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今月の詩

2021.09.01

おじいさんの街

詩/帽子

おじいさんの街に暮らしている
道ですれ違うのはおじいさん
畑にいるのはおじいさん
スーパー寄りのショッピングモールのおじいさん
図書館の奥の小部屋にいるおじいさん
病院の待合室にいるおじいさん
美術館にいるおじいさん
土手をあるくおじいさん
グランドゴルフをするおじいさん
ニュースのインタビューを受けるおじいさん

多分おれはおじいさん

 

 

選評/穂村弘

「おじいさんの街」を読んで、こんな短歌を思い出した。

 手袋を落とした人に拾う人それを見るわたし皆んな老人
吉村秀隆

 日常の描写でありつつ、滅びに向かう世界の像を描き出している。この短歌には高齢化する社会のリアルな反映を感じる。だが、「おじいさんの街」の場合は、それだけではなく、微妙に違った印象もある。どこかシュールでコミカルなのだ。その理由はたぶん、これが老人の街ではなく、「おじいさんの街」だからではないか。不思議な街だ。おばあさんはどこへ行ったんだろう。もしかしたら、どこかにおばあさんの街もあるのかもしれない。萩原朔太郎が迷い込んだ「猫町」があるように。ただ、おじいさんだけの街にも、現実との繋がりは残されている。サッカーの国際中継などを見ていると、文化圏によっては、競技場の数万という客席にほとんど髭の男性の姿しかないこともある。
 「多分おれはおじいさん」というラストも面白い。特に「多分」ってところ。自分のことは自分がいちばん知っている、というのは常に真実とは限らない。周囲を見回して初めて、「多分おれはおじいさん」と思ったのだ。この街の外に一歩出たら、「おれ」は若者になるんじゃないか。