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今月の詩

2023.08.01

待ちながら

詩/文香ヒロ

待ち時間には静かな音がする
蝉が腹の底から愛を叫び
山手線の車輪と鉄路が都会を奏でる
それらの音の編み目に
耳を傾けて
待って
ずっと待って
そうするとわずかに
はらり
羽根が舞いおりる音がした

待ち時間には手触りがある
伸縮する繊維は
行き場を失いながら
紅葉のビッグバンとなり
リビングに散開する
無限に広がる小宇宙は
触れれば吸い込まれるほどに
わずかな
天然のハプティクスがあった

待ち時間には白昼の夢想がある
鼻腔を突き刺す冷気が
トリップにいざなう
漢字とひらがなを曇天に浮かばせて
一文字ずつ舐めてみる
あまい
さわやか
あまい
にがい
文字は熟成させると味がまた変わった

待ち時間には梅色の香りがある
手持ち無沙汰に公園を歩きながら
マスクを剥ぎ取りながら
深く息を吸う
喜怒哀楽のどれにもカテゴライズされない
ポジティブな感情を
梅色の香りと接続し
脳に焼き付ける
自分だけの脳内文学が
待ち時間に書き下ろされていく

待ち時間
待ち時間に
私は父になる

 

 

選評/環ROY

読み始めた当初、なんの話をしているのか分からなかった。気分やムードを抽出した散文詩に思え、つかみどころが見出せない。そのまま終わるのかと思った。が、突如「私は父になる」と結ばれた。え!予期せぬ驚きが沸いて、すぐに再読した。すると一節目から、初見とは印象がまったく変わっている。四分割された段落は明確に四季に対応していたし、空間、身体、心象の三点を必ず明示する各段落の規律にも気づく。先程まで読んでいた詩は、決して抽象的ではなく実に具象的に、子の誕生を待つ男性を描いていたのだ。よく分からないまま読み進めていたら、急に手品の種を明かされたような驚きとおかしみを覚え、感心した。構造を強く意識しなければこのような詩は生まれないと思う。構造的であるがゆえに飛躍に欠ける部分は、ある。しかし、構造に支持された瞬発力の高い快楽が確実にある。ポップで小気味良い作品だと感じた。