018年、一人出版社「八燿堂」開始。19年、東京から長野に移住。興味は、藝術の起源、森との生活。文化的・環境的・地域経済的に持続可能な出版活動を目指している。
https://www.mahora-book.com/