情緒の安定している犬を飼う
わたしの悲しみをぱくぱく食べて
夜露みたいに光る、真っ黒な両目
両手で輪っかをつくるからいつでも入ってきてね
わたしの空洞に入ってきてね
でもノックはしてね
しっぽをメトロノームにして
ちく たく ちく たく
メトロノームをしっぽにして
たく ちく たく ちく
水辺の風はいいきもちと
目を細めるわたしを見て目を細めてくれる?
紙コップがふやけるくらいの時間をずっと、
ずっとちくたく、過ごしてくれる?
選評/高橋源一郎
情緒は安定していません
はっきりいおう。犬は苦手だ。わたしは、犬も猫も飼ったことがある。ついでにいうと、ウサギもジュウシマツも金魚もシマリスも蟻もカブトムシも飼ったことがある。それらについて語るとなると、もうたいへん。
そこで、犬である。犬ねえ。どうして、あんなふうに、じっと涙に潤んだ(ような)目でこちらを見るのだろう。何か悪いことをしているような気がしてくるのだ。厳しく責めながら、決して、それを口にすることはない。となると、ますますこちらは引け目を感じざるを得ないのである。嬉しいとすぐ尻尾を振るし。さっきと態度がまるで違うじゃん! たいていの犬は(いや、我々人間もまた)、情緒が安定していないはずなのだ。ところが。
「はるのかまぼこ」さんは、「情緒の安定している犬」がいる、と書くのである。
ほんとうかよ。そう思った。そして、繰り返して、この詩を読んでみた。どうも、この「情緒の安定している犬」は、実在しないのではないか。というか、実在することは不可能なのではないか。でも、実在したらいいのにな。ほんとにいいだろうなあ。わたしだって、そう思う。我々には「情緒の安定している犬」が必要なのだ。もちろん、他にも必要なものはたくさんあるのだが。
でも、残念ながら、我々の周りあるのは「情緒の安定していない」ものばかりなのである。詩だけで我慢するしかないのかもね。よし、夕飯を食べたら、この詩を連れて、ちょっと散歩に行ってくるかな。もっとずっと「情緒を安定」してもらうために。