スモーキーな青の空に赤い柵がやたら綺麗で
しばらく眺めていたけれど
とおくに白くて薄っぺらなお月さん
嗚呼。
現実に絶望したりもするけれど
花は咲くし、蕎麦は冷たいに限るし、俺は順調に今日も不甲斐ない
日曜の夕方ってこんなカンジでしたっけねぇ
商店街ってたのしいな
めがねがないからぼんやりしている
でもみえるもんはみえてる
生きてる
明日ゴミの日だ
だいじょうぶ
生きている
選評/環ROY
アスファルトに落ちる街路樹の影、揺れる光。入道雲と茜色の空。夏の夕方や深夜、アルコール。日々の生活の中で見るなにげない光景に、心が動くことがある。それは決まって不意にやってくる。目にした光景が実際に興味深いものだったのか、自分の感情が閾値(しきいち)を超えて光景へと投影されただけなのか、いつも判然としない。
人間の脳は生き残り、繁殖し、環境に適応するために、常に改善と進歩を追い求め、決して満足しないと言われている。ドーパミンシステムは、達成感をすぐに薄れさせ、次の目標へと私たちを駆り立る。その結果、私たちは自ら絶望感や空虚感を生み出してしまう。しかし同時に、「恙(つつが)ないことが幸せなのだ」という理性が反論し、再び視線を今この瞬間に向けさせる。この繰り返しが生きるということかもしれない。私もこの詩のような気分にしばしばなる。空論ではあるが、世界は解釈次第だ。私も生きている。