アントウェルペン(Antwerpen)。
その呼び方はフラマン語(ベルギーで話されるオランダ語)です。フランス語ではアンヴェルス(Anvers)。
日本で一番なじみ深いのは、英語のアントワープ(Antwerp)かもしれませんね。
この街に列車で到着すると、大理石造りの、堅牢で壮大な駅に驚かされます。
まるで老いた王が、重厚な玉座にどっしりと座って、はるかな国々から訪れる賓客たちを迎えているかのよう。
じつはヨーロッパで最初の、公営の鉄道列車が走ったのは、ベルギーです。1835年にブリュッセルからメヘレンへ、初めての路線が敷かれます。
そして1843年に、アントワープはケルンと鉄道でつながりました。長い歴史のある駅です。
このあたりに人々が住み始めたのは、2~3世紀頃。12~14世紀には、毛織物産業と金融の中心ともなる都市に発展しました。
その後、港の衰退したブルージュにかわって、16~17世紀に黄金時代を迎えます。当時、一説には人口の7分の1は外国人だったというほどの、世界都市として繁栄したのです。
アントワープの街を歩くと、古い建物を使ったり、ファサードだけでも古い部分を残したりしている様子を、あちらこちらで目にします。
時の移り変わるなかでの、古きものと新しきものの稀有なコラージュ。
そうやって、土地の記憶=文化は守られていくのですね。プライドとともに、その土地の個性は磨かれていくのでしょう。
この街の市庁舎(Stadhuis Antwerpen)は、イタリアとフランドルの両方の特徴のある、イタリア・フランドル・ルネッサンス様式と呼ばれる荘厳な建築です。
じつは訪れたときは工事中で、建物には覆いがかかっていました。がっかりするはずのところですが、その覆いには街の歴史などを描いた絵が美しく彩色されていて、思いがけず楽しい。
そんな工夫にも、その街の感性のようなものが表れますね。
市庁舎前のマルクト広場(Grote Markt)には、ブリュッセルのグランプラスやブルージュのマルクト広場と同じように、やはりギルドハウスが並びます。
広場の中央には、ブラボーの噴水(Standbeeld van Brabo)。
英雄ブラボーの像は、この街の名の由来を物語ります。
かつてスヘルデ川(Schelde)岸に、巨人ドルオン・アンティゴーン(Druon Antigoon)の城があったそうな。
スヘルデ川は今も流れる、この地域の発展の要となってきた川です。
伝説によると、巨人は城の付近を通る船に、通行料を課しました。そして、払わない者の手を切り、川に投げ捨てたといいます。
人々は巨人に苦しめられていましたが、あるとき、古代ローマの戦士ブラボーが巨人に立ち向かいました。そしてついに、打ち勝ったのです。
ブラボーは巨人の手を切って、それを川へ投げ入れました…。
そういえばこの市庁舎は、Vol.4でもちょっと触れた『フランダースの犬』(〈A Dog of Flanders〉、ウィーダOuida作、1872年)にも登場しました。
『フランダースの犬』の作者はイギリス人です。イギリスで、つまり英語で書かれたため、ベルギーでは日本のようには知られていなかったそうです。
主人公ネロ少年の見たくてたまらなかった、ルーベンス(Peter Paul Rubens、1577年~1640年)の祭壇画のある教会も、この広場の近くにあります。
ゴシック様式で上へ上へと、尖塔が天にそびえる聖母大聖堂(Onze-Lieve-Vrouwekathedraal)です。
16世紀に完成した尖塔は、当時、ネーデルラントで最も高い建築物でした。
神聖ローマ皇帝カール5世(Karl V、1500年~1558年)も、その見事さを讃えたといわれます。
神聖ローマ皇帝カール5世の治世の下、16世紀は、フランドルがあらゆる意味でヨーロッパの中心として、燦然と輝いた時代です。
それはまた、大航海時代とも重なっています。
世界が広がって、メルカトル(Gerardus Mercator、1512年~1594 年)やオルテリウス(Abraham Ortelius、1527年~1598年)などが、世界地図を描きました。
そして、ヴェサリウス(Andreas Vesalius、1514年~1564年)は解剖学を発展させて、近代医学の基礎を築いていきました。
アントワープは、そうした最先端の学問を世界に発信した、印刷や出版の街でもあるのです。
その中心であったのが、プランタン社。現在はプランタン・モレトゥス印刷博物館(Museum Plantin-Moretus)として、16世紀中期からの、歴史的な印刷工場が公開されている、感嘆すべき場所です。
プランタン印刷機とも呼ばれる、世界最古といわれる木製の印刷機は、見事です。
黒々と光る重厚な機械は寡黙でいて、今も魂の宿るような、その存在感。圧倒されないわけにはいきません。
創設者クリストフ・プランタン(Christophe Plantin、1520年~1589年)は、皇帝の庇護もあり、約1500点の書籍を出版しました。彼の工場であり、書店であり、住居でもあった、この館のあらゆるものが感動的ですが、中庭がまた、すてきです。
バラや、ラヴェンダーなどの芳香植物、そして壁にはツタが絡まります。
庭園は、古代の世界観を映します。(以前に世界最古の植物園といわれる、パドヴァのオルト・ボタニコOrto Botanicoを訪れましたね。「神話と植物の物語―北イタリア紀行― Vol.5)
庭園には、楽園のイメージが重なります。
そろそろ北欧神話に移りましょう。
北欧神話はつぎのように語られます。
「時の始めだった。
ユミル(原巨人)が生きていたのは。
砂も海もなく、冷たい波もなかった。
大地は全くなく、上には天もなかった。
あるのは底なしの裂け目だけだった。
草はどこにもなかった」
(「巫女の予言」、下宮忠雄・金子貞雄著『古アイスランド語入門』、大学書林)
「その後、ブルの息子たち(オーディンの3兄弟)が大地を持ち上げた」(前掲書)
続いて、太陽や月や、緑の大地が現れます。夜と新月に名が与えられ、朝と昼と、午前と午後にも名がつけられます。
ある日のこと、3人の神が陸を歩いていました。
(この3人の神とは、オーディン(Óðinn)とヘーニル(Hœnir)とロードゥル(Lóðurr、ローズルとも)というヴァージョンと、オーディンとその兄弟ヴィリ(Vili)とヴェー(V é)というヴァージョンとがあります)
「彼らはアスクとエンブラが、
力をもたず、運命ももたず横たわっているのをみつけた。
彼らは魂をもたず、意思ももたず、
血の気も声も、立派な容姿ももたなかった。
オーディンは魂を与え、
ヘーニルは意思を与え、
ロードゥルは血の気と立派な容姿を与えた」(前掲書)
アスク(Askr)はトネリコの木、エンブラ(Embla)はニレの木、といわれます。
また、ゲルマン人にとっては、エンブラはツタを意味する、という説もあります。
いずれにしても、人間は植物から生まれた、というのが、北欧神話の世界観にはあるのですね。
そしてミッドガルド(人間の国)やイダヴェル(神々の集う野)が語られます。その野にはトネリコの巨木がそびえています。
この巨木こそは、Vol.1でお話したユグドラシルです。
こんなふうに北欧神話は始まり、こんなふうに北欧神話の世界は成り立っています。
トネリコと、ニレあるいはツタから生まれた、人間という生き物。
人間とはなにか、と問いたくなる瞬間です。
問うてみるのも、大切ですね。