ナポリは、長く複雑な歴史を持つ都市です。じつはイタリアが現在のような国に統一されたのは、なんと19世紀後半。
ギリシアの人々が建設したこの都市は、その後、古代ローマ帝国やビザンチン、ノルマン朝、アンジュー家、ブルボン家、など、じつにさまざまな権力の支配を受けました。
あらゆる時代の変化を受け入れてきた歴史が、懐深い街をつくりあげた理由のひとつかもしれません。
その歴史の流れのなか、ナポリ王のちのスペイン王カルロス三世は、海からの敵の侵入に備えて、港から少し離れたカゼルタ(Caserta)の地に王宮を建造しました。現代では、ナポリから車で20分ほどの場所です。
城の庭園は、これがまた長大で全長4km近くにも及びます。山の滝から水をひいた噴水と彫像群の続く、長い、長い植物と水の世界。フランスのヴェルサイユ宮殿をモデルとしてつくられたという、驚くべき庭園です。
そこからさらに続くイギリス式庭園には、イタリアの特徴的な木々の織りなす、広大な世界が広がっていました。
たとえば、イタリアでよく目にするイトスギ。
日本ではあまり見かけませんが、地中海的な樹木の代表です。とても背が高くって、にょきにょきと巨人のようにそびえたつ姿には、威厳さえ漂います。ぐいと捻じれて、逆毛立っているかにも見える様子は、どこか尋常ではありません。
そういえばゴッホはこの木をよく描いています。見ればきっと、ああこれか、と思う方も多いでしょう。
ギリシア神話では、美少年キュパリッソスがイトスギに身を変えた話が語られます。
その昔、エーゲ海のケオース島に住んでいたキュパリッソスは誰よりも美しく、オリュンポスの太陽神アポローンに愛されていました。
ある日彼は可愛がっていた牡鹿を、誤って槍で殺してしまいます。その鹿はたいへん立派で美しく、野に住む妖精たちに捧げられた特別の鹿でした。
キュパリッソスの嘆きは激しくアポローンの慰めも耳に入りません。泣きに泣き、涙にくれて血も涸れ、体は緑色に変わってしまいます。そしてついには、身をよじって嘆く姿のイトスギと化してしまいました。
アポローンは悲しみながら、「おまえは悲しむ者たちの友となるように」と言いました。
ヨーロッパでは死を悼む木として、墓地や教会によく植えられています。
レッチェ(Lecce)という街の、サンティ・ニコロ・エ・カタルド教会(Chiesa dei santi Niccolò e Cataldo)は木立のなかにある美しい教会ですが、ここでもイトスギたちはその場を見守るように、静かに佇んでいました。
カゼルタの大庭園の森では、さらさらと風に歌うポプラにも出会いました。
風にそよぐその音がまるで山の鳴るようだ、と、〈ヤマナラシ〉とも呼ばれるその木も、ギリシアの悲しい神話に登場します。
太陽神アポローンとニンフの息子として生まれたパエトンは、自分が太陽神の息子であることを証明したくて、父の二輪車の御者をさせてほしいと懇願しました。
そんな願いは無理だと父に言われても、聞く耳を持たない息子は、光り輝く太陽の馬車を出してしまいます。しかし、きらめく車をひく馬は火を噴き、簡単に御することはできません。アポローンの心配のとおり、馬車は激しく暴走しました。
野原は焼け、河も湖も干上がり、火山も噴火し、植物は燃えてしまいます。
この惨状に、ついに神々の神ゼウスが雷撃を落とします。
パエトンはエリダノス川に落ちていきました。
パエトンの姉妹たちは悲しんで、川のほとりで泣きくれます。そのきらきらと流れる涙は川に沈んで、琥珀となりました。
やがて琥珀の涙を流す姉妹たちの姿は、さやさやと泣き続けるポプラとなりました。
さあ、悲しいお話が続いたので、そろそろ元気なナポリに戻って、美味しいものでも食べることにしましょう!
ナポリはピッツアの発祥の地。ナポリ式のピッツアは、もちもちとした生地が美味しいのです。
ピッツア、スパゲッティ、なんでもフレッシュでシンプルに美味しい。
トマトは太陽の味。地中海料理に欠かせないのはオリーヴオイル。
オリーヴの話は、また次回に。
【このお話の前編はこちらから】→神話と植物の物語ー南イタリア紀行ーVol.1 前編