クレモナからさらにヴェネツィア方面へ。電車で45分ほど、マントヴァ(Mantova)に到着します。
この街は、三方を湖で囲まれています。いずれも人工湖で、湖面は穏やかです。そのほとりに出ると、ポプラの並木が続いています。このときは春分でした。春の訪れに樹木が目覚めて、芽吹きはじめる頃です。枝先が、一番きらきらきらめく頃です。
ポプラはヤナギと同じヤナギ科ですが、この仲間のウラジロハコヤナギ(ホワイトポプラとも言われます)がギリシア神話に登場します(ポプラの話は南イタリア編のVol.1後編でご紹介しています)。
ある日、ニンフ(妖精)のレウケーは、冥界の王ハーデースに迫られます。追われた末、もう逃げられない、と、彼女はウラジロハコヤナギの姿に身を変えました。そうして、善いことをした死者たちの楽園エーリュシオンの岸に、彼女はずっと佇んでいるのだといいます。
あるいは別のヴァージョンでは、王ハーデースはレウケーに恋をして冥界へ連れて帰ります。けれども、彼女は死んでしまいます。王は悲しんで、彼女をホワイトポプラに変えました。楽園エーリュシオンには、レウケーの変身したホワイトポプラが繁っているのだそうです。
冥界の王ハーデースは、ゼウスや他の神々に比べれば浮気はあまりしないのですが、やはり妻のある身です。妻であり、冥界の女王であるペルセポネーは、夫の恋情に怒って、ニンフをハーブに変えてしまったこともあります。このニンフの名前はメンテー。怒るペルセポネーに踏みつけられて、ミントに変わったのだということです。
一説には、ハーデースに追われるメンテーを、ペルセポネーがハーブに変えて身を隠してあげた、とか。さあ、どちらが真相なのでしょうね。
さて、マントヴァは古くは紀元前からエトルリア人が定住して、ガリア人、ローマ人などの支配を受けた後、14世紀から18世紀にかけてゴンザーガ家のパトロネージで、文化芸術の街として燦然と輝きました。
やがてペストの蔓延で衰退しますが、今も残る宮殿の室内装飾は、びっしりと緻密な、あるいは飛び出してくるような描き方で、見る者を驚かせようとします。さあどうだ!と言わんばかりの過剰な表現。ときは、ルネッサンスからバロックへの過渡期、誇張された表現の「マニエリスム」の時代です。
人間のサガを思わずにもいられないけれど、植物も、蔓草などの伸びていこう伸びていこうというエネルギーはすごい。ある意味で、生きているエネルギーそのものの表れといえるでしょうか。圧倒されます。
権力と栄華に輝いて、エネルギーに満ちた頂点から一気にすとん、と静まってしまったような、儚さを含んだ不思議さを感じながら街を歩きます。冥界にゆかりのあるヤナギや、その王や女王の話になったのも、そんな不思議さに導かれてしまったためかもしれません。
ところで、マントヴァを繁栄させたゴンザーガ家は、王子の居城都市として、近くにサッビオネータ(Sabbioneta)という理想都市をつくりあげました。マントヴァからバスでも1時間もかからないところです。田園のなかに、六角形の城壁が16世紀後半につくられたままの姿で現れます。
ギリシア時代を模してつくられた古代劇場(Teatro all’Antica)などもあり、ルネッサンス期の建築家の意気込みを感じます。劇場内にはオリュンポスの神々の像も飾られています。街は、小さなアテネとも呼ばれたそう。
宮殿の前広場には、市がたちます。クレモナ、マントヴァ、サッビオネータはいずれも、北イタリアのポー川流域の肥沃な土地です。豊かな野菜や果物が市場に並びます。花屋にはマーガレットやラヴェンダーやカメリアなどの花々、ズッキーニやトマトやルッコラなど野菜の苗もありました。おもちゃや衣類などの日用品や雑貨までいろいろ、パニーニなどのちょっとした食べ物などもあって、なごやかなのんびりした時間が流れます。
かつては、ここも王子に仕える騎馬が隊列をなして進んでいったことでしょう、と思うと、遥かな時間の流れに感慨深くもなりますね。角を曲がると、また別の広場にはモクレンが、春を歌いあげるかのように咲きほこっていました。