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今月の詩

2024.01.09

夢みる踝の領域

詩/甘露 なつ

くるぶしに
白い小鳩を飼っている

はじめ、それはただの骨
ただの塊に過ぎなかった

ときおり痛む
この歪なまるい塊は
幼い時分に足をひねってこしらえた
捻挫の名残りで
ずきん、と貫いた痛みが
完治せずに固まり
やがて
しくしくと鳴くようになったもの

ごろん、と膨らんだそれを取り出し
手のひらにそっと乗せてみる
ひんやりとして
それでいて熱い
うずくまる 
白い小鳩に似ているんじゃないかしら
と思ったら
それが思いの外しっくりきた

〈私は、くるぶしに白い小鳩を飼っている〉

くるぶしの鳩は
誰にも聞こえないくらいの小ささで
しくしくポッポゥ、と鳴く
雨や初雪の前触れに
駅前の雑踏のなか鳴くこともあるし
洗濯ものを取り込んだベランダで鳴くこともある

そんなとき心は
限りなく色のない透明になって
しくしくポッポゥ、と
その場にただ立ち尽くす

しくしくポッポゥ、と

夢の淵にでも立っているような感覚から我にかえれば
鼻先にすん、と
風に乗ったささやかな雨の匂い
空は刻一刻とうつろい
時はまたゆるやかに動き出す

踝(くるぶし)という字が
足へんに果の一字を加えたものであるように
歪なこの膨らみも
私に生った一つの果実

ひそやかな踝の領域で
うずくまり
微睡みながら
じっと変わらずそこに在る
私の小鳩は
とりとめのない想いを幾重にも抱え
深くまるく膨らんでは
夢を見つづけている

 

 

選評/暁方ミセイ

 鳩の、ぽけっとした顔や、寒い日に膨らんだ姿や、控えめでくぐもった鳴き声。そんなところが好きで、わたしも自分の詩に何度か鳩を書いたことがあるのですが、この作品は「やられた~!」と思いました。踝(正確には、その付近の骨)と鳩。一見、まったく関係のないもの同士が、甘露さんのこの詩のなかで出会い、知らないのに知っている、何ともいえないすてきな詩情を生み出しています。
 しかも骨は、「私」が自分の外に一度は取り出し、言葉にすることで小鳩になります。もしかしたら小鳩は、甘露さんの詩の化身なのかもしれません。小鳩が鳴くとき、心は色のない透明になって、つまり自分ではなくなり無に近づく、というのも、わたしにとって詩を書くときの気持ちによく似ています。
 骨、鳩、雪、洗濯もの、それにまどろみや夢のもやもや。作品の真ん中に隠されている白の印象。それから、雨や風や雑踏の寒そうな感じと、自分の肉体のもつ熱、ぬくもり。作り方がとてもうまいけれど、書き方がわざとらしくないので、すんなり作品に浸れました。
 さっき、小鳩は詩の化身かもしれないと書きましたが、この作品では鳩が何かの比喩であることを越えて、体をもっているところこそが魅力的です。名づけきれない「私」の内面と、等価のものとして描かれているのを感じます。熟語は、硬く乾いてひんやり。でも全体としては、やわらかな文体。そこも、内容にぴったり合っています。