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Rocky’s report from Shanghai

2023.09.28

Vol.39 上海カルチャーの記憶となった「衡山・和集」

文/令狐磊 Rocky Liang

翻訳/サウザー美帆

 コロナになる前、『花椿』中国語版の創刊から3号目まで、発行されるごとに関連イベントを行ってきた独立系書店「衡山・和集The Mix Place」が、この夏の終わりに閉店しました。僕はかつてこの書店のクリエイティブディレクターで、閉店前にこの3階建ての小さな洋館に別れを告げに訪れました。

「衡山・和集The Mix Place」
『花椿』中国語版刊行記念展示
イベントの様子
「衡山・和集The Mix Place」の1階

 2階に置かれたメッセージノートに、あるお客様がこんなことを書いていました。「私は2049年から来ました。皆さんに素晴らしいニュースがあります。『衡山・和集』は未来に甦ります!」

 店内では最後に2つの展示が行われていました。ひとつは著名な作家、金宇澄の版画展。もうひとつは若手のイラストレーター郭文媛による「1930年代、孤島時代」。彼女の作品は2009年に発行された人気小説「寄居者(移住者)」の以下の一節にインスパイアされたものでした。

郭文媛の展示「1930年代、孤島時代」

 「100年前と同じように、私たちは移住者として、荷物を抱えて水路で上海に上陸しました。そして、ここに墓標を残しました」
ある若い読者はこの展示を見て、SNSにこのように記しました。「詩的な言葉の中で揺れ動く上海は、朦朧とする陽気な音符のようで、とてもロマンチック」

メッセージノート
「衡山・和集The Mix Place」の2階
「衡山・和集The Mix Place」の3階

 常に潮の流れの中で浮き沈みする上海は、去った人々にとっても、現在住んでいる人々にとっても、どこか懐かしさを感じさせる街です。そんな街で「衡山・和集」のような独立系書店が8年も存続できたことは、幸運なことだったと思います。

 「衡山・和集」は、新たな都市文化の創出の試みとして2015年秋にできた複合文化エリア「衡山坊」の中にオープンしました。約1200平方メートルの敷地に建つ4つの3階建ての建物には、書店、ファッションブランドの店舗、セレクトショップ、アート展示スペースがあり、都市のリアルライフや、文化、アートを常に堪能できる場所でした。

 このエリアは、中国のファッションブランド「例外 Exception」の創設者である毛継鴻氏によって開かれました。彼は「自分の世代のファッションデザイナーは、多くのことを雑誌から学んだ」と語り、それで僕は、雑誌と人々のライフスタイルをつなぐ「雑誌博物館」というコンセプトの書店を提案したのです。

複合文化エリア「衡山坊」

 僕たちは雑誌を窓口に世界全体を見渡せるように、欧米や日本の雑誌をメインに、北欧やオーストラリア、もちろん中国の雑誌も取り扱いました。その中には、発行は年に2回、限定1000部のみのデンマークの雑誌「Plethora Magazine」もありました。大判サイズで、それ自体がアート作品とも思える圧倒的なクオリティを持つこの雑誌は、宇宙の神秘、テクノロジーと想像力などのテーマを多角的な視点でとらえた内容も秀逸でした。

 1926年から1945年まで上海で発行されていた雑誌「良友」の創刊90周年を記念したイベントでは、過去の表紙を額装して展示し、店内で「良友」を閲覧できるようにしました。

 ヘミングウェイの「移動祝祭日」という小説は、青年だった頃のヘミングウェイのパリ時代が描かれていて、彼が通った「シェイクスピア・アンド・カンパニー書店」には、スコット・フィッツジェラルドやジェイムズ・ジョイス、その他数多くの芸術家たちが登場し、まるでそこが当時の世界の文化の中心であったかのような雰囲気です。その文化の潮流を、彼は「移動祝祭日(年によって日付が変動する祝日)」と表現したわけですが、「衡山・和集」がオープンしたばかりの頃、もし上海に「移動祝祭日」があるとするなら、自分たちは今、そこにいるのではないかという幻想も抱きました。

「シェイクスピア・アンド・カンパニー書店」

 今年の夏、僕はパリを訪れる機会があり、「シェイクスピア・アンド・カンパニー書店」を再訪しました。SNSの影響か入口には行列ができていて、約20分待って店内に入ると、実に多くの人で賑わっていました。100年間存続している書店は世界でも数少なく、100年経てば人々が敬うクラシックな存在となります。

「シェイクスピア・アンド・カンパニー書店」

 かつて“上海のシャンゼリゼ通り”と称された衡山路は、1922年に開通し、2022年でちょうど100年になりました。「衡山・和集」もその歴史の一部となりました。僕が惜しいと思うのは、この場所で講演を行った数々のアーティストや文化人たちのサインが記された壁です。日本や欧米の友人たちがここを再び訪れて、変わり果てた場所を目にすることは、僕にとっても辛いことです。でも絶えず変化し続けるのが上海という街。その波の間で沈澱するものは、いつまでも文化の記憶として残っていくことでしょう。

P.S.
「衡山・和集」は閉店しましたが、上海にはまだ訪れる価値のある独立系書店が他にもあります。以下は僕のおすすめです。

<Rocky’s recommend>

梯書店 Text& Imagine
政治学を学んだグラフィックデザイナーが運営。人類学や社会的視点に富んだアート関連の書籍が厳選されています。場所は天平路。

香蕉魚書店  BANANAFISH BOOKS
上海アートブックフェア(UNFOLD Shanghai Art Book Fair)の共同創設者が店主。書籍をアートの一形態ととらえた展覧会を毎年開催。最近、古北地区に新しい店舗がオープンしました。

神獣之間 THE LION
オンライン書店と同じ価格設定を戦略とするユニークな書店。会員制でオフラインでの読書を奨励。初心者向けから専門書までさまざまな分野の本が揃っています。特に科学技術と人文社会科学系が強いです。

令狐磊 Rocky Liang

クリエイティブディレクター/編集者

上海の出版社Modern Media社が発行するカルチャー誌『生活LIFE MAGAZINE』『週末画報Modern Weekly』などのクリエイティブディレクターを務める。同時に文化とビジネスの新しいスタイルの融合を目指す文化力研究所の所長として『花椿』中国版の制作を指揮するなど多方面で活躍中。

サウザー美帆

編集者/翻訳者

元『エスクァイア日本版』副編集長。上海在住を経て、現在は東京を拠点に日中両国のメディアの仕事に従事。著書に日本の伝統工芸を紹介する『誠実的手芸(誠実な手仕事)』『造物的温度(ものづくりの温度)』(中国語、上海浦睿文化発行)。京都青艸堂の共同設立者として中国向け書籍の出版制作にも携わる。