前の記事

今月の詩

2024.05.01

バナナが 空から

詩/長根りんこ

天気雨のように
バナナが 空から
ふってきた

リビングの硝子戸
ベランダ キッチン
窓という窓が
騒いでいる 
バナナが 空から
ふってきた

空を見上げたら
頭に バナナが
バナナに 頭が ぶつかって
少し出血する
落下するバナナは
意外に攻撃的で 手強い

バナナが 空から
ふってくる
こどもは 興奮して
叫び 食べまくる 
きいろいこどもになって
うんちは甘い香りの黄色いクレヨン

20本に1本は硬質バナナ
わたしを 刺したり つねったり
抱いたり たぶらかしたり
甘かったり 痛かったり 優しかったり
ことばのように
騒々しい
 
天気雨のように 
バナナが 空から
ふってくる
落下するバナナは 
意外に素直で 寛容だ 

黄色く澄んだ空が
次の発射に備え
わたしは 口を開けて
次のバナナを
待つ

 

 

選評/環ROY

私の好きな絵本作家に長新太という人がいる。最初にこの詩を読んだ時、彼の作品に通ずる超現実的な世界を感じた。空からバナナが降るというシュールな始まりから連想が発展し、発展した連想は跳躍する。バナナは本来の姿から逸脱し、動き出し、さらには感情的なコミュニケーションを試みる。バナナのくせに。バナナには何か別の寓意が込められているのかもしれない。「出血」「落下」「叫ぶこども」「発射」といった言葉から、今日的な暴力を連想することも可能ではあるが「意外にも素直で寛容」で、「うんちは甘い香りの黄色いクレヨン」なのであれば、バナナはやはりただのバナナのようだ。こうしたテンションの絶妙なコントロールに作者の技術が見え隠れするが、解釈を追求したり自身の内面を投影するよりも、ありのまま、バナナが降る世界を感じるべき牧歌的な詩なのだろうと思った。肩肘を張らない、こどもの妄想のような情景に心惹かれた。