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今月の詩

2020.07.02

けもの

詩/甘露なつ

大昔のわたしの貌
けものらしくお化粧して
アイラインは深緑だった
頬と口周りがやさしげな杏色してるのは
密林の果樹に咲く花に擬態したかったから

獣であるころ
たくさん手紙を書いたけど
どれも文明の域に届かなかった
丹念に噛み砕いた詞(ことば)たちは
草花をつるるりと滑り落ち
スコールがこしらえた水溜まりから
やがて大きく甘やかな河へ流され
おおくの水生する生き物(プランクトン)に食されたという

どんなに貌をしつらえても
根を張り巡らすことができない
躍動も やわらかい土の上では
冗談みたいに足をとられてしまう
髭や尾が風にさらわれたっきり還らないのも
或いは生命の原理といえようか

いまや すっかりつるるりと
野性をほどいたけもの
この貌をうつす鏡は
どの色のうちにあるだろうかと
泡のような欠伸を呑みこんではわたし
かつての咆哮をいとしんだ

 

選評/大崎清夏

 文明に憧れる獣と密林を懐かしむけもの、両者が「わたし」のなかにいる。もっとも、獣のほうは滅びて久しいようでもある。貌(かお)に野性を宿したくてしたお化粧の深緑や杏は、きっとルソーの絵みたいな色だろう。そういえば、初めて買ったアイライン、私も緑だった。あの頃はまだ、うしなわれた野性を取り戻そうとしていたのかもしれない。似合うとか似合わないじゃない、誰かに気に入られるためじゃない、自分で自分のためにするお化粧で。
 すっぴんのけものがいとしい。野性がうしなわれたって、欠伸しか出なくたって、擬態しなくたって、けものはけものだ。もしかしたら、他のけものと擦れ違えば察知できるくらいの嗅覚が、残っているかもしれない。地下鉄の駅のトイレやデパートのドレッシングルームの隣に、文明メイクで人間に扮したけものをいつか見つけられたら、やわらかい土の上、歩きづらいよねって耳打ちしたい。一緒に鏡を覗いて、貌(かお)を見合わせて、にやにやしたい。