次の記事 前の記事

恋する私の♡日常言語学

2020.11.20

恋する私の♡日常言語学【Vol.12】彼女を「お前」と呼ぶ男、彼氏に敬語で線を引く女

文/清田隆之(「桃山商事」代表)

協力/小川知子

イラスト/中村桃子

「恋愛とことば」をテーマにした連載「恋する私の♡日常言語学─Ordinary Language School」。かつてオックスフォード大学で哲学を学ぶ人々を中心に「日常言語の分析が哲学者の中心課題だとする方法意識」という思考のもとうまれた「Ordinary Language School」(日本大百科全書より)。この思考にヒントを得て、数々の恋愛話を傾聴してきた恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表の清田隆之と、『みんなの恋愛映画100選』(オークラ出版)の選者も務め、人から話を聞くことを専門とするライターの小川知子が、恋愛においての「ことば」をめぐる諸問題について語り合います。
 意中の人や恋人となんだか上手くコミュニケーションが取れなかったり、すれ違いに悩んでいるあなた! その原因は「ことば」にあるかもしれません!

 

 

男らしさの規範に過剰適応していた“オラっ子”

小川知子(以下小川)  清田くんの著書『さよなら、俺たち』(スタンドブックス刊)の中に「あの人がいない人生を生きるのだ」というエッセイが収録されていて、そこで過去の恋人とやりとりした手紙や交換日記が引用されてるじゃない? なかなか衝撃的だったのが、高校生のときの交換日記の中で、清田くんが恋人のことを「お前」と呼んでいたことで。

清田隆之(以下清田) そうなのよ……読み返したとき、自分でも結構ショックを受けた。恋人のことを「お前」と呼び、「しばらく会えなくてさみしかった」と書いてくれた彼女に対して冷や水を浴びせるようなことまで言っていて、何様なんだこいつって……。

小川 恋人を「お前」呼びする男子は世の中にたくさんいて、私も何人も見たことがあるけれど、相手のことをどこか“所有”しているかのように思っている節があるんじゃないかと感じているんだけど、清田くんはどうだった?

清田 そういう感覚は確実にあったと思う。当時のことを思い出してみると、彼女は人生で初めての恋人だったんだけど、男子校の友達が集まる場によく連れていっていたのね。友達に紹介したいってのもあったけど、俺は彼女のことをめちゃくちゃかわいいと思っていて、みんなに見せびらかしたいという気持ちが正直大きかった。

小川 うわ〜、まさに所有物をshow offしているわけだね。「俺の彼女はかわいいぜ」ってのをわざわざ男友達に見せびらかすわけでしょ。ものすごくホモソーシャル的な光景だよねそれは。

清田 まさに……。しかもそこには男友達に対するマウンティングみたいな気持ちも含まれていたと思うし。

小川 不思議なのはさ、清田くんは一方で子どもの頃から男っぽいカルチャーが苦手で、『ドラゴンボール』や『スラムダンク』よりも『ちびまる子ちゃん』や『BANANA FISH』が好きだったわけじゃない? 自己イメージも“かわいい男の子”だったと前に言ってたし(笑)。そんな清田くんがいかにもな“男らしさ”に囚われていたのがすごく興味深い。

清田 中高6年間を男子校で過ごす中で、男らしさの規範に過剰適応しちゃっていた部分があったと思う。当時はジェンダーという概念すら知らなかったけど、男社会の中でよしとされている思考や振る舞いを必死になぞろうとしていたのは間違いなくて。今思うとめちゃくちゃ典型的なのよ。女子はか弱くて守ってあげるべき存在で、男たるもの恋人をリードしてあげなきゃいけない……って思い込んでいた節がマジであったし。

小川 なるほど。これは私たちの友人で編集者のおぐらりゅうじくんが言ってたことだけど、普段は非常にジェンダー・センシティブな彼も、恋愛的な文脈になるとついオラオラしてしまうらしいのね。おぐらくんはそういう自分を、ぶりっ子の男性版として、“オラっ子”と呼んでいて、見事なネーミングだなって思った。「お前」呼びしていた当時の清田くんもオラっ子だったのかもしれないね。

女性たちに求められる自分をか弱く見せるための言動

小川 自分自身の恋愛を振り返ってみると、10代後半とか20代前半の頃って、「しっかりしてそうなのに抜けてるね」とか、「意外と弱い部分があるんだね」みたいなことで好感をもたれたことがあった。「この子には僕がいないとダメなんだ」って思わせるようなニュアンスを出すと、ふっと寄ってくる人がいたり。

清田 あ〜、めっちゃわかる(笑)。

小川 愛想よく振る舞うとか、笑うときには口を隠すとか、あえて無知を装うとか、私たち女には自分をか弱く見せるための言動が求められていて、規範意識のように刷り込まれてしまっている部分がある。私は思ったことをハッキリ言うし、いわゆる“女らしい”タイプではないと思うけど、それでも例えば、お店で注文する際に少しだけ声が高めになっていることを外国から来た友人に指摘されて、求められるジェンダー役割を無自覚に演じている自分にゾッとしたことがある。

清田 『さよなら、俺たち』で女性に求められる“さしすせそ”について取り上げたんだけど、あれもまったく同じ構造のものだよね。
(※参考記事 女子小学生にまで求められる“モテ技”。男はなぜ「さしすせそ」で気持ちよくなってしまうのか

小川 男の人に脅威を与えてはいけませんよ、攻撃的な女は怖がられるし嫌われますよ、だから自分をちっちゃく見せましょう、男性のことを受け入れてあげましょう──というメッセージがこの社会には満ちあふれてるもんね。私は“さしすせそ”なんて言わないけど、例えば男性が何かについてドヤ顔で語っているとき、内心では「そんなこと知ってるよ」と思ったとしても、それをストレートには言わず、「それ聞いたことあるかも」と暗に伝える方法を選択したりする場合もある。なぜなら傷つくと思うとすぐにシャッターを閉めてしまう人もいるから。

清田 男たちの自尊心を傷つけないための振る舞いを社会から植え付けられるってことだよね。本来であれば、女の人からちょっと否定されただけで傷ついてしまうマインドと向き合い、その実態やメカニズムを男性自ら言語化していくべきだと思うんだけど、そこには目を向けず、なぜか「彼女を守れる俺」「頼りがいのある俺」「女性をリードできる俺」にハマり込もうとしていく……。恋人を「お前」と呼んでいた自分もそういう“俺”を演じようとしていたことの表れだと思うし、“オラっ子”も同じ構造から生まれているものだと思う。

恋人の敬語におびえる男たち

清田 ジェンダーとは「社会的・文化的に形成された性差」と訳されることばで、それを学ぶことで、今まで自分の性格や欠点だと思っていたものが、実は社会や文化からの刷り込みによるものだったとわかる瞬間が多々ある。それはとても重要なことだし、ジェンダーを学ぶことの意義だと思うけど、だからといって「これは社会のせいであって俺に責任はない」みたいな話ではない。

小川 そうだよね。ジェンダーって、生物学的な性差をベースに築かれた、社会とか、文化とか、政治とかの構造や傾向なわけで、そこから生み落とされる問題に関しては、個々人で引き受けなきゃならない部分も大きいよね。

清田 「彼女をリードしなきゃ!」「頼れる彼氏にならなきゃ!」って頑張る分にはまだかわいらしいかもしれないけど、それが価値観の押し付けとか加害性のある振る舞いとかに転じていくケースも多々あると思うのよ。オラっ子的な振る舞いと、モラハラやデートDVみたいなものは、同じ延長線上にある問題だと思うし……。例えば男性の不機嫌問題ってあるじゃない?

小川 わかる。ムスッと黙っちゃうとか、無言で謝らないとか、話しかけるなオーラをまき散らすとか。

清田 前に桃山商事の連載でこの問題を取り上げたとき、過去最大クラスの反響があったのよ。女の人からは共感の声が、男の人からは「不機嫌になるのはむしろ女だろ!」って声が多かったんだけど、そのとき議論に出たのは、多くの男性にとって不機嫌な態度は“便利な手段”なのではないかってことで。その部分を引用してみます。

 不機嫌になれば要望が通るし、プライドが保てるし、相手が自分に合わせてくれる。そのため問題と向き合わずに済み、体裁を取り繕うためのコストもかからない──。そういう都合のいいことを経験的に知っているため、「なんかムカつく」「なんか不満」「なんかイライラする」といった〝言語化できないネガティブな感情〟に陥ったとき、男性たちは不機嫌になるという便利な手段を多用するのです。(桃山商事『生き抜くための恋愛相談』より引用)

小川 なるほど。つまりムスッと黙ってるだけで相手が勝手に気を遣ってくれるってことだよね。それを知っててやってるとしたら質が悪いな。

清田 そうそう。まるで「不快な気分になったのはお前のせいだから取り除け」と言わんばかりの……。こういう態度に出るってことは、つまり自分が「偉い側」に立っているという感覚があるからだと思うのよ。まるでお仕置きや懲罰を与えるかのようなメンタリティでムスッとしているんだと思う。

小川 自分の感情なんだから、本来であれば自分自身で向き合い、対処なり解決策なりを見つけるべきだよね。相手に不満や要望があるなら言葉にして伝えるべきだし。それをせずに黙り込み、さらに感情のケアまで相手に求めるのは、ちょっと何様なんだろうって感じてしまう。

清田 恋人は俺の所有物で、常に俺を受け入れ、俺の思い通りに動くべきだ……って、かなり大げさな表現だけれど、極端に言えばそういう感覚がベースにあるんだと思う。

小川 自他の境界線がないんだろうな。だから際限なく依存しようとしてしまう。でも男性が同じものを求められたら逃げたり怒ったりしがちだよね。「困ったことがあったら頼れよ」と言いながら、そこには(※俺の負担にならない範囲で)という見えない註がついている。

清田 それで彼女が愛想を尽かし、距離を取られて彼氏が焦り出すみたいな……。「恋人が急に敬語になるのが怖い」って男性の声をよく耳にするけど、あれって明確に境界線を引かれたことへの恐怖だと思う。

小川 敬語は線引いてるよね、完全に(笑)。最近のカルチャーでは、女性は守られるべき存在ではなく、自分で自分を守れるよねという描き方が主流になっていて、「男の人が守りたくなるような女でいなきゃ」という思い込みは呪いに過ぎないってことが共有されつつある。「守る」って意識はすでにナンセンスだし、もはや“モラハラの始まり”ですらあるのかもしれないね。

清田 話がいろいろ広がってしまったけど……まとめると、何気ないことばづかいから見える恋愛とジェンダーの関係を紐解いていくと、依存とか甘えとか権力とか支配とか、そこに根づくさまざまな問題が見えてくるよねって話になるでしょうか。

小川 社会が男女それぞれに植え付けている習慣というものが確実にあって、無意識のうちに受けている影響がことばや振る舞いとして表れてくる。それを社会構造の問題として片付けてしまうのは簡単かもしれないけど、どこまでが社会でどこからは個人として引き受けられるものなのか、引き続きおしゃべりをしながら個々が苦しくならない生き方を考えていきたいですね。

清田隆之

文筆家

恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。
1980年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。これまで1200人以上の恋バナを聞き集め、「恋愛とジェンダー」をテーマにコラムやラジオなどで発信している。著書に『どうして男は恋人より男友達を優先しがちなのか』(イースト・プレス)、『さよなら、俺たち』(スタンド・ブックス)、『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』(扶桑社)、澁谷知美さんとの共編著『どうして男はそうなんだろうか会議 いろいろ語り合って見えてきた「これからの男」のこと』(筑摩書房)がある。近著に『おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門~暮らしとメディアのモヤモヤ「言語化」通信~』(朝日出版社)、文庫版『よかれと思ってやったのに──男たちの「失敗学」入門』(双葉社)がある。
イラスト/オザキエミ
https://twitter.com/momoyama_radio

小川知子

ライター

1982年、東京生まれ。上智大学比較文化学部卒業。雑誌を中心に、インタビュー、映画評の執筆、コラムの寄稿、翻訳など行う。共著に『みんなの恋愛映画100選』(オークラ出版)がある。
https://www.instagram.com/tomokes216
https://twitter.com/tometomato

中村桃子

イラストレーター

1991年、東京生まれ。桑沢デザイン研究所ヴィジュアルデザイン科卒業。グラフィックデザイン事務所を経てイラストレーターにとして活動。装画、雑誌、音楽、アパレルブランドのテキスタイルなど。作品集に『HEAVEN』がある。
https://www.instagram.com/nakamuramomoko_ill/