前の記事

今月の詩

2022.09.01

君と歩く

詩/櫂 英人

君と歩く
美術館を
これまでは一人で来ていたけど
今日は君と二人で来た
前に君と一緒に来た時は
君は座っていた
今日は君は歩いていた
自由に歩けるようになった君は
前よりも美術館を
楽しんでいるように見えた
それは君を見ていた僕が
そうおもっただけかもしれないけど
君の体は弾んでいたから
それは間違いないとおもう
君は自由に
美術館の中を闊歩した
飛ぶように
絵の前でじっと立ち止まって
見ていた絵もいくつかあったね
美術館の監視員からも
しっかり見てますね
とっても良いなぁ
と言われたね
僕は
一人の時と比べて
一枚一枚の絵を
じっくり見ることは出来なかったけど
なぜかいつもより充実した時間を
過ごせたような気がするよ
それはなんというか
一枚の絵と僕との関係だけじゃなく
君と絵と僕の三角関係が
とても良かったんだと
おもったんだ
いつもは有名な絵だからとか
有名な人が描いた絵だからとか
余計な情報が
フィルターになって
僕の目の前に薄く被さっているのが
今日はそういうものは
きれいに取り払われて
君が見たいとおもった絵の前にいて
君が素通りした絵の前にはいなかった
そんな
絵との新しい関係みたいなものが
君がいることで
生まれた気がするんだ
だから僕は今日は本当に楽しかった
新しい自分に生まれ変わったみたいに
そんな風に感じたんだ
だから今日は君と僕にとっての
記念の日になった
これから君はどんどんと大きくなるけど
僕は今日のことを
いつまでも
忘れないでいたい
美術館を君と歩いた記念日を

 

 

選評/穂村弘

 この詩にはわからない一行というものがない。本当に感じたことが素直に書かれているようだ。タイトルは「君と歩く」。でも、「君」が誰かということは最後まで明示されない。「僕」の子どもだろうということは想像できるけど、最後まで「君」と呼び続けることで、詩の中に対等な関係性が生じている。それが心地よい。「僕」のほうが勝っているところもあるが、「君」のほうが優れているところもある。「美術館」を歩き、二人で「絵」の前に立った時、それがわかる。「君」は「有名な絵だからとか有名な人が描いた絵だから」といった「余計な情報」の「フィルター」に惑わされることがない。目の前の「絵」を、そして世界を真っ直ぐに見ることができる。「僕」はそんな「君」の目を通して、世界と出逢い直す。そのことが「新しい自分に生まれ変わったみたい」と表現されている。