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今月の詩

2022.08.01

クジラの時間

詩/三波 並

一日一回、入浴の時間
わたしはクジラになります

戻ります、
と言い切りたいところなのですが
もとがニンゲンなのかクジラなのか
わからなくなり、いまに至るのです
タオルに空気をふくませて湯船に沈め
ぶくぶくさせることが
幼い頃からすきでしたので、
やはりクジラだったのかもしれません

湯船には、いつもゆっくりめに浸かります
ムダ毛を処理するクリーム、
つやをだすためのシャンプーやトリートメント、
週に二回のヘアパック、
泡立ちがすごぶるよい洗顔フォーム、
ほのかに甘い香りのするボディソープ、
これらは一切、必要ありませんので
その分、保湿効果のあるという
高めの入浴剤を使ったりしています

上機嫌に学生時代よく聴いていた歌を歌ったり、
今日の出来事についてぶつくさつぶやいたり、
こみあがってくる怒りにまかせて叫んだり、
時に理由のわからない涙を流したりしますが、
すべては超音波として処理されるので
まわりを気にせず、その時々の感情を
乳白色の湯にぶつけるようにしています

そうして入浴の時間を堪能して
脱衣所にでると、わたしは
しゅるしゅるとニンゲンになるのです

両手でつくる水鉄砲が
上手だったことを思い出したりして、
やっぱり
クジラだったのかもしれないなぁ
なんてぼんやりと考えながら

わたしは今日も
明日にそなえてボディオイルを塗る、
そんな日々を過ごしています

 

 

選評/大崎清夏

 入浴のときにだけ優雅な一頭のクジラになるという発想が、とてもすてきだ。この詩のいちばんの見どころは、第四連に凝縮されていると思う。「クジラの時間」だけは、学生時代の自分になっても、ぶつくさつぶやいても、怒りにまかせて叫んでも、理由のわからない涙を流しても、それらの音は人間の耳には届かない「超音波」になる。いい比喩だと思う。
 ボディソープや洗顔フォームが要らないのはなぜだろう。人間の世界を離れてクジラになってしまったからには、人間の体裁を繕うための道具を使うには及ばないということだろうか? でも、この時間が終われば、「わたし」は人間に戻らなくてはならない。些細なことかもしれないけれど、詩の整合性が雑になってしまっては、せっかくのいい詩がもったいない。
 悠々自適に過ごすクジラの時間の気持ちよさがよく描かれ、書き手がこの時間をほんとうに愛おしんでいることが伝わってくる一方、クジラのあの巨大さについての言葉がないことや、生態への観察がややありきたりに留まってしまっているところは気になる。「そんな日々を過ごしています」のしめくくりも、もうすこし丁寧に言葉を磨いてみてほしい。