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今月の詩

2022.12.05

母よ

詩/脊

母よ
闇雲に大きい声を出すな
そんなに叫ばなくても聞こえている
いちいち返事をしないとだめなのか

母よ
捲し立ててしゃべるな
少しは黙っていられないのか
ものを食べているときくらい黙ればよいものを

母よ
あなたは忙しい忙しいと言うけれども
その忙しさはどこからきているのか
誰も急かしてなどいないし何にも急かされてなどいない
あなたがあなた自身を追いつめているだけといつ気付くのか

母よ
自分の分が悪くなったからといって
相手の落ち度を挙げ連ねて罵るのはどうか
自分の非を認める日はいつ来るのか
話を変えて誤魔化すさまはもはや見苦しい

母よ
けれどその日はやってきた
私が一人暮らしを始める日
荷ほどきをしているさなか
新しく買った食器棚に傷をつけて
あなたはしきりに謝った
「ごめん、ごめんね」と
私は何も気にしないのに

母よ

愛おしい

母よ

 

 

選評/穂村弘

 「母よ」と繰り返される呼びかけ、そのつどの批判の内容がリアルで面白い。酷い「母」のように書かれているけど、たぶん、ごく普通の「母」なのだろう。「自分の非を認める日はいつ来るのか」を受けた「けれどその日はやってきた」に引き込まれる。そんな「母」が、何故どのように非を認めたのだろう、と。だが、「ごめん、ごめんね」は単なる謝罪ではないようだ。「新しく買った食器棚」に傷をつけた、という直接的な出来事よりも、その背景にある「私が一人暮らしを始める日」のほうが、母の心理に与えた影響は大きいのかもしれない。それは「私」の側も同様なのだろう。小さなお別れに際して、自らの心の奥に眠る思いを知った。詩の結びでは、「母よ」という呼びかけは同じでありながら、前半の批判的なマイナスのエネルギーが反転した「愛おしい」に胸を打たれる。