最初から全部やりなおしや
全部消えた
全部なくなってしもうた
もうちょっとやったのに
なんで全部消えんねん
ちょっと「もどる」に
あたっただけやんか
ほんま泣けてくるわ
わしなんか悪いことしたかいな
なんか関西弁こわいな
せやな
そんなことゆうとっても
しゃあないな
さっさとせなな
はよしよ
選評/高橋源一郎
どちら
東京から新幹線に乗って新大阪で降り在来線に乗り換えると、当たり前だが、関西弁が耳に飛びこんでくる。すごいな、この言葉。元々関西に住んでいたのに、そう思う。そして、自分がしゃべり、書いている「標準語」の「標準」の意味がよくわからなくなる。その瞬間、言葉が、「あちら」と「こちら」に分裂しているように感じるのだ。ほんの瞬間だが。
ワープロ(いまはパソコン)で文章を書くようになって、書いたものが「消える」という経験をするようになった。ほんとに「消える」のである。いったい、言葉はどこに行くのだろう。まったくわからない。消えた言葉の「墓場」が、デンノウクウカンのどこかにあるのだろうか。ここではない、どこかに。
……セロリンさんの詩を読みながら、そんなことを考えた。感想をひとことでいうなら、「言葉はこわいな」である。でも「そんなことゆうとってもしゃあないな」なんだけど。