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神話と植物の物語

2020.07.10

神話と植物の物語ー北イタリア紀行ーVol.8

文・写真/乾 ゆうこ

ラヴェンナ(Ravenna)。ヴェネツィアからアドリア海岸沿いに、少し南下したところにあるこの古い小さな街は、紀元前から古代ローマ帝国と深くかかわりました。それ以前はエトルリア人、ウンブリ人、ティレニア人、テッサリア人など、さまざまな民族が住んでいたといわれています。

 〈パックス・ロマーナ〉(ローマの平和、の意味)を築いたローマ皇帝アウグストゥスは、ここに軍港を開きました。それ以降、ラヴェンナは重要な地として繁栄します。
 5世紀にはローマ帝国の首都となり、その後も、ビザンティンの重要な都市であり続けました。そののち、ヴェネツィアに吸収されていきました。

 けれどもその全盛期につくられた、聖堂や礼拝堂の内部を装飾している、ビザンティンのモザイク芸術のすばらしさたるや! 

 まずはガッラ・プラチディア廟堂(Mausoleo di Galla Placidia)の中へ入りましょう。見る人はみな自然と、無口になってしまいます。
 美が、沈黙のうえに降りそそぎます。

星々の天井
琥珀を嵌めこんだ、小さな窓の光も美しく

 外観はこんなにとても質素な、小箱のようなガッラ・プラチディア廟堂。ここのモザイクは、ラヴェンナでもっとも古いものです。建設された5世紀当時のままほぼ残っている、というのも奇跡のよう。
 すれ違うのもむずかしいほど小さな入口から中に入ると、一片一片は細かなかけらの、宇宙のようなラピスラズリ・ブルーと、金に輝く世界。みな息をのみ、そっとため息をつくのでした。

 つぎに、同じ敷地内にあるサン・ヴィターレ聖堂(Bsilica di San Vitale)へ。6世紀前半につくられた、上を見ても、下を見ても、モザイクで埋め尽くされた祈りの空間です。

皇妃テオドラの姿も
足元のモザイク

 ビザンティン芸術のすごさに圧倒されてしまって、このシリーズの本題を忘れてしまいそうですが、植物ももちろん、モザイク画にたくさん描かれています。キリスト教美術なので、そうした意味合いももちますが、ここではユリのお話をしておきたいと思います。

 ユリは、キリスト教では聖母マリアにささげられている花であり、聖母マリアを象徴する花です。ラヴェンナのモザイク壁画でも、画面のなかの人々の足元にたくさんちりばめられています。

 では、ギリシア神話ではどうでしょう。この物語には、ギリシア神話最大の英雄ヘーラクレースと、神々の神ゼウスの妻ヘーラーが登場します。

 最高神ゼウスは、またしても!美女に目をつけました。ミュケーナイ王エーレクトリュオーンとアナクソーの娘、アルクメーネーです。ゼウスはアルクメーネーの夫に変身して、彼女に近づきます。そして、一夜を3倍の長さにして(呆れるほどに、神様はなんでも自在ですね)、ともに過ごします。そうして生まれたのがヘーラクレースです。

 人間の母から生まれたので、ヘーラクレースは不死身ではありません。父ゼウスは、息子に不死なる命を与えたいと思いました。が、そのためには妻である女神ヘーラーの乳を飲ませなくてはなりません。
 どのようにしてヘーラーの乳を飲めたのかは諸説ありますが、一致するのは、ヘーラーの乳房に吸いついたヘーラクレースの乳を飲む力があまりに強くて、ヘーラーはそれを突き放した、ということ。
 そのときにほとばしった乳が天の川となり、そして、地に飛び散ったものからは白いユリが咲いたといわれます。

 さて、ラヴェンナには、美しいモザイク画の聖堂はまだまだあるのです。ユリの花も描かれています。
 まずは5世紀に建造されたという、サンタポッリナーレ・ヌオヴォ聖堂(Basilica di Sant'Apollinare Nuovo)へ。

地にはユリが咲いていますね
〈三人のマギ〉とも呼ばれる〈東方の三賢人〉

 そして、イタリアカサマツの林をぬけて、サンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂(Basilica di Sant'Apollinare in Classe)へ。ここは6世紀に建てられました。(イタリアカサマツについては「神話と植物の物語―南イタリア紀行―」 Vol.1前編にて)

 多くの古い街がそうであるように、この街もこのあと激動の運命を辿りますが、そのときそこに生きた人々にも、壮大な物語がありました。
 ガッラ・プラチディア廟堂を建てたガッラ・プラチディアは、皇帝の娘として生まれたあと人質としてあちこちへ移動し、2度の結婚と数奇な生涯を送りました。
 サン・ヴィターレ聖堂の絢爛たるモザイク壁画に描かれた皇妃テオドラは、貧しい踊り子(女優)から皇妃となり、夫を叱咤激励したとか。時代を支えた、サクセス・ストーリーの女傑と言えそうですね。

 古い小さな街は宝石箱のように開けたとたんにきらきらして、そしてさらに、その光の奥の物語へと、私たちを誘うのでした。

乾 ゆうこ

ライター

ホリスティックハーバルセラピスト。大学時代に花椿編集室に在籍し、「ザ・ギンザ・アートスペース」(当時の名称)キュレーターを経て、ライター・エディターとして活動。故・三宅菊子氏のもと『フィガロ・ジャポン』『家庭画報』などでアート・映画・カルチャーを中心に担当。出産を機に伝統療法や自然療法を学び、植物の力に圧倒される。「北イタリア植物紀行(全4回)」「アイルランドから〜ケルト植物紀行」(ともに『クレアボー』フレグランス・ジャーナル社)など執筆。生活の木(表参道校)ではクラスを開催。
https://www.instagram.com/nadia_laakea/