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今月の詩

2021.07.01

カエルの掌

詩/草野理恵子

遊歩道のベンチにカエルが座っていた
帰りなよというと
手相が気になるという
見てほしそうにするので見てあげた
ちょうど満月でカエルの掌を明るく照らした
きれいな掌だった

すれ違う虫たちがカエルに挨拶する
こんばんは こんばんは
カエルってこんなに人気者だったのか
いいねーって言うと
怖くしないだけだよと言った

カエルの掌には生命線が一本もなくて
怖くしない方がいいかいって聞いたら
真実はいつでも怖くないよって
カントみたいなことを言った

生命線が一本もないから
君は生きていないって
占い師だったら言うかもしれないって言った
でもすぐにとてもきれいな掌ですって
付け加えた
カエルは全然怖くなかったよって
僕の頭を撫でた
べとべとの頭で帰ったら
お母さんが怖い顔をした

それから僕は
①怖くしない
②真実を言う
で生きていくことにした
カエルはきっと今も生きている
占い師はでたらめなことも多い

 

 

選評/穂村弘

物語のような詩

 物語のような詩だ。三行目の「手相が気になるという」で、まずびっくりする。「カエル」が「手相」を気にするなんて面白い。それから「ちょうど満月でカエルの掌を明るく照らした」という臨場感。「怖くしない方がいいかいって聞いたら/真実はいつでも怖くないよって/カントみたいなことを言った」のやり取りもいい。一行ごとに細かくはっとさせられる。読みやすい流れの中に、小さな意外性がたくさん埋め込まれている。「カエル」に教えてもらった「①怖くしない/②真実を言う」という生き方の方針にも賛成だ。一つだけ気になるのは、「カエル」と「虫たち」の関係である。「怖くしない」から「人気者」だという。でも、いくら「怖くしない」と云っても限界があるんじゃないか。だって、「虫たち」を食べることが「カエル」にとっての「真実」だろうから。それでも「真実はいつでも怖くない」と云い切れるものだろうか。「きれい」なはずの「掌」で撫でられた「頭」が「べとべと」になることもある。「生命線」がなくても「カエルはきっと今も生きている」。その理由としての「占い師はでたらめなことも多い」という終わり方もよかった。すべてはでたらめなことも多い。だからこそ、詩があるのだろう。