資生堂と
ファッションの歴史
「花椿」に最新のコレクションレポートを掲載
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デザイナー森英恵氏による香水「HANAE MORI PERFUME」を米国発売
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美容部員(現在のビューティーコンサルタント)用のコスチュームデザインに三宅一生氏を起用。80年代まで継続して担当。
デザイナー森英恵氏による香水「HANAE MORI PERFUME」を日本国内でも発売
パリの新進デザイナー6名を日本へ招き、ファッションショー
「6人のパリ」を開催
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美容部員(現在のビューティーコンサルタント)用のコスチュームデザインに山本耀司氏を起用
新感覚のギフトソープセットとして「コシノ ジュンコ ソープ」を発売
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ISSEY MIYAKE(イッセイ ミヤケ)「ロードゥ イッセイ」香水発売
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ビューティーコンサルタントのコスチュームデザインにMICHAEL KORS(マイケル コース)デザインを起用
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NARCISO RODRIGUEZ (ナルシソ ロドリゲス)
「フォーハー」香水発売
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ELIE SAAB(エリー サーブ)「ル パルファム」香水発売
ビューティーコンサルタントのコスチュームデザインにVERONIQUE BRANQUINHO
(ヴェロニク ブランキーノ)を起用
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AZZEDINE ALAIA(アズディン アライア)「アライア パリ」香水発売
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「日本のガールズカルチャーを世界へ」をテーマに人気モデルが出演し日本のリアルクローズを披露するファッションショー、「東京ガールズコレクション 2016 A/W」に協賛
(c)TOKYO GIRLS COLLECTION 2016 A/W
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ZADIG&VOLTAIRE(ザディグ エ ヴォルテール)「ディスイズヒム」「ディスイズハー」香水発売
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「Amazon Fashion Week TOKYO」に公式コスメティックスポンサーとして協賛。
期間中は当社のヘア&メーキャップアーティストがショーに出演するモデルのメーキャップ協力や商品協力など実施。
渋谷ヒカリエと表参道ヒルズを主な拠点として、世界で注目される日本のクリエーションを発信。
第1号を見ると、「美と若さを保つ健康法」といった美容記事のほか「コーヒーの入れ方」などさまざまな情報が誌面を彩っています。
パリのファッションやヘアスタイルなど、そのころとしては珍しかった海外のトレンド情報も多く紹介されており、資生堂の高級イメージを形づくるのに大きく貢献しました。その後、1933年に「資生堂グラフ」、1937年に「花椿」と改題され、今日に至っています。
「資生堂月報」は銀座を歩く女性を撮影したスナップ写真なども掲載しており、当時の風俗を知ることができる貴重な資料となっています。
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ジャン=シャルル・ド・カステルバジャック、ダン・ベランジェ、アンヌ=マリー・ベレッタ、ジャン=クロード・リュカ、クロード・モンタナ、ティエリー・ミュグレー、6名のフランス人デザイナーのショーは大きな反響を呼びました。資生堂は彼らが提唱する「自由」「健康」「楽しさ」そして「純粋に生きる」という新しいライフスタイルに共鳴し、「マイピュアレディ」をキャッチコピーとするプロモーションを展開し、こちらも大きな話題となりました。また、このファッションショーを契機に、資生堂の技術力と化粧品の品質がパリで認められ、以後、パリコレクションでヘアメーキャップを依頼されるように。以来、パリやNYコレクションのバックステージで、資生堂のメーキャップアーティストが活躍することになりました。