ラヴェンナ(Ravenna)。ヴェネツィアからアドリア海岸沿いに、少し南下したところにあるこの古い小さな街は、紀元前から古代ローマ帝国と深くかかわりました。それ以前はエトルリア人、ウンブリ人、ティレニア人、テッサリア人など、さまざまな民族が住んでいたといわれています。
〈パックス・ロマーナ〉(ローマの平和、の意味)を築いたローマ皇帝アウグストゥスは、ここに軍港を開きました。それ以降、ラヴェンナは重要な地として繁栄します。
5世紀にはローマ帝国の首都となり、その後も、ビザンティンの重要な都市であり続けました。そののち、ヴェネツィアに吸収されていきました。
けれどもその全盛期につくられた、聖堂や礼拝堂の内部を装飾している、ビザンティンのモザイク芸術のすばらしさたるや!
まずはガッラ・プラチディア廟堂(Mausoleo di Galla Placidia)の中へ入りましょう。見る人はみな自然と、無口になってしまいます。
美が、沈黙のうえに降りそそぎます。
外観はこんなにとても質素な、小箱のようなガッラ・プラチディア廟堂。ここのモザイクは、ラヴェンナでもっとも古いものです。建設された5世紀当時のままほぼ残っている、というのも奇跡のよう。
すれ違うのもむずかしいほど小さな入口から中に入ると、一片一片は細かなかけらの、宇宙のようなラピスラズリ・ブルーと、金に輝く世界。みな息をのみ、そっとため息をつくのでした。
つぎに、同じ敷地内にあるサン・ヴィターレ聖堂(Bsilica di San Vitale)へ。6世紀前半につくられた、上を見ても、下を見ても、モザイクで埋め尽くされた祈りの空間です。
ビザンティン芸術のすごさに圧倒されてしまって、このシリーズの本題を忘れてしまいそうですが、植物ももちろん、モザイク画にたくさん描かれています。キリスト教美術なので、そうした意味合いももちますが、ここではユリのお話をしておきたいと思います。
ユリは、キリスト教では聖母マリアにささげられている花であり、聖母マリアを象徴する花です。ラヴェンナのモザイク壁画でも、画面のなかの人々の足元にたくさんちりばめられています。
では、ギリシア神話ではどうでしょう。この物語には、ギリシア神話最大の英雄ヘーラクレースと、神々の神ゼウスの妻ヘーラーが登場します。
最高神ゼウスは、またしても!美女に目をつけました。ミュケーナイ王エーレクトリュオーンとアナクソーの娘、アルクメーネーです。ゼウスはアルクメーネーの夫に変身して、彼女に近づきます。そして、一夜を3倍の長さにして(呆れるほどに、神様はなんでも自在ですね)、ともに過ごします。そうして生まれたのがヘーラクレースです。
人間の母から生まれたので、ヘーラクレースは不死身ではありません。父ゼウスは、息子に不死なる命を与えたいと思いました。が、そのためには妻である女神ヘーラーの乳を飲ませなくてはなりません。
どのようにしてヘーラーの乳を飲めたのかは諸説ありますが、一致するのは、ヘーラーの乳房に吸いついたヘーラクレースの乳を飲む力があまりに強くて、ヘーラーはそれを突き放した、ということ。
そのときにほとばしった乳が天の川となり、そして、地に飛び散ったものからは白いユリが咲いたといわれます。
さて、ラヴェンナには、美しいモザイク画の聖堂はまだまだあるのです。ユリの花も描かれています。
まずは5世紀に建造されたという、サンタポッリナーレ・ヌオヴォ聖堂(Basilica di Sant'Apollinare Nuovo)へ。
そして、イタリアカサマツの林をぬけて、サンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂(Basilica di Sant'Apollinare in Classe)へ。ここは6世紀に建てられました。(イタリアカサマツについては「神話と植物の物語―南イタリア紀行―」 Vol.1前編にて)
多くの古い街がそうであるように、この街もこのあと激動の運命を辿りますが、そのときそこに生きた人々にも、壮大な物語がありました。
ガッラ・プラチディア廟堂を建てたガッラ・プラチディアは、皇帝の娘として生まれたあと人質としてあちこちへ移動し、2度の結婚と数奇な生涯を送りました。
サン・ヴィターレ聖堂の絢爛たるモザイク壁画に描かれた皇妃テオドラは、貧しい踊り子(女優)から皇妃となり、夫を叱咤激励したとか。時代を支えた、サクセス・ストーリーの女傑と言えそうですね。
古い小さな街は宝石箱のように開けたとたんにきらきらして、そしてさらに、その光の奥の物語へと、私たちを誘うのでした。