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Column

2024.01.26

日常と芸術ー桑田卓郎の歴史と現代をつなぐ“茶垸”

写真/鈴木親

インタビュー・文/花椿編集室

「モードのカタチ#2」の撮影場所として桑田卓郎氏のアトリエを訪れました。その作品は、陶芸と現代アートの境界を曖昧にし、LOEWEやノワール ケイ ニノミヤなどのファッションブランドとのコラボレーションでその活動範囲を広げています。多岐にわたるクリエーションを行う桑田氏がどのような思考で作品を生み出しているのか、その背後にある思考を探りました。

ーー古くからある陶芸に根ざしつつ、現代的な美を追求されていますが、その経緯を教えてください。

桑田 わたしはもともと「クリエイティブな仕事をしたい」という思いが強くて、美術大学に進みました。一時はデザイナーに憧れましたが、自分のものづくりへのアプローチの違いから、陶芸の道を選びました。師匠の財満進(ざいま すすむ)のもとで伝統的な陶芸を学び、そのスタイルにならった作品をつくっていた時代もあります。しかし、同世代の友人たちにはその作品が響かず、ショックを受けましたね。高校時代からストリートカルチャーへの関心が強かったのですが、その頃の陶芸はもっと年配の方々に好まれるものだったので、自分の好みや興味との間に大きなギャップがあることに気付いたのです。そこで、自分が持つ伝統的な技術を活かしつつ、同世代に近いカルチャー要素を取り入れた作品を作ろう!と思い、これがいまの作品スタイルにつながっています。
この作風の変化によって、従来の陶器店で展示することが少なくなりましたが、現代美術のギャラリーやファッション界など異なる分野から関心を持ってもらえるようになったのです。2010年に小山登美夫ギャラリーでの展示がきっかけで、海外でも展示する機会が増え、“陶芸”ではなく“彫刻”として評価されるようになりました。展示空間が大きくなるにつれ、より大規模な作品を制作するようになり、今日ご覧いただいたアトリエも、このスケール感に合わせて拡張しています。

ーーこのアトリエではいつから活動されているのですか。

桑田  この場所は、1日に5000個のごはん茶碗を大量生産していた陶器工場でしたが、海外でより安価に製品をつくれるようになり、需要が落ちてしまい、工場は売りに出されていました。それを5年ほど前にわたしが購入し、構造体はそのままに、外壁などはすべて取り外してフルリノベーションを行いました。建築家には依頼せず、直接工務店の方々と協力して作業を進めたので、とても楽しかったですが、いまの姿になるのにはかなり時間がかかったんです(笑)。

ーー桑田さんは岐阜出身ではないですが、いまの場所を拠点にされている理由は何ですか。

桑田 多治見は焼き物の大きな産地で、技術の蓄積があり、作家も多いんです。出身は広島ですが、この地域には以前から興味を持っていて、実際に訪れてからはその雰囲気をとても気に入っていました。その後、多治見市陶磁器意匠研究所で学び、修了後もここを拠点にしています。この場所は日本一の陶器量産数を誇り、外部からの人々にも開かれています。さらに、千利休の時代からの茶の湯文化が栄えた時、多くの茶碗がこの周辺でつくられました。量産と歴史の両面で魅力的な場所です。量産品が多い利点として、海外からのさまざまな原料が輸入され、入手しやすいというのと、土に関しても、多様な陶器製作のために開発された多様な土が利用できます。また、わたしのチャレンジに共感し、協力してくれる専門家が多くいることも、この地を選んだ大きな理由の一つですね。

ーーアトリエを訪れて、その作品の大きさに驚いたのですが、これらを焼ける窯もあるのですか。

桑田  基本的にはそうですね。ただ、焼き物にはマテリアルとしての限界があるため、最近は金属を鋳造してつくる作品にも挑戦しています。陶芸素材には形を保持できる限界があります。その範囲を探る時期もありました。また、陶芸のプロセスから生まれたアイディアを金属鋳造に応用し、スケールアップした製作にも取り組んでいるんです。

ーー大きさもフォルムも陶芸を超えて現代アートですね。

桑田 そう言えますね。現代アートの範疇では“彫刻”としての側面が強いと感じています。一方で、“器”のような日常に密着した作品も制作しています。生活に身近な“器”と、もっと遠い“彫刻”と、両方を作っているんです。それぞれの展示場所や、それに触れる人々、価値観も大きく異なります。この二つの極端な分野を行き来しながら、それぞれが相乗効果を生むような作家活動を心がけているんです。

ーー特定の大きな作品は一貫して「茶垸(ちゃわん)」と名付けられていますが、その中には実際に飲むのが難しそうなものもあり、それが驚きでした(笑)。

桑田 「これは使えないだろう」と思われる作品もありますね(笑)。茶垸はオブジェとしての要素が強いんです。わたしもお茶会にはよく参加するのですが、茶垸や道具を“拝見”する際には、じっくりと見るんです。これはとても日本的な文化であると感じます。海外にはアートを触って鑑賞する文化はなく、裏まで見るというのも日本独自のものです。茶垸の高台を観察して作家の個性を読み取るというのは、西洋絵画で筆のタッチから何かを読み取ることに似た感覚があると思います。茶垸はオブジェとしてのみならず、その範囲を超えてさまざまな文化的な慣習や意味を含むものとなっています。だからこそ、「茶垸」という名前を作品に付け続けるのです。

ーー「垸」という漢字を使用される理由は何ですか。

桑田 実は、多治見出身で昭和の人間国宝である陶芸家、荒川豊蔵さんが箱書に“垸”という字を使っていたことがきっかけです。荒川さんの作品に使われる釉薬の表現に感銘を受け、わたしも同様の釉薬を使うようになりました。もう一つの理由は、陶芸では土を用いて作品をつくるため、石ではなく土に関連する漢字を使用したいと思ったからです。

ーー茶垸と聞くと、どうしても「生活の中の美」として、使ってこそ価値が出るものを想像してしまいますが、茶の湯の文脈ではアート作品としての側面も大きいんですね。そういう意味で、桑田さんの活動は非常に一貫していると感じました。

桑田  日本では、茶の湯における茶垸がお城と同じくらいの価値があるとされた時代もありますし、茶道にはさまざまな流派が生まれ、いまでも特別な地位を占めていますね。さらに“茶垸”と“ご飯茶碗”は全く異なるものと見なされています。一方で、海外の方々には「大きさが同じじゃないか」と思われることもあると思います(笑)。それは「目がない」からで、わたし自身も高価なワインの味の違いはよく分からないのと似ています。日本という島国では独自の茶垸の価値観が形成されていますが、それが海外では伝わりにくいこともあります。わたしは手に取って愛でるような茶垸の文化が好きで、それをデフォルメしたり、スケールアップすることで、その良さが、見る人に伝わるきっかけになればと思っています。

 

profile

桑田卓郎
1981年広島県生まれ。2002年より陶芸家・財満進に師事し、2007年多治見市陶磁器意匠研究所修了。現在は岐阜県多治見市に工房を構えて活動。日本にとどまらず、ニューヨーク、ブリュッセル、ロンドンなど世界各地で個展やグループ展を行う。

鈴木 親

フォトグラファー

1972年生まれ。1998年渡仏。雑誌Purpleにて写真家としてのキャリアをスタート。国内外の雑誌から、ISSEY MIYAKE, TOGA, CEBIT, GUCCIのコマーシャルなどを手がける。
主なグループ展に1998年 COLETTE (パリ / フランス) 、2001年 MOCA (ロサンゼルス / アメリカ)、 2001年HENRYHENRY ART GALLERY (ワシントン / アメリカ) がある。
主な個展に2005年 TREESARESOSPECIAL (東京 / 日本) 、2009年 G/P GALLERY (東京 / 日本) 、 2018,2019,2020年 KOSAKU KANECHIKA (東京 / 日本)がある。
作品集は、2005年『shapes of blooming』(TREESARESOSPECIAL) 、2008年『Driving with Rinko Kikuchi』(THE INTERNATIONAL) 、2009年『CITE』(G/P GALLERY, TREESARESOSPECIAL) 、 2014年『SAKURA!』(LITTLE MORE) 、2020年『Shin Tokyo』(apb)など。